神様って・・・・
単行本とノベルズ版と文庫版
この作品は2005年に講談社「ミステリーランド」レーベルの一冊目として発表されました。かつて子供だったあなたと少年少女のためのシリーズということで、2005年に出された単行本は表紙に猫を抱えた少年を据えた水彩画で装丁されています。当時に大変な評判を呼び、発表された年に本格ミステリ・ベスト10に選ばれ、2012年にはノベルズ版として、2015年には文庫版で出版されました。
私はこの作品を講談社文庫の文庫版で初めて読みました。本屋で目にしたとき、表紙になっているイグチユウコさんの描くつぶらな瞳の猫のイラストに目を惹かれ、「神様ゲーム」というタイトルとおもちゃを転がす猫の絵の関連がどうにも想像できなくて読もうと思ったのです。読んでみると、確かに作品中最初のエピソードのキーポイントとしてかわいらしい猫は出てきました。が、これから始まる血なまぐさい連続事件の幕開けとして1章にて猫殺しの犠牲者となっていました。表紙に載せられた登場人物としてはあんまりな扱いですが、すべてを読み終わって、本作を一人称形式で語る主人公と「鈴木太郎」の関係をよくよく考察してみると、子供の形をしたおもちゃをもてあそび、倒している猫という絵も意味を帯びてくるのです。
彼は誰?
ストーリーとしては10歳の少年少女が、猫殺しを幕開けとして身の回りで起こる事件を追いかけていくジュブナイルの形式に近いのだが、登場人物に「鈴木太郎」という不思議な人物が出てくる点と、少年少女たちの周りで起こる事件があまりにも血なまぐさいことがこの作品にほかとは一線を画す異様な雰囲気を醸し出しています。
「ぼくは神様なんだよ」
鈴木太郎は作中で子供らしい何気ない作り話のように、このセリフを言います。しかし、主人公たちの周りで起こる事件に対してこのセリフがどんな意味を持つのか考えたとき、なぜ、鈴木太郎が次に起こる事件を言い当てるのか、主人公にだけ犯人を教えてくれるのか、そして本作の結末として鈴木君が願いを聞き入れて犯行の報いとしての天誅を与えられた犯人だとされた人、わたしは、最後に鈴木君の予言によって「天誅」を与えられた人物は「犯人だとされた人」だと思っています。なぜなら、さいごの「天誅」となった火を持っていたのは、主人公だから。主人公が、天誅の光景を見て「どうして母さんが」と言っているから。そこに全知全能と自称した鈴木太郎の間違いと、その罪を主人公が受けたのではないかと理解したとき、ストーリーの中の主人公の悲しい自己認識に気が付いて胸が重くなりました。
鈴木君の続編
「神様ゲーム」には続編があり、「さよなら神様」が出ています。そちらにも「鈴木太郎」が出ているということで、鈴木君の存在が子供の幻想の話し相手なのではという見方ができてしまった後だと、読んでみたいような読むのが怖いような気持ちになります。
- あなたも感想を書いてみませんか?
- レビューンは、作品についての理解を深めることをコンセプトとしたレビューサイトです。
コンテンツをもっと楽しむための考察レビューを書けるレビュアーを大歓迎しています。 - 会員登録して感想を書く(無料)