物語とともにキャラクターも成長している作品
「私、輝きたいんです!」輝きたいとはどういうことか?
主人公である松前緒花は、第一話の段階では「ちょっと冷めていながらも夢見がちな少女」という評価になりましょうか。ドラマチックな展開や人生を夢見ていながらも、「なんだかんだ手堅い」と自己評価しているように、ちょっと現実に冷めているような、現代には珍しくない高校生です。しかし、突然の出来事によって喜翠荘へ見習い中居として勤務し始めますが、やる気は空回りするばかり、そんな状況で、売れない小説家、次郎丸太郎とのやりとりの中で、「私、輝きたいんです!」という自分の意思に辿り着きます。この作品のテーマともなっているこのセリフにはどんな意思が込められているのでしょうか。作品の登場人物から考えるに、緒花は破天荒な母親と生活していく中で、「どうすることが正解か」「どうすれば失敗しないか」はわかっていても、「自分自身が何をしたいか」「どうなりたいのか」ということには考えが至っていないのでしょう。日々の生活で手一杯になって、本当は自分はどんな人物になりたいのか?ということが見えなくなっています。「ドラマチック」に憧れる心理はここから来ているのではと考えられます。なぜなら、ドラマや小説の登場人物は皆、「キャラクター」がしっかりとできているためです。
緒花は物語と共に段階的に成長している。
緒花は、次郎丸との一件によって、「私、輝きたいんです!」という言葉を放っています。しかしその後にも、他の登場人物や自分自身の考え、そして恋人(候補)である孝一との関係の中で、衝突や葛藤にぶち当たります。つまり最初の一件では、松前緒花は未だ未完成なのです。そして何より緒花の変化に最も変化を与えたのは喜翠荘の女将、四十万スイでしょう。孫娘に接するとは思えない厳しい態度であった当初は、緒花はスイの言いたいことを理解することができなかったのです。緒花は「友達がいない」「空気が読めない」と作中で度々言われているのは、実はスイの態度と関係があると考えられます。どういうことかといいますと、「スイは時間経過で緒花に対して優しく接するようになった」のではなく、「緒花自身が成長したことにより、スイとの対話が実りあるものになった」といえるでしょう。また、緒花は四十万の家系の中でも、泥臭くて要領の悪いキャラクターとして描かれている縁よりは、物事の本質を素早くつかみ、インスピレーションに優れる皐月の側に近い人物です。おそらくスイはその両面を持っているのでしょうが、旅館を継がせたかった皐月に近い緒花とは、共有できる考えも多かったと考えられます。この部分は、スイ、皐月、緒花の三人での「女子会」のエピソードによく現れていますね。このように仕事に関しては、スイ、皐月からの大きな影響を受けた緒花ですが、それだけではありません。同年代のキャラクターである和倉結名、鶴来民子、押水菜子からは、孝一との恋愛や、「女性」としての考えの影響を強く受けていると考えられます。特に印象的なのは民子との関わりですね。宮岸徹を巡っての民子との揉み合いでは、菜子からの事後の感想も含めて、自身の恋愛を「片思いする!」という境地に達しています。ここでも皐月が関わっていますね。このように、物語が進行するにつれて緒花は段階的に成長していくことがわかります。物語の話数は決して少なくないにも関わらず、スピード感のあるストーリー展開となっているのは、緒花の成長がめまぐるしく変化しているためでしょう。
「四十万スイになりたい」の真意とは何か?
メモ:緒花は物語終盤のぼんぼり祭りで「四十万スイになりたい」と願い札に記しています。この真意は何でしょうか。「スイのような人」ではなく、「立派な女将」でもない、「四十万スイ」になりたいと願ったわけです。これを理解するには、物語を遡る必要がありましょう。ヒントが眠っているのは、皐月が喜翠荘を訪れたときに緒花に手渡した、「感想」です。「十年一日のごとく、を守りぬくため。従業員の気概を感じる。」という部分です。ここから考えるに、緒花は常にめまぐるしく変化していますが、変化しながらも、変化しない部分の大切さにも気づいたということになります。ぼんぼり祭りのシーンに話を戻すと、緒花は「いちばん最初の気持ち」と言葉にしています。物語冒頭では「ドラマチック」…言い換えれば、「日常の変化」を望んでいたわけですが、ここへきて、スイの持つ「不変を守りぬく力」の強さに気がついたといえるでしょう。コンサルタントの川尻崇子が「とにかく変えよう」とするのに対して、スイは「変えない」スタイルを守り通しています。ではなぜスイは変えないのか、そしてそれを見た緒花がなぜ「スイになりたい」と考えたか。それは、スイが持つ「不変」であることへの誇りと自信を、緒花が理解したためでしょう。「なぜ女将さんは変えないんだろう?」という疑問が、物語終盤には見事に緒花の中で消化されている。だからこそ、「四十万スイになりたい」と書いたと考えられるわけです。ちなみに、「不変」であることに関して緒花が意識している人物はもう一人いて、それは民子です。民子の徹への思いの一途さ、不変さは物語ではそこまで深く語られてはいませんが、緒花は明らかにこれを意識しています。そして、孝一への思いも不変であろうと推測できるのです。まとめますと、実は「四十万スイになりたい」という思いは、「仕事」「恋愛」という2つの要素を主柱としながらも、それ以上に、「生き方」への強い憧れが秘められている。そういうメッセージだと考えられるわけです。ラストシーンでは、緒花はかばんにしっかりと「仲居教本」を入れています。緒花の今後の成長を感じさせるENDでしたね。
- あなたも感想を書いてみませんか?
- レビューンは、作品についての理解を深めることをコンセプトとしたレビューサイトです。
コンテンツをもっと楽しむための考察レビューを書けるレビュアーを大歓迎しています。 - 会員登録して感想を書く(無料)