ユーモアとカウンターカルチャーの力
アメリカのドキュメンタリーの文法と語り口の新鮮さ
2002年作品。今でこそ劇場でもNetflixなどでも海外の良質なドキュメンタリーを見られる機会が増えていますが、この作品が公開された当時においてはそうではありませんでしたので、自分を含めたごく一般の人においては、アメリカ製作の長編ドキュメンタリーが大々的に映画館で公開されるということ自体のインパクトが大きくあったと思います。
つまり当時の日本においては、ドキュメンタリーとはNHK的なまじめなものであるという認識が一般的だった中で、非常に文法や語り口が違う、ユーモラスなおかつ痛快にシリアスなテーマに迫るという部分がとても面白く、新鮮だったのです。
偉い人が上から教えるんではなく、深刻な問題を深刻そうに語るのではなく、様々なバラエティーに富んだ素材をセンス良く駆使し、生々しい予定調和でない取材をそのまま見せて行くことで、こんなにも面白く見せることができるんだ、ということにまず感心しました。
この作品との出会いを機に、色々な海外のドキュメンタリーに接する機会が増えるにしたがい、日本の多くのドキュメンタリーがいかにナレーションを多用して観る者を誘導しているか、また最初から結論を設定していかにそこに向かって作っているのかが相対的によく分かるようになりました。
そもそもドキュメンタリーはディレクターが何かを選んで撮影をし、更にそれを編集をする以上、真実そのものにはなりえませんが、誠実な作品も中にはあれど、それにしても日本のドキュメンタリーはナレーションに頼りすぎという意味で作り方が安易なものが多いように感じられるし、その意見の押しつけ感も含めて嫌だなあと思う事がたびたびあります。
海外ドキュメンタリーでよく見られる、周辺の人々への座りインタビューをただただ繋げるという手法の映像も別の意味で安易ではあるのでしょうが、少なくとも当事者が目の前でそのように語っている以上、ナレーションで「彼はこう思った」などと勝手に言わせることに比べたらまだ信頼性はある。
純粋に「お勉強」する映像ならよく出来ていると言えると思います。しかし考えを提起する、ひととおりでない事象に向かって思考するというスタンスにおいては日本のNHK的なドキュメンタリーは、ものによってはむしろ有害でさえあると今では感じられます。それは最近の日本のニュース映像においても非常に感じられることですが。
ユーモアとカウンターカルチャーの力
この作品を15年経った今久々に見返すと、後半部分は特に、やや深みに欠けるというか物事を単純化しすぎている印象も受けます。
ただ、だからこそこんなにもヒットしたのかもしれない。世の中には真っ黒なだけの悪もも真っ白なだけの正義もないから、本当に質の高いドキュメンタリーは、いくら面白く作ってもそんなにすかっとする落としどころはなく、むしろもやもやとするものだし、見る人の質も問われると思うので。
この作品はマイケル・ムーア監督を世に知らしめた大ヒット作であり、作品を通してすごく活きが良い感じを受けます。アメリカの劣悪な医療問題を取り上げた2007年の「シッコ」も、やはり単純化しすぎるきらいは同様なれど、勢いと突破力のあるマイケル・ムーア節を面白く見ましたが「華氏451度」以降は、絶望と憎しみが先だって見ていてやるせない感覚を覚えます。言っていることは全部正しくても、ただ正しいことを「どうしてそれが分からない?」という話法で語るというのは多分多様な考えを持つ幅広い層に届けるには限界があるのだと思います。
だからこそ、ユーモアの力はすごいものがあるのだろうなと思います。作品中、サウスパークの作者が製作したアメリカ大陸発見後の民族の歴史についてのアニメーションが挿入されているのですが、ファニーでありながらコンパクトで非常に分かりやすくアメリカの精神史みたいなものをまとめあげていて感心しました。まじめに歴史の教科書とにらめっこするより、よほど頭に入ります。
そして基本姿勢としてタブーを設けないアメリカのカウンターカルチャーというものがあります。長い目で見ると、却ってガス抜きされてしまっているだけなのかも・・・と思えなくもないですが、やはり色々めちゃくちゃな国であるアメリカの(辛うじてではありますが)風通しの良さを担保してきたのはカウンターカルチャーの力なのだろうと思います。
ユーモアとカウンターカルチャー。この2つがマイケル・ムーアの映画はじめ、アメリカのドキュメンタリーの魅力であり値打ちではないかと思っています。
正面から問うことで浮かび上がる予想外の真実
結論に向かって根拠を積み上げていくようなドキュメンタリーと違って、マイケル・ムーアの映画ではこうであろうと皆が何となく思い込んでいることを、実際に正面から取材し明らかにすることによって、予想外の真実を引き出して来るという、「ぶっちゃけ感のある驚き」をフックにして作品を引っ張っていくところがあり、だから面白いのだと思います。
作中、最も印象に残ったのが、「コロンバイン高校で銃乱射をした犯人の少年はマリリン・マンソンに心酔し、影響を受けていた」というさもそれらしい言説が世論を占めていた時期に、実際に監督がマリリン・マンソンに話を聞きに行くというシーン。
アンチクライストをテーマにした悪魔的なルックスと楽曲、反社会の象徴のような彼は、インタビューした他の誰よりも、落ち着いていてインテリジェンスで思慮深い人でした。彼のルックスや音楽は、怖いので個人的には好きにはなれないけれど、マリリン・マンソンという存在はむしろアメリカの闇を助長するのではなく、そこで苦しみもがく人々を受け止める存在なのだと感じました。
「何か犯人に言いたいことはありますか?」マイケル・ムーアは様々な人にこの質問を投げかけ、皆もっともらしいご立派なことを言う。
マリリン・マンソンは「何もない。まず彼らの話をじっくりと聴くことからだ」。この言葉に誰が最も真摯なのかということが端的に表れているように思います。
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