愛すべき単純な物語。質の高いステージを楽しもう!
シンプルにわくわく嬉しい、爽やかな作品
1954年作品。いいですねえ、たまに古い時代のミュージカル映画を見ると、単純にシンプルにわくわくと嬉しくて、何の陰謀も殺戮も暴力もセックスもなくて、実に人生はシンプルで愛に満ちていて、悪くないものだと思えるのです。この作品もそんな時代の心が洗われるような爽やかな作品です。
監督のウォルター・ラングは、元々サイレント映画の監督から始まっていますので、この作品を撮影した当時は、彼のキャリアにおいては、もうその時点で相当なベテランといった状況でした。ある意味、古き良き時代の監督だったと言えると思います。
ですので、この作品もこなれて肩の力が抜けて、人間関係の葛藤もあっさりしていて、細かい部分の整合性とかは、まあいいじゃないかと鷹揚に脇に置いておくといった良い意味での大らかさがあります。映画としてはいささか物足りないくらいにすんなりと見られる箇所もありますが、とにかく楽しくショウを見せる、キラキラと輝くような魅力のあるステージを見せるということを大事に考えた構成になっています。
そして実際、ステージは素晴らしいです。タイトルの通り、まさに「ショウほど素敵な商売はない」。演者も心底楽しみながら、生き甲斐を感じながらステージの上で生きている。ステージと共にドナヒュー一家の人生は流れていく。そこには時に驚きや悲しみもあるけれど、概ねステージある限り、彼らを待ち、歓待してくれる観客がいる限りにおいて、誇り高くほがらかにあっけらかんと人生は流れて行く。ねえ、そんなに深刻にむつかしく考えることはないんじゃない?そう問われるかのように、彼らは表裏なく愛し合い、笑顔で歌い踊るのです。なんてシンプルで良い時代だったんだろうと憧れるような思いで作品に見入りました。
マリリン・モンロー!
この作品の魅力は、やはりマリリン・モンローの存在なくしてはあり得ないでしょう。1953年に「ナイアガラ」で一気にスターダムにのしあがった彼女。同年に「紳士は金髪がお好き」「百万長者と結婚する方法」と立て続けにヒット作を連発したのち、翌年に撮影されたのがこの「ショウほど素敵な商売はない」です。
もっとも、マリリンの念頭にあったのは「七年目の浮気」の主役の座であり、この作品のヴィッキー・パーカー役というのはその主役を得るためのバーター取引だったというのは有名な話。セックスシンボルである彼女を客寄せパンダとして映画をヒットさせようと、当初想定されていなかったキャラクターをマリリンあて書きで脚本を新たに作ったものとなっています。
しかし、撮影期間も短く、そんな適当な経緯で出演したにも関わらず、この作品におけるマリリンの魅力は、他の作品同様やはり素晴らしいものがあると思います。セックスシンボルという側面ばかりが取り沙汰されますが、こんなにも歌も踊りも素晴らしいんだと改めて実感させられますし、特にマイアミでのラテンナンバーのステージ、映画内ではリハーサルという設定でしたが、これはこの作品における他のステージ同様、振り付けからカット割りから非常によく練られた完成度の高いもので、見応えも十分です。
ミュージカル役者としてしっかりと良質な仕事をしているということはもちろん素晴らしいことですが、この時代の役者さんたちは皆相当歌えて踊れて当たり前という層の厚さはやはりあります。
その上で、この作品を印象深いものにしているのは、マリリン・モンローの特別な存在感だということは疑いようのない事実だと思います。やはり彼女というのは実に特別で、他に比べるものが無い程に唯一無二でかけがえのない人であると思います。
その上、晩年の心身のバランスを崩しがちだった頃とは違い、まさに「これから」。大リーグのスター選手、ジョー・ディマジオと結婚もし、飛ぶ鳥落とす勢いだったころのマリリンです。優れた俳優が世の中に勢い良く出て来る時の特別なオーラを彼女はやはり放っており、同性である私でもちょっとどきどきするようなチャーミングさがあり、もうこれは周囲の女性たちも白旗を上げるしかなかっただろうな、というような圧倒的な存在感があります。画面のどこにいても、彼女に視線が行ってしまう、そんな特別な存在感をたたえたマリリンを見ることが、この作品の大きな値打ちのひとつであると言えると思います。
質の高いキャストたち、愛すべき単純さ
もっとも、モンローの魅力が引き立つべく、ティムはじめ他のキャストやエキストラの脇役に至るまで、出演していたミュージカル俳優たちは実に高いスキルでもって観る者を楽しませてくれました。
お母さん役のエセル・マーマンはブロードウェイの女王と言われた名ミュージカル俳優ですが、彼女のオンステージも圧巻でした。最後には失踪したティムに代わり、もみあげつけた海兵隊のおじさんにまで扮して、でも実に楽しそうに悠々と歌い踊る。その安定感はすごいものがありました。
現実世界においても、エセルのような人は徐々に過去の人となり、マリリンのような若くてセクシーな女優に全部持って行かれる、みたいな状況はリンクしていたのではないかと思います。それだけに、マリリンとエセルの対話のシーンはどきどきしましたが(笑)、結果的にエセル扮するドナヒュー夫人はマリリンのティムへの愛を信じ、温かく迎え入れ、最終的にはマリリンも含めた6人で朗らかに歌い踊って幕を閉じます。
このてらいのない、ハッピーエンド!じつに愛すべき単純さ。
ほんとうに、賢そうに見えるとか、誰にも突っ込まれないようにとか、そういうことを考えず振り切って作れた時代の鷹揚さが素晴らしいなと思います。今ではきっと色んな人が色んなことを言うから、このシンプルさはむつかしいでしょう。整合性なんて、ほんとはそんなに大事なことじゃないんだ、こういう古き良き時代の作品を見ると改めて思うことです。
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