若き日のアル・パチーノの魅力
アメリカの荒涼とした大地を舞台にしたロードムービーが好き
アメリカ大陸を舞台にしたロードムービーが好きです。どこまでも続く埃っぽい荒涼とした大地に一本、地平線までどこまでもどこまでも続く道が続いている、あの独特の風景。
水も電気も何も無く、こんなところにひとり取り残されてしまったらと思うような心許なさなのに、同時に広々とした自由な気持ちになる。その圧倒的な景色は、生きるということの意味を限りなくシンプルに感じさせてくれます。その危険と隣り合わせの自由な感じが、果てしのない感じが無性に好きで、時々この風景が見られる映画を探して見てしまいます。
作品は荒涼とした大地に、どこから現れたのか、徒歩で柵をくぐって車道にやってくるマックス(ジーン・ハックマン)の映像から始まるけれど、ちょっと「パリ・テキサス」のようです。埃っぽい道をタンブル・ウィードがくるくると回りながら風に運ばれて行く。
アメリカの大部分はこうした巨大な荒地であり、どこまでも続く道に繋がれ点々と、砂漠のオアシスのように町々がある。そこにはそれぞれ独立したローカルな世界があって、旅人はあくまで気楽に流れ行く。そういう開放感が、今のグローバル化された世界においていまだ感じられるものなのかどうかは分からないけれど、少なくとも40年前のこの映画においてはそれは確かな実感を伴って感じられるものです。気楽というか、ちょっとびっくりしてしまうほど適当というか。 そのどこかハードボイルドな感覚が心地良い作品です。
アル・パチーノに魅了される
ひょんなことから出会った二人の冴えない男が、成り行きで道中を共にすることを描いたこの作品は、旅する二人が動きながら人や事件と出会い、別れるその出入りを観客も疑似体験するという側面と、主役の二人の関係性の変化という側面を軸につくられています。
出会いと別れ、旅の疑似体験という面においては様々なロードムービーの定石なわけですが、この作品を名作足らしめているのは、やはり二人の関係性において、 監督がユーモアのある細やかな演出をしたという部分と、ふたりの俳優の、「彼らそのものの魅力」のなせる技だったのではないでしょうか。
ジーン・ハックマンの演じた、リアリティのあるブルーカラー系アメリカ人のマックスの存在もこの作品にとてもよく馴染んでいましたが、個人的にはこの作品にお けるアル・パチーノの魅力は、彼の出演作の中でも特に抜きん出たものであると感じます。この小柄なイタリア系アメリカ人は、画面のどこにいても自然と視線を集める、特別な存在感を放っています。
この作品を監督したジェリー・シャッツバーグは多作な監督ではなく、80年代以降は目立った作品を残していませんが、アル・パチーノを見出したという意味においては(ファンのひとりとして)大きな功労者と言っていいと思います。「スケアクロウ」に先立つこと2年、シャッツバーグの「悲しみの街角」は、アル・パチーノの出世作であり、続く「ゴッドファーザー」で世界的な名声を得て、そして再びシャッツバーグの「スケアクロウ」の主演を得たパチーノ。
この後、紆余曲折を経ながら押しも押されぬ大御所になってゆくアル・パチーノという人が、きらきら輝くような魅力を放ちながら世にどんどん出て来た頃の、何かかけがえのない特別な感じがこの作品の彼には感じられて、フランシスを見ていると胸をぎゅっとつかまれるような気持ちがします。赤いリボンをかけた箱を大事に抱えて旅する不器用なフランシスのいたいけなこと。
アル・パチーノの魅力は、大きなまん丸い子犬のような目だと思いますが、この作品ではまんま子犬みたいな役どころで、愚直なまでにまっすぐで計算がなく、誰にも軽んじられる取るに足らない人のようなのに、どこか気高くすらある。まるでフェリーニの「道」のジェルソミーナみたいに。
それぞれが「かかし」なのだということ
タイトルの「スケアクロウ」は「かかし」の意で、マックス(ハックマン)は「かかしはからすを怖がらせる為にある」と言い、フランシスは「おかしなかかしを見てからすも笑い転げ、こんなもので楽しませてくれるこの畑の持ち主はいい人だ、だから畑を荒らすのはやめよう、と思わせるためにある」と言う。
それはそのまま二人のありようとリンクしています。相手を威圧し、力でねじ伏 せて自分の利益を確保しようとする人を信じられないマックス。盗られるようなものは何も無く、ぎすぎすした争いを好まず、人を喜ばせるのが好きで誰にも優しく接する、人を信じているフランシス。
マックスは、そんな「おめでたい」フランシスのことを適当にあしらい、時には八つ当た りしたり、随分軽んじているわけなのですけど、刑務所の中でフランシスがレイプされそうになり、大怪我を負ったことをきっかけに、マックスの心に大きな変化が起きることになります。人をシンプルに信じて優しく生きて来たフランシスが踏みにじられたことに、マックスはものすごく怒るのです。
映画はマックスがピッツバーグへの往復切符を買うシーンで終わります。利己的で、人を信じないマックスが、病み倒れたフランシスの治療のために、自分が長年貯めたお金を使い世話をするとマックスは何の迷いも無く決断をする。足りないお金を汚れた靴底から引っ張り出して、それでも「往復」で切符を買う。その姿は貧乏臭く、どうにも格好悪いのに、やっていることはこの上なく格好いいというのにしびれます。ごくあっさりと終わる感じも好きです。
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