吸血美少女ストーリーの切なさの原点
真っ白な雪が降り続く田舎町。共同の中庭を囲むように建つ集合住宅に、母親と住むいじめられっ子の少年オーウェン(コディ・スミット=マクフィー)は、ある夜、隣部屋に引っ越してきた同年代の少女アビー(クロエ・グレース・モレッツ)が、冷たい雪が敷き詰められた中庭を裸足で歩いているのを見る。
孤独なふたりはやがて惹かれ合うようになり、互いの部屋の壁を叩いてモールス信号を送ることで、秘密の会話をする。同じ頃、体中の血を抜かれる猟奇殺人が連続し、それを追う刑事はアビーに保護者トーマスに目を付けるが。
米国版の本作(2010年公開)に先立って、原作小説の国スウェーデン版(2008年)「ぼくのエリ 200歳の少女」が制作されている。
日本で入手可能なDVDでは両作の内容は同じ、と言っていいのだが、バンパイヤ美少女ヒロインのキャラが大きく違う。スウェーデン版は原作通りエリと言う名だが、彼女は実はカストラート(ボーイソプラノを保つための去勢男児)という設定。主人公の少年が、エリのシャワーシーンで手術痕に気づくのだが、さすがに日本でそのまま上映はムリ、というわけで修正されている。
米国版の本作はブレなき美少女路線で、「キックアス」でブレイクしたクロエ・モレッツがバンパイヤ・アビーを演じている。彼女の妖しい美少女っぷりに対し、スウェーデン版のエリは、設定からも中性的な顔立ち。両者甲乙つけがたし。
萩尾望都のコミック「ポーの一族」でも、バンパネラである主人公エドガーは中性的な顔立ちで、美少年とも美少女とも見える、という設定だった。不死の存在であり、子孫を増やす必要のない吸血鬼は、アンドロギュノス(両性具有)的に描かれることも多い。
映画の原題「レット・、ミー・イン(Let me in)」は、小説のタイトルを縮めたものだが、吸血鬼は獲物たる人に招き入れられないと、その部屋に入ることはできない、という設定から来ている。
鏡に映らない、など吸血鬼特有の設定を生かしたフィクションには良作が多く、本作は高野真之のコミック「Blood Alone」にも出てくるレンフィールドもの。吸血鬼は不老なのだが、彼もしくは彼女に魅せられ下僕(ドラキュラのレンフィールド)となって世話をする存在は、否応なく歳をとっていく。本作は旧下僕であるトーマスとオーウェン少年というふたりのレンフィールドの世代交代を、哀愁を込めて描いた作品でもある。
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