もっと評価されるべき作品の一つ
観にくい(醜い)ものを観やすく魅せてくれる作品
主人公は37歳女性。バツイチで仕事としてライターをしているが、それにも落ち目を感じていて、美人であるのに、自分の生き方が幸せなのかどうかわからなくなっている。「幸せとは何か」「正常とは何か」という抽象的で扱いづらいテーマを観客には笑いをとりつつ、観やすい形で、また一見万人受けするような体裁で、映画にしている。そして主人公のメイビスに扮する、シャーリーズ・セロンの美貌と演技力なしにこの映画は成り立たない。アンバランスでクレイジーだと思われながらも、観ていて不愉快にならない、でもあまり強い共感まではできない。そんな微妙なバランスを取るのは至難の業だ。監督や脚本家の手腕もあるだろう。映画の世界も主人公メイビスが抱えているような矛盾を抱えている。というのも、メッセージを伝えたいが、それをストレートに表現するだけでは観客は入らないし、かと言って観やすい映画にしてしまうと、観客の心には何も残らない。絶妙なバランスがとれている映画だと感じた。
人間は異常/正常に分けられない
つまり、私たちは異常な人と、正常な人が存在する訳ではなく、そのどちらもを心の中に兼ね備えており、何かのきっかけで異常な部分が露呈するということだ。メイビスにとっては、不安定な精神状態での元カレとの再会であり、登場人物の一人であるマットにとっては暴行を受け下半身が不自由になったことである。二人がセックスするはそのメッセージの表れだろう。ラストのシーンでも、メイビスはマットの妹との会話を通し、街に戻ってもう一度人生をスタートさせようと決意する。メイビスをクレイジーに描きながら最後には少しは共感できる女性として描く。こういった描き方に、人間は異常な面を正常な面の下に隠し持っているというのが表れているなと感じた。
リアリティに溢れる映画
メイビスが車で飲みに行き、メーカーズマークをストレートで何杯も飲み、平然と飲酒運転をして帰る。飼っている犬はほぼ放ったらかしで、朝起きてすぐにコーラをがぶ飲み。そんな所から、(少し大げさではあるが)現実ってこうだよね、綺麗なことばかりではないよねというのが伝わってくる。ましてや、妻子持ちの元カレに思いを寄せるなどということは現実にはあることだ。監督の、ジェイソン・ライトマンは『マイレージ・マイライフ』や『セッション』などで知られる監督だが、決して甘くない現実、というものを観客に考えさせる作品が多い。『ヤング≒アダルト』もそのような類の作品である。ヒーローものやスパイものなどよりも、このような日常に寄り添う作品が更に評価されるべきだと私は思う。
- あなたも感想を書いてみませんか?
- レビューンは、作品についての理解を深めることをコンセプトとしたレビューサイトです。
コンテンツをもっと楽しむための考察レビューを書けるレビュアーを大歓迎しています。 - 会員登録して感想を書く(無料)