店長となった伊橋の奮闘記
店長になった伊橋悟の新たな物語
『味いちもんめ』では料亭・”藤村”で修行、日本料理の心を学び、『新味いちもんめ』では経営と自分の顔つきをした料理を求めてきた伊橋悟が、ついに独立する日が来た。
その物語こそが、今回取り上げる『味いちもんめ 独立編』である。藤村に入った当時は20代だった伊橋も、おそらく30代後半から40代にさしかかり、一人の男として成熟期を迎えている。
しかし、店を構えたといって全てが順風満帆になる訳ではない。お客さんが来ない時期もあれば、初めてもった弟子の教育に苦労することもある。常連客に助けられることもあれば、いまだに自分の満足いく料理にたどり着けない苦労もある…。
一人の料理人の一代記として、『味いちもんめ』は更に味を深めていく。
『味いちもんめ』は新たなステージへ
『味いちもんめ』は、シリーズとおして主人公・伊橋悟の成長物語となっている。
『味いちもんめ』では伊橋が追い回しから煮方へ昇進するにつれて、技術的な成長と精神的成長を両方とも描いている。舞台を新橋・”桜花楼”に移した『新味いちもんめ』では、今まで修行一辺倒だった伊橋が、料亭の経営の難しさを学ぶことを重点に置いている。どちらも、一人の板前にとっては必要な勉強だ。
そこから更に進んだ『味いちもんめ独立編』では、独立し、店長となった伊橋の成長が綴られるようになる。
前述したとおり、『味いちもんめ独立編』でメインに据えられているのは経営の難しさだ。多種多用な飲食業がシノギを削る東京・神楽坂において、伊橋は自分の顔つきをした料理を提供しようと画策する。
しかし、伊橋のスタンスは京都の立場割烹”さんたか”で学んだことがウエイトを占めており、素材の持ち味を活かすことを至上としている。また、古巣である”藤村”で学んだような、”お客さんの要望に応えること”を基本理念としているため、常連や料理評論家の山賀から、「どこでも食べられる料理」「退屈でつまらない料理」とも評されてしまう。経営については触れられていないが、オーナーから提示された以上の売り上げがあるかどうか疑問である。
これが、”楽庵”の店長である伊橋が、自らの方針に疑問を投げかけるキッカケになる。『新味いちもんめ』の京都修行で、「自らの顔つきをした料理」を求めたはずだが、結局それは解決することなく人に勧められるまま”楽庵”を切り盛りすることになってしまった。それが、後々の伊橋の”楽庵”でのつまづきとなってしまうのだ。
成長物語、と一口にいっても、ここまで細やかに心境の機微を描く漫画は少ない。伊橋は自分の料理のスタンスに日々悩みながら、常連客や同僚、後輩など周囲の人々からわずかずつ影響を受けて、それをプラスに転じていく。伊橋の基本的な性格も、人を喜ばせたいという気持ちも、当初から全く変わっていない。『味いちもんめ』の成長物語は、伊橋というキャラクターがあってこそ成立するものだと再確認できる。
登場するキャラクターのひとりひとりが伏線のように張り巡らされ、彼らとの交流によって伊橋が成長していくのも、実に興味深いといえるだろう。これだけの長編であるからには、原作者も意図して配置したものではないのだろうが、後々うまくまとまっていくから不思議なものだ。
店長となった伊橋に終わりはない 日本全国旅紀行へ
自分の最終目的地である”楽庵”で、実際にお客さんを相手にするなかで、思わぬつまづきを見せた伊橋。
お客さんの理不尽な要望も、不景気な時代の流れも、東日本大震災という飲食業界全体にとって厳しい現状もあり、伊橋と”楽庵”は常に混沌とした大海原を懸命に漕ぎ出していく。
だが、伊橋の良いところは、どんな困難な局面や閉塞した状況においても、更に進みつづけるところだろう。普通、店を持って一国一城の主となったら、そこに収まってしまうのが人の常というものだ。
しかし、伊橋はそれで良しとしない。現状に甘んじることなく、なおも前身し、料理評論家・山賀やオーナーのススメによって、店を”桜花楼”後輩・青田と”楽庵”の二番・秋津に任せ、全国の味を探求しに流れの修行に入るのだ。それが『味いちもんめ 独立編』の続編である『味いちもんめ〜にっぽん食紀行〜』である。
一度は流れてしまった”自分の顔つきをした料理”の探求のため、伊橋は店長という身分になってなお、技量を高める旅に出るのだ。
折に触れて、筆者は『味いちもんめ』という作品は読んでいる読者の成長にも繋がると述べているが、今回もまさしくそうであろう。男40を超えてもまだ勉強をする伊橋の姿勢は、特に同世代の社会人たちには感銘を与えるだろう。
”桜花楼”の同僚、早瀬の実家である金沢の料亭を起点とし、伊橋の修行はまだまだ続く。
やがて東京・神楽坂へ帰ってきた伊橋は、どのような成長を遂げているだろうか。今後の『味いちもんめ』にも、ますます期待したいところだ。
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