オラオラしすぎて舌噛まないように。
奇才・荒木飛呂彦氏原作の「ジョジョの奇妙な冒険」。端正でありながら独特の陰影を持つ画風と、少々グロテスクながら迫力あるバトルシーン、斬新な擬音効果。まさに画を極めた者ができる神業を集めた珠玉の一作だ。
これまでのジョジョシリーズは、暗い雰囲気でまだ貴族階級のあった時代のイギリスを舞台にした一部、急激な経済発展を迎え、やがて大国として世に知れ渡ることになるアメリカを舞台にした第二部と、時代背景がメインのような作風であった。
つまり、少年漫画には不可欠な必殺技の設定が薄く、全体的につまらなかったのだ。
しかし今作「スターダストクルセイダース」は、「幽波紋(スタンド)」と呼ばれる新たな設定が加わり、盛り上がりを見せた作品になった。上記の設定はのちに8部まで受け継がれるようになる。
そしてこの作品では、ジョースター家因縁の敵・DIOもまたスタンドを持って復活する。
このDIOがジョジョシリーズの根源ともいえる「人間賛歌」を体現したかのような存在なのだ。人間の野心、憎悪、策略など負の部分を背負いながらも決して邪悪ではなく、むしろそれを煌びやかなネオンの如く現してしまうことが彼の凄みなのである。
吸血鬼となっても人間味を残し、さらなる高みを目指そうとするDIOに感激したファンもいるのではないだろうか。大胆不敵、傲岸不遜に世を支配しようとたくらみ、自らの力を使って第三部主人公・承太郎との最終決戦は素晴らしかった。
祖父のジョセフに瀕死の重傷を与えられ、怒りに燃える承太郎に向けて言い放ったDIOの一言
「お前は今まで食ったパンの枚数を覚えているのか?」
これは、現実に生きる私たちの事を指して言っているのではないかと考える。
自らが理不尽な事をしても、自らがされれば当然の如く怒る人間。その矛盾さをもはや人間ではなくなった彼が嘲笑のつもりで指摘したのではないか。そう、彼にとって人間は食料。人間にとっては、この世の野菜や家畜などが食料。根本的なことに変わりはないのだ。理不尽ではなく、当然の「摂理」なのだ。それは屈折した幼少期を過ごし、人間のエゴを見続けてきたDIOだからこそ言えたのだろう。
承太郎に倒された後も、シリーズ以降も多大な影響を与えている彼は「人間賛歌」にふさわしい人物なのではないかと私は考える。
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