大人になっても夢見がちな私にぴったり?
80年代のSF少女マンガ
1986年から1994年まで「花とゆめ」で連載されていた「ぼくの地球を守って」。私が読んでいたのは小学生の時ですからね、そりゃ古いマンガです。絵は初期の頃はちょ~っと時代を感じるテイストです。でもどんどんキレイに見やすくなっていきますし、とにかく続きが気になってガンガン読み進んでいました。あの頃ハマっていた「ぼく地球(ぼくたま)」、大人になった今思うことを書いていきたいと思います。
社会問題にもなった「前世の仲間探し」
このマンガのすごいところはちょっとした「事件」を起こしたということです。登場人物たちは同じ夢を共有する前世の仲間を探すためにオカルト雑誌の文通欄に投稿しますが、80年代当時、実際にこういった類の投稿で文通欄が埋まっていたとのこと。自殺未遂事件も起きたりして、作者の日渡早紀さんが「このマンガは100%フィクションです」と宣言する事態にまで発展しました。今で言う中二病みたいなものでしょうか。私自身、友達に「輪くん」などと呼ばせて悦に入っていたものです。お恥ずかしい限りです。私は前世の仲間探しには興味なかったですが(別に不思議な夢とか見なかったし)まあ気持ちはわかります。なにせ多感なお年頃の少年少女が読んでいるんです。「私の前世はなんだろう、探してみたい、」と思う人が多かったことは容易に想像できます。そしてそのことがこのマンガの人を引き込む力がどれほどのものだったかを表していると思います。
「前世」という言葉の持つ不思議な力
大人になった今思うこと、それはあの時と変わらず面白いということ。私、成長してないのかしらとちょっと不安になりますが、やはりよくできたストーリーです。この作品は現世編と前世編に大きく分けられると思いますが、月基地のメンバーの話がひとりひとり緻密に描かれていて興味深いです。まあ中にはスポットを当てられなかった某リーダーとかいらっしゃいますが。そして前世の業が、どう現世に影響してくるのかが浮き彫りになってくる・・・。汚いことをした奴もいた、恥ずべき行為をした奴もいた。でも月基地の彼らって宇宙人だという設定も相まって別世界の人たちです。そして木蓮は別格として彼らはエリート。超能力だって使えます。「前世」がそんな人たちだったら、なんだか嬉しくありませんか?私だけでしょうか。大人になって自分がどういう人間で、何ができるのかできないのか、はっきりとわかってしまった今、前世という響きにちょっと現実逃避したい自分がいるのです。かつて前世の仲間探しをしてしまった当時の少年少女も同じなのかもしれません。思春期になって人との差が出てきた、自分がわかってきた、未来が怖い、だから過去(前世)にすがりたい・・・。う~ん、やっぱり私が成長できていないだけかもしれません。
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