ベタに運ぶ若い大人の恋愛に見せかけて、深いテーマ
美しい音楽での幕開け
トム・ウェイツのピアノの美しい、声の渋い歌で夜のニューヨークの街が映されながら始まりますが、ブライアンが泥酔している原因こそが映画の導入部です。カトリック教会の神父のブライアンと、ユダヤ教のラビのジェイクは幼馴染で、宗教は違えども2人ともそれぞれ神に仕える大親友です。そこに共通の幼馴染、アナ・ライリーが戻ってきて再会します。これが、二人のあこがれだったアナ・バナナ。このアナ・バナナが、特に美人というわけではないと思うのですが、シンプルにまとめたファッションや髪型も総合してとても魅力的でした。てきぱきハッキリしたキャリアウーマンで、二人とも彼女に惹かれていきます。しかしブライアンはカトリックの神父、結婚どころか恋愛すら許されていない彼は職業を間違えたかと悩む一面も。一方ジェイクもユダヤ教のラビ、結婚相手はユダヤ教徒しか許されていません。
一線を越えてしまう聖職者と越えない聖職者
結局ジェイクとアナが一線を越えてしまって、でもブライアンには内緒にしておくということになります。でもそんなことを知らずに、禁欲の契りに悩みながらも彼女との色っぽい夢を見て飛び起きたりしてしまうブライアンがとても不憫でした。そんな中、ジェイクと真剣に付き合おうとしてアナが「転勤の話を断る」とジェイクに言い、そこでどうなるか、これがベタに「ジェイクが冷たくなる」が正解です。自分のために転勤を断るなんて重いですから。そして何より、彼女はユダヤ教徒ではないのですから。一方、何も知らないブライアンは彼女のために信仰を捨てるべきかと悩んで悩んでいるので、ジェイクの「軽い付き合い」と比べると不憫です。先輩の聖職者に相談をして「身も心も神に捧げてはいるが、10年に一度は恋に落ちることもある」とアドバイスをされているようなブライアンと、最初から「教徒ではないので結婚できない」ことが分かった上で一線を越えてしまうジェイクの真剣さの差を浮き彫りにしているのでしょうか?
原題:Keeping the Faith
日本でのタイトルは「僕たちのアナ・バナナ」で、内容にしっかり合っています。しかしこれでは「三角関係の恋愛コメディだな」という響きが強すぎると思います。しかし、原題 Keeping the Faith(信仰を守る事)であれば、日本ではとっつきにくい印象なので素晴らしいと思います。実際ジェイクとブライアンは、ユダヤとカトリックの壁を越えて共通のカルチャーセンターを立ち上げたり、説法も聞いて楽しいエンターテインメント性のあるものにしたりと、街で人気の聖職者になっています。背景がとても相応しく、素晴らしい原題だと思います。普段はかけ離れた意味の邦題がつくとげんなりしてしまうことが多いのですが、ラブコメディ要素、しかもとてもベタな要素なので、宗教問題に疎い日本では「僕たちのアナ・バナナ」で大成功だと思います。
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