価値観
サヴァン症候群?
「一ノ瀬 海」 音感の感性ばかりではなく、第1巻の中でのサイコロステーキを噛む音からの「虫歯」の存在を感じ取る感性が、「裸の大将」の山下清画伯と重なる。もちろん山下画伯は絵画の世界でのサヴァンである。しかし、そのサヴァン症候群もそれを表出できるための出会いがないと、生まれるどころか、埋もれてしまうものが大半であろう。この「一ノ瀬 海」の表出の芽は、雨宮のお母様の発見が、ざまざまな出会いををつなぎ合わせたものであると他ならない。なのに、後の存在感はどこへ。少しばかり、発見者へのさみしさを覚えたのは「私だけだろうか。とはいえ、描かてれいる素が、サヴァン症候群だからこそなしえるストーリーと思わずにはいられない。
一途な「ピアノの森」
ページをめくるたびに旋律が聴こえて来る。少しだけ、ピアノをかじったものとしては、部分的ではあるが、作品の表情とともに「ふっ」と、入りこんでしまう。意識してそんなに聴くこともなかったクラシックを、いま聴いている。特にピアノ曲。そして、ピアノの本を購入していた。気が付くと、違う生活時間を送っているのに気付く。この単行本は、発売日までがかなり待ち遠しいくらいである。少しばかりの付随するドラマはあるが、根本には「一ノ瀬 海」の世界観が滾々と拡がっている。そんな深く一途なピアノの森」は手羽せない。ブックオフにたくさん送りだしたけれど・・・。もちろん、映画化されている「ピアノの森」は観るまで至らない。本の中のイメージのままで保存させておくためにも・・・。
姿あるあしながおじさん阿字野
「見返りを求めない無償の愛」を奏で、「一ノ瀬 海」を取り巻く人々の「幸福」をも描かれている。欲のない者のこそ、無償の愛を実現できるのではと感じる。反面、阿字野の自己実現の要素も垣間見れる。自分自身の感性や技術を伝え、生活のバックアップなど、主人公に真っ向から向き合う「あしながおじさん」的存在が、さらに「一ノ瀬 海」を引きだたせている。最終には、愛を受けた「一ノ瀬 海」が、愛をくれた阿字野へ愛をお返しする「復活劇」も描かれている。これでもか・・・と言わんばかりに出演者のハッピーエンドがあふれた終結であると感じる。「人を想う」という熱意は、自分自身までも動かす力があることがある。今の自分自身と重なる。ただし、私には財力がない(笑)。ともかく、それを阿字野自身がある意味あしながおじさんとして行動に示したことに他ならない。
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