大ヒットゲーム実写化、第二作目
舞台はラクーンシティ。ゲームとの最後のリンク作品
最初に、ゲーム『バイオハザード』シリーズについて少し説明をしよう。
第一番目のシリーズ『バイオハザード』の舞台が洋館であることは、ゲームをプレイしていなくても多くの人がご存知だと思う。洋館、寄宿舎、研究所という流れを経て、主人公たちは脱出することになる。
そして次作『バイオハザード2』では、洋館のあったアークレイ山中にほど近い地方都市、ラクーンシティが舞台となる。限られた閉鎖空間で発生したゾンビパニックがついに街へ。多くの力を持たない市民がゾンビたちの餌食になる中、主人公たちは惨劇の街から脱出していく……。
ここまで説明すればお気付きになるだろう。これは、映画『バイオハザード』シリーズとほぼ同じ構成になっているのである。なお、映画『バイオハザード3』からは大きく物語が分岐するので、ゲームと映画の物語がリンクするのはこの二作目が最後といっていい。
以降のシリーズでも、キャラクターやクリーチャー、ちょっとした小道具などで原作ゲームとクロスオーバーすることもあるが、ラクーンシティなどといった大舞台がリンクするのは本作『バイオハザード2アポカリプス』が最後である。
力を持つ者の奮闘、持たない者のあがきはどこまで
さて、映画『バイオハザード2』の見どころといえば、力を持つ者と持たない者がはっきりと分かれる、という点だろう。
作中でいえば力を持つ者とはアリスやジル、カルロスといった特殊部隊など戦い慣れている者たち。そして後者こと力を持たない者は、テリやLJなどが挙げられる。
研究所が舞台になっているシリーズ一作目と違い、今回は非戦闘民が数多く暮らす街が舞台だ(前作はハイブという研究所が舞台で、非戦闘民はほぼ存在しなかった)。ゆえに、前作であれば銃を撃ちまくれた“力を持つ者たち”も、非戦闘民をかばいながら逃亡するというリスクを背負う。観る側からすれば、前作に比べ、よりスリリングな要素が加わっているのだ。
これは同時に、「アリスがいれば大丈夫」「ゲームのヒロインでもあるし、ジルは生き残るだろう」という観客の甘い期待を打ち壊す危険性すらはらんでいる。戦う者たちの奮闘はどこまで続くのか。どういった手段でこのピンチを乗り越えるのか、それは本作のアクション性と絡まって、観客の目を更に引き付ける。
そして、“力を持たない者”のうち、一体誰が最後まで生き残るかにも観客は注目する。
ゾンビものやパニックホラーには、「誰が最後まで生き残るかを予想する楽しさ」というものが存在する。
今作では非戦闘民がたくさん登場するため、いくらでも無残凄惨な“死にシーン”を用意することが出来る。モブキャラだけではなく、ある程度仲間として行動を共にした人にしても同様だ。
力なき彼らが、迫りくるゾンビや謎のクリーチャーに怯えながら、必死で活路を見出していく姿は非常に見ごたえがある。
こうした一挙両得的な面白さを表現できるのも、ラクーンシティを舞台とした『バイオハザード2』随一の武器なのである。
なお、こうした“持つ者”と“持たない者”のサバイバルを描いた作品としては、ゾンビ・パニックホラーとしてこの『バイオハザード』シリーズがピカイチであると筆者は思っている。もともとゲームに土台を作られたものとはいえ、弱い者の視点に立てばゾンビに怯える恐怖を、強い者は未知のクリーチャーと戦うスリルとアクション性を、という美味しいとこ取りが出来るのは『バイオハザード』の世界観があってこそだ。
たとえばゾンビパニックものとして『ウォーキングデッド』は面白いが、強い者はとことん強すぎてウォーカー(ゾンビ)を恐れなくなっている。怖さ・不気味さ天井知らずのクリーチャーを生み出せるゲーム出身の『バイオハザード』だからこそ、常にスリルを提供できるのだろう。
一作目よりもレベルアップが求められるが、果たして
さて、最後にこの映画が前作と比べ、どのように進化したかについても述べたい。
前作『バイオハザード』はまだCG映画出はじめの時期(2002年なので、まだまだ技術的にはおぼつかなかったように思う)だったせいもあり、ゾンビ犬やリッカーなどのクリーチャーが中途半端で、ゲームファンが上から目線で「まぁ見れなくはないよね。ゾンビに比べれば」と言うほどだった。ゾンビのメイクについてはお察しである。
ところがこの二作目になると、ファンの目が更に厳しく光ることになる。何故ならボスキャラクターとして、ゲーム三作目に出てくるボスキャラ“追跡者(ネメシス)”が映画に登場するからだ。
知ってのとおり、追跡者はかろうじて人の形を保っているだけの怪物であり、しかし元人間だけあって動きや走り方は人間そのもの。中途半端なCGで表現したら放送事故必至なシロモノなのだ。
「追跡者は映画で表現できる訳がない」「映画は二作目で黒歴史決定」とファンは揶揄したが、フタを開けてみれば、あまり追跡者の出来は気にならなかった。
なぜかというと追跡者のCGがファンを唸らせるほど素晴らしかった訳ではなく(むしろお察しレベルだった)、俳優陣の演技、特にアクションが大変見ごたえがあったため、そっちに観客の注目が集まったことでカモフラージュされたのではないか、と筆者は考えている。
シリーズメインヒロイン、ジル役のシエンナ・ギロリーはジルのイメージを壊さず大きく外れずの好演を見せたし、ミラ・ジョヴォヴィッチのアリスのアクションは更に進化を遂げた。バイクでステンドグラスを割って教会に突入するシーンなどは圧巻の一言である。ミラの迫真の演技があってこそ、お察しの追跡者vsアリスも素直にのめりこむことが出来たのだろうと思う。
俳優陣に助けられた二作目のCGは、『3』『4』『5』とシリーズを重ねていくごとに進化し、むしろ俳優陣を引っ張るほどにまで成長を遂げている。
以降のシリーズがどう進化したかは、また別の機会に述べたいと思う。
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