「愛に時間を」は何故40年の時間がすぎても面白いのか?
この作品、私が最初に読んだのは18歳のころだと思う。SF好きを自称する自分はそれ以前には眉村卓、平井和正と言った日本のSFや、もっと古典的なミクロの決死圏などを読んでいた。
それらもどれも面白い。
しかし「愛に時間を」はそのどれとも違う衝撃を持っていた。何と言っても10代の若造には刺激的すぎる奔放な性の扱い、日本の作品でも性描写はあるが、レベルが違う。主人公が手を変え品を変え性的な表現を乱発し、登場する女性たちも一人残らず、主人公との性行の機会を望んでいる。これが自由の国アメリカだ!と激しく感動し、以来自分の愛読書となった。
というとまるでエロ本扱いなのだが、もちろん性描写のみでなく、作品として面白いから読み続けたのだ。
実際何十回と読み返し、今でも自分の中でベスト10に入る作品だと思う。
では何故、この作品はこんなに飽きずに読めるのだろう。
巨匠ハインラインが意図的に仕込んだ罠で、知らぬうちに自分はそれに乗せられているのか?
以降は、その仕掛けを考察していく。
主人公ラザルスの少年期、青年期、老年期が順不同にちりばめられている
この作品の主人公は、ハインラインの作品中最も有名と思われるキャラクター:ラザルス ロングだ。
彼は4000年を超えて生きており、冒頭ではまもなく死を迎える老人として登場する。
そこから話が進むと、彼が過去の経験を子孫に伝える、という形で青年期、中年期が語られる。
更に後半では、過去への時間旅行という方法で自分の幼年期に大人の自分が滞在する、という方法も取っている。
これにより、読者はどこかの成長段階の彼に感情移入しやすい。
何度も読み返しているとはいえ、考えてみれば好んで読む部分は時とともに変遷している。
20代のころに好んで読んだのはドーラとの厳しい旅と、ハッピーバレイを開拓するあたりだ。
この時点でラザルスは1000年を超えて生きていたのだろうが、おそらく20代のドーラと共に生きる事で、ラザルスも毎日を新鮮な体験としていたはずだ。20代の私もこんないつでもオッケーな女性と苦難をともにしてみたい、と身の程知らずな想像をしていた。
ところが40歳を超えた最近は、2人の奴隷を人間として育てる章や、ドーラ編の中盤以降、村が大きくなっていくシーンあたりが面白いと感じるようになった。
分析するに、私自身が自分の青春を楽しむ時期を終え、子供や後継者を育てることに関心が向くようになったからだろう。
そしておそらくこれからも読んでいくと思うが、歳を経るにつれ、ドーラの死のシーンや、老いて気難しくなったラザルスに感情移入するようになるのかもしれない。
ラザルスを取り巻くメンバーが多彩=視点が多彩
ラザルスの話を聞く役割で登場するアイラをはじめとして、この作品には数多くのキャラクターが登場するが、どの人物もそれぞれの個性と輝きを放っている。
これはラザルスだけでなく、キャラクターの立ち位置が多彩なことでどの読者も感情移入しやすい、という狙いなのではないだろうか。
例えば若い男性の代表として描かれているギャラハド、彼自身も実際にはそれなりの年齢なのだがファミリーの中では青二才的な役割を担っている。
そして、責任者としての地位を持つアイラや中間管理職的な立ち位置のジャスティンなど、社会の縮図を少ないキャラクターで十分に表している。
女性では少女であるレイズとロー、大人の女性へと成長している人間化したミネルバ、既に責任あるポジションのイシュタル、母親の代表であるモーリンと、老いの状態を見せたタマラ。
考えてみれば全ての世代を見事に網羅している。
考察してみなければ気付かなかった仕掛けだ。
これを狙ってやっていたとすればハインライン恐るべし、と言うべきか、あるいは30年も愛読書の位置づけにしながらも気づかなかった自分が愚鈍なのか?
超未来SFなのに舞台のほとんどが過去っぽくて大変読みやすい!
後半の20世紀中期への時間旅行を除いて、話のほとんどは数千年先の設定なのだが、表現としてはアメリカ開拓時代や20世紀を思わせる描写が多い。
あるいは移民惑星ターシャスの宮殿は古代ヨーロッパを思わせる情景描写ばかりだ。
例えば1980年に執筆された2010年を描くSF小説は、実際に2010年がやってきてみると現実と予想の乖離が激しすぎて興ざめしてしまう事がある。近未来SFでよくあるパターンだ。
しかし1973年に書かれたこの作品には全くそれが無い。
ハインラインの作品で、「夏への扉」は今でも人気がある作品で、ストーリーは間違いなく面白いのだが、上記のマイナスポイントが色濃く出ている。近未来がそれっぽくないので時代とともに読みにくくなるのだ。
そのためか、私はこの作品を最近はあまり読んでいない。
未来予想が外れている、などと上げ足を取るつもりは毛頭無い。単純に感情移入しずらいだけなのだ。
無理な未来を描かず、未来なのに景色はほとんど過去。
あるいはハインラインは単に自分が若く楽しかった時代や、憧れの西部開拓時代と古代ヨーロッパを描きたかっただけなのかもしれない。
それが狙いであってもなくても、結果として「愛に時間を」は40年以上前に書かれているのに今読んでも古臭くない、という得難い効果を生んでいる。
この作品は間違いなくこれからも読まれていくだろう。2100年になってもこの仕掛けが有効であることを願う。
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