原作の再現度が高い!!
主演:松山ケンイチ
映画作品「デトロイト・メタル・シティ」の凄さを感じたのは、松山ケンイチという俳優の凄みです。
松山ケンイチというと、漫画原作から実写化された「デスノート」という映画作品の、「エル」こと竜崎を演じていたイメージがありました。凄く独特の雰囲気の人物像で、個性の強いキャラクターだったように思います。しかし、松山ケンイチは、原作のイメージ通りに演じていたので、すごく印象に残っています。
そして、映画本編の根岸というキャラクターにおいても、「デスノート」の竜崎とは違い、別の方向性で個性の強いキャラクターだと思います。また、「クラウザーⅡ世」においても、同様のことがいえます。
しかし、原作のイメージを崩すことなく、原作ファンも納得ができる柔軟な演技だったように思います。
主人公の根岸という役の、内股での歩き方や気持ち悪い動作も、根岸のイメージを見事に再現していたのではないでしょうか。どことなく、気持ち悪さを感じさせるのは、お笑いコンビ「アンガールズ」を彷彿とさせます。髪型的には、「アンガールズ」の田中ではなく、山根を思い浮かべます。自己主張が強くもなく、脇からメインをサポートする役割も、根岸のキャラクター性は、「アンガールズ」山根と重なる部分が強いように思います。そして、「アンガールズ」山根を思わせる松山ケンイチの演技が凄いと思うのです。
松山ケンイチの演技力が、映画本編を支えていたことは間違いありません。
映画作品「デトロイト・メタル・シティ」が、原作のイメージを崩すことなく観れるのは、松山ケンイチが演じる根岸があったからこそだと思います。
加藤ローサ
残念なポイントとして、ハーフタレント・女優である加藤ローサのイメージは、純日本人である相川由利に重ならないように感じられます。
キャスティング面で残念に思ったのは、そこだけです。決して、加藤ローサの演技が悪いのではありません。ただ、間違いなく、キャスティングを担当した方がおかしいと思えるのです。
明らかにハーフである顔立ちをした加藤ローサは、違和感が漂い、拭うことができません。映画作品において、ヒロインの役割や存在感は非常に大きいと思うのです。もちろん、「デトロイト・メタル・シティ」という映画作品においても、重要なポストになっていました。
また、原作における根岸は、胸の大きな女性が好みだったはずです。
しかし、加藤ローサは、スタイルの良さを売りにしているタレント・女優ではないように思います。
探してみれば、由利に適役だと思われる方はいたのではないでしょうか。きっと、アイドルユニット「AKB48」のメンバーや卒業生に、由利のイメージ合いそうな人物が居るように思います。例えば、大島優子であれば、由利のイメージに合致するように思えます。
松雪泰子
芸能事務所、デスレコードの社長として印象はピッタリでした。
美しい顔立ちとは裏腹に、過激で汚い言葉が飛び出すのも、映画作品ならではの楽しみ方ではないでしょうか。細い身体の戦に、衣装がよく似合っていました。殴ったり、蹴飛ばすイメージがない女優ですが、見事にハマッていたように感じられます。
高飛車なキャラクターとして、「白鳥麗子」を演じていたことで記憶に残っています。
だからこそ、松雪泰子のイメージもしっかり馴染んだものとして受け入れられたのだと思います。ただし、「FUCK」の口数は少なかったように感じました。そして、「FUCK」と叫ぶ際の声量が小さく思えたのは、私だけでしょうか。また、根岸にハイキックをあびせる場面がありましたが、ミドル・ローキックでも良かったように思えます。松雪泰子ができないであろうハイキックをさせる場面には違和感があり、リアルな描写じゃありませんでした。
もし、松雪泰子がデスレコード社長じゃなかったとしたら、誰が適役だったでしょうか。
私の勝手なキャスティング案としては、杉本あやを推挙します。
SMの女王としても、キャラクター性に全く違和感なくハマる方だと思います。デスレコード社長に思い浮かべるイメージは、SM女王のキャラクター性であり、杉本あやは印象がピッタリ一致するのではないでしょうか。
宮崎美子
宮崎美子も、主人公の母親役として、非常に優しいイメージを漂わせていました。
誰かの印象に被ると考えていたら、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズで母親役を演じていた薬師丸ひろ子さんの印象と重なりました。
両者ともに美人であり、笑顔が素敵で印象的な女優です。
また、人物像から優しい雰囲気が溢れた女優だともいえます。
根岸の母親役として、主人公を見守りながらも応援する役割として、放っている雰囲気は、映画本編の中でも際立っていたように感じられます。このような母親だから、このような息子が育つのだと自然に感じることができました。そして、原作の再現度も、とても高いと感じられるのです。
さらに、原作より母親の存在感は強く感じられ、主張は強かったように思えます。
それは、登場する場面の多さにも起因するのでしょうが、宮崎美子の存在感と演技力によるものが大きいのだと思います。映画本編を観ていると、素直にこんなお母さんが良かったと感じられる理想的な母親像であり、ほのぼのとさせてくれました。
また、息子である主人公にも強い愛情を感じられ、本当に素敵な家族像だと思えました。これは、宮崎美子の力に他ならない部分ではないでしょうか。
実写での映像化
「デトロイト・メタル・シティ」の原作は、漫画作品であり、OVA化がされ、実写で映像化されたコンテンツです。
私自身は、原作漫画を読んでいませんが、OVA作品が好きで、実写版「デトロイト・メタル・シティ」を観ました。OVA作品を観ているだけに、どこまで再現されているのか、楽しみでした。OVA作品「デトロイト・メタル・シティ」は、過激な表現が特徴的な内容です。そのままの内容を実写映画という媒体で再現するのは、さすがに不可能だろうとは思っていました。しかし、実写映画の再現度は、比較的に高いもので、ほぼOVA作品通りのイメージで制作されていたように思います。
確かに、過激な表現は抑えられたように感じられます。
しかし、過激な表現を抑えなければならない中、よくぞ、ここまで頑張った、と思いました。
OVAと映画の比較
映画作品「デトロイト・メタル・シティ」において、OVA作品「デトロイトメタルシティ」との相違点で、最も目立ったのは、描かれている順序の違いではないでしょうか。
無理矢理、映画のストーリーに、OVA作品のエピソードを当てはめたように感じられました。展開の順序が違うことで、OVA作品とは違う印象をもちました。また、再現されていなかった場面もあり、残念さがあります。私は個人的に、「クラウザーⅡ世」が、東京タワーに腰を打ちつける場面が好きだったので、それが再現されていなかったことが心残りです。
順序が変わっていた点、変更されていた点で大きかったのは、根岸が東京から田舎に逃げ出てしまう場面だと思います。OVA作品では、あくまで帰郷という位置付けで、根岸は両親の元に帰ります。しかし、映画作品の本編では、音楽の夢を諦め、田舎に帰ってしまう場面に変わっていました。
実家に戻り、根岸の弟が「クラウザーⅡ世」の悪影響を受けていた場面は、OVA作品通りのエピソードでした。しかし、映画作品本編の方が、根岸の成長ぶりをドラマチックに描こうとする意図を強く感じられました。
また、OVA作品「デトロイトメタルシティ」では、「クラウザーⅡ世」の正体に、両親が気付いていたのか、明確にされていませんでした。むしろ、根岸の両親は、「クラウザーⅡ世」の正体に気付いていなかったのではないでしょうか。しかし、映画作品では、「クラウザーⅡ世」の正体に、両親が気付いてしまうことが明確に描かれていました。
根岸の両親が「クラウザーⅡ世」の正体に気付き、根岸を応援した為、一度は夢を諦めて田舎に帰った根岸が立ち直るキッカケになりました。ドラマチックな展開に仕上げようと、意図的に内容を変えたことが伺えるのです。
このことから言えるのは、OVA作品「デトロイトメタルシティ」はギャグアニメの色が強かったですが、映画作品「デトロイト・メタル・シティ」は、主人公である根岸の成長を描いた物語という色が強くなっているということです。
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