歴史に残る漫画性を廃した漫画 - 暗黒神話の感想

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暗黒神話

2.502.50
画力
2.00
ストーリー
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キャラクター
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設定
4.00
演出
4.00
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歴史に残る漫画性を廃した漫画

2.52.5
画力
2.0
ストーリー
2.0
キャラクター
2.0
設定
4.0
演出
4.0

目次

漫画としてありえない偏った選択

神話解釈を得意とする諸星大二郎。前作「孔子暗黒伝」が歴史性とドラマ性を持ったいたのに対して、本作は特に「神話解釈」に重点を置いている。キャラクター性とドラマ性はほとんど捨てた、と言ってもいいほどだ。そもそも主人公武にキャラクター性が低い。登場時点からクライマックスまで他者の都合とか既に決まっていた定めに振り回され続ける。主人公と言っていいのかわからないほど自主性がない。唯一彼が自主性を発揮するのは父と母の死により菊池彦を倒す決意をすること、その一点と言っていいだろう。クライマックスの馬頭星雲の行方を任されての選択は彼によるものではあるが、そこまでのキャラクター性がないため、絶対悪になることから逃げただけ、という見方もできる。

余談ではあるがエヴァンゲリオンの庵野氏は諸星大二郎から影響を受けている、と公言もしており、本作のラストの選択はエヴァのシンジがした選択と共通性があるのだろう。しかしそれ以前に「状況に翻弄され続ける主人公」という図式も似ているように思う。

本作で状況を作るのはある意味「定め」であり、能動的に見える菊池彦も翻弄されるキャラの一人にすぎない。最も神に近いと思われる竹内も傍観しているだけである。

そう考えると本作はやはり「神話」なのだ。おおむねどの国でも「神話」はキャラクター性を重視しない。時に嫉妬や迷いなどの人間に近い感情が語られる部分もあるが、基本的には起こったことの羅列だ。そう考えると「暗黒神話」というタイトル的を射ていると言える。 

どこを切っても唯一無二

この「自主性のない主人公」像が少年漫画にはありえないものだが、実は本作品は週刊少年ジャンプに連載していた。1976年なのでかなり昔ではあるが、友情、成功、冒険などを語るジャンプでは劇的にレアな作品と言えるだろう。

更に、レアさを上げればきりがない。説明文をこれでもか、とふんだんに書き込むネーム展開。後半で竹内が隼人に馬頭星雲やスサノオの説明をするあたりは恐ろしいほどの文字量である。文字嫌いな読者はとっくに振り落とされているだろうが、ここまで苦労してどうにかついてきた人もここで脱落した可能性が高い。

さらに少年誌にはありえないのが美人ヒロインが出てこない、という展開だ。そもそも「美人」はおろか女性がほとんど出てこない。数少ない女性キャラ大神美弥は少年漫画にしては大人すぎるし、登場時からブラックな気配が濃厚だ。せめて入浴シーンを挿入して読者サービスをするのかと思いきや、その直後彼女は餓鬼になってしまう。弟橘姫は美人ヒロイン登場!かとと思わせておいて数コマ後に首から崩れ落ち、どろどろに流れ去る。

冷静に見るとひどい漫画である。おそらく現在のジャンプには絶対に乗らないだろう。とにかく、語り切れないほど、あるいは笑えるほどにパターン破りの連続だ。主人公意外はおっさんばかりとか、剣を手に入れてもちっとも戦わないとか、カタルシスや感動をほとんど与えないとか、この時の諸星大二郎、とにかくやりたい放題である。 

結局ラストってどうなんだろう?

上記のように一般性を可能な限り廃して生み出された本作、それだけに最後の武の選択と弥勒菩薩になるという衝撃性は大きい。巨大で異様な太陽、スサノオ石像の上をキーキーと這いまわる餓鬼たち、空に昇る馬頭星雲。そして畳みかけるように「武は56億7千万年後の未来で弥勒になったのかもしれない」という最後のアナウンス。誰一人こんなラストは予想できないだろう。間違いなく衝撃的だ。前述したように武は人類の厄災となることを避けたため結果としてこの光景に至った。ある意味「人類を救った」ともいえるのはわかる。

しかしちょっと考えてみよう。弥勒は「56億7千万年後に現れて世を救う」というのが言い伝えだが、本作のラストは一つの厄災(起こっていればもちろん破滅的だったのだろうが)を武は意思によって回避した。その結果、超未来にしか武の帰る時空はなかった、と言える。しかしながらそこには救ったはず、あるいは救うべき人類は死滅しており餓鬼が残るのみである。

・・・・これって「救い」なのだろうか?

過去にスサノオ=馬頭星雲による大破壊は行われている。それは神話が示すとおりだ。しかし「神話が伝わっている」ということは人類は生き延びたのだ。ところが本作のラストには人類は既にいない。もしかして選択を迫られた時点で武がすぐさま馬頭星雲を読んでいれば、大破壊が起こり何億という命が失われたかもしれないが、人類は存続したのではないだろうか?人はいつの時代も破壊や逆境をばねにたくましく生きていく。自然の驚異は無慈悲ではあるが強い命を選択していく。そう考えると破壊は起こすべきだったのではないか?数千年に一度、大災害がやってきて人類は窮地に陥る。その「機能していた自然の輪」のようなものを武は壊しただけなのではないか?はたして武は人類を救ったのか?あるいは今を壊したくない、という消極的な選択が、むしろ人類を滅ぼしたのか?

これを見極めることができるのは作中の竹内老人のみなのだろう。いや、彼でさえも不死ではない。もはや老人の姿をしていることを考えればそれはブラフマンのみが知るところなのかもしれない。

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