不憫な子供がかわいそうなのではなく、比べてお前はどうなんだと問われている
実は著者は小説家でなく人生哲学書作家
はじめて、この本を手にとったときは、純愛ブーム真っ只中で、恋愛ものに限らずお涙頂戴な本が、よくでていたと思う。そういう「泣ける」と謳う作品に、げえ、と思っていたはずが、そのラインナップに並んでいたこの本を、なんで読もうと思ったのかは、覚えていない。まあ結構、題名とか本の装丁とか気にいって、どんな内容なのかまったく知らないで読みはじめることもあるので、お涙頂戴にしては控えめなデザインに、惹かれただけなのかもしれない。にしても、今あらためて本を開いてみて、袖に書かれた紹介文の「涙をなくしては読めない物語・・・」の見出しには、やはり寒気がする。そんなに「これは泣けるぞ!」と全面にPRしたら、却って興ざめする人がいて、手に取ってもらうチャンスがなくなってしてしまうのではないかと、余計なお節介に思うほど、案外安っぽい物語ではないのだ。
たしかに謳い文句の通り涙を誘われるし、ザ・お涙頂戴といった材料が揃った、べったべたの物語なのだが、不思議と皮肉や嫌味を吐く気にはなれない。ひねくれた自分などとくに、美談や同情を引くような話にアレルギーがあるのに。そう首を傾げながら読みおえて、訳者のあとがきに目を通したら、その疑問に答えてくれるようなことが書かれていた。著者、オグ・マンディーノは「人生哲学書作家」というものらしい。日本では聞きなれない肩書きで、ぴんとこないが、プロフィールには会社社長を務めながら執筆していたとあって、デビュー作もビジネス書のようだから、自己啓発の類のものを手がけてきたのだろう。だとしたら、感動的な作品を書くのが目的でなく、手段として、あえてお約束な物語を用いたのかもしれない。だから、つっこみどころ満載でも、あまり気にならずに素直に読むことができたのだと思う。また、題名の「十二番目の天使」とされるティモシーの不憫さや健気さに、涙を流すものと思いがちなところ、理由は他にありそうだった。主人公のハーディングがそうだったように、ティモシーに比べれば、真摯に生きているとはいえない自分が情けなくて、泣けてくるのではないだろうか。
ハーディングが本当に悩んでいたこと
ハーディングは妻子を亡くしたことに耐えられず、自殺しようとする。でも、悲しみ絶望したからではないように思う。成功者且つ人格者として、常に人々に注目され、おそらく嫌な顔一つせず、その期待に応えてきハーディング。おかげで周りは身内の不幸に同情をしながらも、心のどこかでは、よき夫、よき父親として、悲しみに打ちひしがれる彼の姿を、また見たがったのだろう。もちろん、そんな野次馬根性丸だしで寄ってくる人はいなかっただろうが、慰め励まそうとしてくれる人を鬱陶しがっていた彼の目には、そんなふうに写っていたのかもしれない。こんな時でも、周囲の期待どおりにふるまおうとうるなんて、馬鹿げている。といって、裏切ることもできなかったのではないかと、思う。
今まで、そうしてきたからだ。だからどうしても、周囲の目を意識せざるをえず、家族思いで慈悲深い夫らしいふるまいをしてしまう。そうやって心から悲しむことができないのが、家族に悪く、それこそ裏切っているように思った。それでも周囲の目の呪縛から逃れられないから、自分のほうが逃げようとしたのではないだろうか。
お荷物でありながら尊ばれるティモシー
誰もが羨む成功を収め、人望もあるハーディングが、人の目や期待に苦しめられていたとは、信じられない。ただ、だからこそ、ティモシーに惹かれたのだと思う。息子に似ていたのもあるだろうが、さらに彼の印象に残ったのは、投げたボールがコーチまで届かずに、周囲の子供に笑われていたのに、一緒に笑っていたことだ。はじめはチームのお荷物のように言っていたビルもこう言っている。
「しかしね、ジョン、あの子には驚かされるよ。何よりもまず、まだプレーを続けているってことが驚きさ。これまでいろんな子供をコーチにしてきたけど、あんな子は初めてだよ。あれほど三振を続けて、守りも、はっきり言ってずば抜けてへたくそだ。そういう子はこれまで、ニ、三試合で、まず間違いなくやめていったものなんだよ。自分の能力のなさを、これ以上人目にさらるのは耐えられない、ということでね」
もともと、人目を気にしたり、笑われるのが耐えられないような、普通とは違う子供だったが、周りの子供が邪魔者お荷物扱いしなかったところも、大きいのだろう。エラーで逆転され、さすがに落ちこんでいたティモシーに、同じチームのトッドは言った。
「なんだよ、お前!クヨクヨすんなよ!大リーグのスーパースターたちだって、エラーはするんだぜ。今日は俺たち、ついていなかっただけなんだよ。それだけのことさ」
根源的に人が恐いこと、それに立ちむかえているかどうか
その言葉は、ハーディングにも向けられたものだと思う。周囲の期待に応えられずに、それどころか足を引っぱるような人間は、価値がないし人に嫌われると考えがちだ。実際周囲は、トッドのように、さほど気にしていなかったりするものを、それは、多分誰もが持っている根源的な恐怖で、たとえ妄想だったとしても振りはらうのが難しく、だからハーディングは周囲の期待を裏切れないし、恥をかいた子供は野球を辞めていく。対して、人にがっかりされても、能力が低いことをさらけだしてでも、グラウンドに立ちつづけるティモシー。そんなティモシーが周りから尊ばれるのは、普通なら恐くて逃げだすところを、踏んばっていたからだ。病気だからしかたがないと、言い訳したり大目に見てもらったりすることなく、命がけで。
人は自分が劣っていることを恥じたり、周囲にどう思われるのか気にして、自分が本当にしたいことを、しないことがある。そのほうが気は楽だが、そんな自分が臆病者、腰抜けと思うところがどこかにあって、結果的には苦しいのではないかと思う。だから自殺しようとしただろうハーディングは、でもティモシーとの交流を経て、勇気を持てるようになった。病気で動けなくなったティモシーと、その看病につきっきりの母親に、足しげく家に通うと共に、金銭的な援助をする。どちらの行為も、周りからすれば、どうとも捉えられそうなことで、ハーディングに躊躇いがなかったわけではないだろうが、ティモシーを見習おうと思ったにちがいない。おそらく、現実にさまなまに憶測され陰で囁かれ、地域の成功者らしく、パフォーマンスしているように見えているのではないかと、ハーディングの頭によぎりもしたろうものを、ティモシーと一緒に過ごした日々は、きっと、これまでになく幸せなものだったはずだ。
自分だって、皆に指を差し笑われている中、平気で笑っていられる自信はない。それでも、たとえ足を震わせながら、ぎこちなくてもいいから、笑っていられたならと、すこしでもティモシーのようになれたならと、思うのだった。
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