大ヒットゲーム実写化、第二作目 - バイオハザード II アポカリプスの感想

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大ヒットゲーム実写化、第二作目

3.03.0
映像
3.5
脚本
3.0
キャスト
3.0
音楽
3.0
演出
3.0

目次

舞台はラクーンシティ。ゲームとの最後のリンク作品

最初に、ゲーム『バイオハザード』シリーズについて少し説明をしよう。

第一番目のシリーズ『バイオハザード』の舞台が洋館であることは、ゲームをプレイしていなくても多くの人がご存知だと思う。洋館、寄宿舎、研究所という流れを経て、主人公たちは脱出することになる。

そして次作『バイオハザード2』では、洋館のあったアークレイ山中にほど近い地方都市、ラクーンシティが舞台となる。限られた閉鎖空間で発生したゾンビパニックがついに街へ。多くの力を持たない市民がゾンビたちの餌食になる中、主人公たちは惨劇の街から脱出していく……。

ここまで説明すればお気付きになるだろう。これは、映画『バイオハザード』シリーズとほぼ同じ構成になっているのである。なお、映画『バイオハザード3』からは大きく物語が分岐するので、ゲームと映画の物語がリンクするのはこの二作目が最後といっていい。

以降のシリーズでも、キャラクターやクリーチャー、ちょっとした小道具などで原作ゲームとクロスオーバーすることもあるが、ラクーンシティなどといった大舞台がリンクするのは本作『バイオハザード2アポカリプス』が最後である。

力を持つ者の奮闘、持たない者のあがきはどこまで

さて、映画『バイオハザード2』の見どころといえば、力を持つ者と持たない者がはっきりと分かれる、という点だろう。

作中でいえば力を持つ者とはアリスやジル、カルロスといった特殊部隊など戦い慣れている者たち。そして後者こと力を持たない者は、テリやLJなどが挙げられる。

研究所が舞台になっているシリーズ一作目と違い、今回は非戦闘民が数多く暮らす街が舞台だ(前作はハイブという研究所が舞台で、非戦闘民はほぼ存在しなかった)。ゆえに、前作であれば銃を撃ちまくれた“力を持つ者たち”も、非戦闘民をかばいながら逃亡するというリスクを背負う。観る側からすれば、前作に比べ、よりスリリングな要素が加わっているのだ。

これは同時に、「アリスがいれば大丈夫」「ゲームのヒロインでもあるし、ジルは生き残るだろう」という観客の甘い期待を打ち壊す危険性すらはらんでいる。戦う者たちの奮闘はどこまで続くのか。どういった手段でこのピンチを乗り越えるのか、それは本作のアクション性と絡まって、観客の目を更に引き付ける。

そして、“力を持たない者”のうち、一体誰が最後まで生き残るかにも観客は注目する。

ゾンビものやパニックホラーには、「誰が最後まで生き残るかを予想する楽しさ」というものが存在する。

今作では非戦闘民がたくさん登場するため、いくらでも無残凄惨な“死にシーン”を用意することが出来る。モブキャラだけではなく、ある程度仲間として行動を共にした人にしても同様だ。

力なき彼らが、迫りくるゾンビや謎のクリーチャーに怯えながら、必死で活路を見出していく姿は非常に見ごたえがある。

こうした一挙両得的な面白さを表現できるのも、ラクーンシティを舞台とした『バイオハザード2』随一の武器なのである。

なお、こうした“持つ者”と“持たない者”のサバイバルを描いた作品としては、ゾンビ・パニックホラーとしてこの『バイオハザード』シリーズがピカイチであると筆者は思っている。もともとゲームに土台を作られたものとはいえ、弱い者の視点に立てばゾンビに怯える恐怖を、強い者は未知のクリーチャーと戦うスリルとアクション性を、という美味しいとこ取りが出来るのは『バイオハザード』の世界観があってこそだ。

たとえばゾンビパニックものとして『ウォーキングデッド』は面白いが、強い者はとことん強すぎてウォーカー(ゾンビ)を恐れなくなっている。怖さ・不気味さ天井知らずのクリーチャーを生み出せるゲーム出身の『バイオハザード』だからこそ、常にスリルを提供できるのだろう。

一作目よりもレベルアップが求められるが、果たして

さて、最後にこの映画が前作と比べ、どのように進化したかについても述べたい。

前作『バイオハザード』はまだCG映画出はじめの時期(2002年なので、まだまだ技術的にはおぼつかなかったように思う)だったせいもあり、ゾンビ犬やリッカーなどのクリーチャーが中途半端で、ゲームファンが上から目線で「まぁ見れなくはないよね。ゾンビに比べれば」と言うほどだった。ゾンビのメイクについてはお察しである。

ところがこの二作目になると、ファンの目が更に厳しく光ることになる。何故ならボスキャラクターとして、ゲーム三作目に出てくるボスキャラ“追跡者(ネメシス)”が映画に登場するからだ。

知ってのとおり、追跡者はかろうじて人の形を保っているだけの怪物であり、しかし元人間だけあって動きや走り方は人間そのもの。中途半端なCGで表現したら放送事故必至なシロモノなのだ。

「追跡者は映画で表現できる訳がない」「映画は二作目で黒歴史決定」とファンは揶揄したが、フタを開けてみれば、あまり追跡者の出来は気にならなかった。

なぜかというと追跡者のCGがファンを唸らせるほど素晴らしかった訳ではなく(むしろお察しレベルだった)、俳優陣の演技、特にアクションが大変見ごたえがあったため、そっちに観客の注目が集まったことでカモフラージュされたのではないか、と筆者は考えている。

シリーズメインヒロイン、ジル役のシエンナ・ギロリーはジルのイメージを壊さず大きく外れずの好演を見せたし、ミラ・ジョヴォヴィッチのアリスのアクションは更に進化を遂げた。バイクでステンドグラスを割って教会に突入するシーンなどは圧巻の一言である。ミラの迫真の演技があってこそ、お察しの追跡者vsアリスも素直にのめりこむことが出来たのだろうと思う。

俳優陣に助けられた二作目のCGは、『3』『4』『5』とシリーズを重ねていくごとに進化し、むしろ俳優陣を引っ張るほどにまで成長を遂げている。

以降のシリーズがどう進化したかは、また別の機会に述べたいと思う。

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強すぎるアリスにワクワク

前作からの続きとして前作第1作目のバイオハザードでは、難を逃れたかに見えたとたんにマットもアリスもつかまってしまうというラストであった。アポカリプスはその続きから始まる。監督は変わっているが、脚本が前監督ということもあって、物語は違和感なく進んでいるように思う。そして、このアポカリプスで描かれるのは、人間の世界の終末の始まり。まさにアポカリプス(黙示録)を意味する、神が人間に示すものの始まりだ。人間こそが頂上にあり、生物兵器を操れると思っていて、実験を始めたけれども全然扱えない。そして気づいたときにはもう後戻りはできなくなっている。その時の流れを順を追って見せられるため、これは本当に起きるかもしれない…と思わせる恐怖がある。っていうか、アンブレラ社もバカって言うか、社員を派遣して地下の入り口開けたらゾンビに喰われるっていう…そこでまたあの頑丈なドアを閉めることなんざ無理って話で。あとは...この感想を読む

4.54.5
  • kiokutokiokuto
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