コミクロンがもし生きていたら?
コミクロンが死んだ理由
「我が呼び声に応えよ獣」においてあっさりと殺されてしまったコミクロン。当時のオーフェンも「彼はコミクロンだったのか」で済ませてしまう始末でしたね。
しかしこれは無理もないこと、だってこの巻が書かれたときはコミクロンの設定なんてほとんど無いも同然だったのですから。この時点では牙の塔時代のクラスメイトの一人でしかなく死ぬことで化け物と化したアザリー、というかチャイルドマンの恐怖を際立たせるだけの存在だったのです。
哀れなコミクロン。
プレオーフェンにおけるコミクロン人気
ところがどっこいオーフェン自体の人気が出て、最初は一作完結のつもりだった作品の続編や無謀編が続けられていくなかでついにプレオーフェンにおいてコミクロンの出番がやってきましたね。
まさかのおさげやキースもかくやという感じの奇行っぷりに私を含めた読者のハートをがっちりとつかんでくれました。彼のおかげでドーパミンやエストロゲンなどの単語を無駄に覚えてしまったのも懐かしい話です。
とまあこうもコミクロン人気が出てくると是非とも期待したいのが本編への彼の登場、しかし彼は既に本編で死んでしまっている。こうなれば作者である秋田先生のウルトラCに期待するしかありませんでした。
しかし…。
コミクロンは「死の願望を代行した」?
言うまでもなくアザリーの台詞、考えですね。チャイルドマン教室の生徒たちは教師であるチャイルドマンからそれぞれ受け継いだものがあり、コミクロンにとっては「死の願望を代行すること」であった、と。
もっともらしく書いてあったし、当時はなるほどなあ、としか思いませんでしたが今考えるとアザリーもひどいマッチポンプですね。
結局アザリーがバルトアンデルスの剣を使用して化け物に変わったりしなければチャイルドマンも彼女を探そうとしませんでしたし、その挙句にコミクロンやチャイルドマンが死ぬようなことにはならなかったでしょう。
そんな彼女がコミクロンの死の意味をしたり顔で語ってるんですから何をかいわんや、って感じですね。当時オーフェンのヒロインの中でアザリーを好きになれなかった理由が今になってよく分かりました。
もしコミクロンが生きていたら?
オーフェンファンにとっては最大のifの一つであるのは間違いありません。プレオーフェンにおける彼の暴れっぷりを読むとそう願ってしまうのは先にも述べた通りです。
しかし「あいつがそいつでこいつがそれで」もとい、「キエサルヒマの終端」におけるキースの落ち着きっぷりを見てしまうとコミクロンが生きていても地人たちのような狂言回しポジションが精々だった、という気がしてならないんですね。
秋田先生はある意味で禁忌でもある「ギャグキャラ殺し」を行ってしまっています。これは読んで字のごとくギャグキャラをそのままの意味で殺してしまう、ということです。そしてまたこれはコミクロンのことではありません。
真面目になったキース(まあキースならなんだってアリな気はしますが)やこの「ギャグキャラ殺し」のことを思うとコミクロンのキャラクター性は本編では生かせなかったのは間違いありません。
結局のところコミクロンの人気は「既に死んでしまっているから」という要因も大きかったのではないでしょうか。もし仮に生きていたとしてもボルカンとドーチンくらいの印象でしなかった気がしてなりません。
そう考えると「獣」においてコミクロンが死んでしまったのは適材適所、と言えるのかもしれませんね。
(もしくはそのように作品を仕上げていった秋田先生恐るべしかも)
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