キリスト教の本質って、何?
フランチェスコ派の修道士、ウィリアムと助手のアドソ。彼らはベネディクト派の修道院の会議に出席するために北イタリアへ向かっていた。その折、修道院では奇妙な殺人事件が起こっていた。亡くなった修道士は指先と舌が黒ずんでいたのだ。不審に思ったウィリアムは事件の真相を探ろうとするが、修道院の院長が良い顔をしない。ウィリアムがよそ者だからだということだけでなく、ある恐ろしい陰謀が隠されていたからだった・・・・・・。 レビュータイトルにあるとおり、この映画は私の永遠のテーマです。私は宗教関係者ではないのですが、カトリックの学校を卒業しているので、自分の体に良い物として染み付いたカトリックの教えが結局は権力の材料にされてしまっていたり、民衆だけでなく、修道院内でのヒエラルキーを絶対的にするものでした。 この映画の舞台となった北イタリアは敬虔なカトリック信者が多いですが、殺人事件はなかったとしても、もし本当にカトリックの教えを利用して人を意のままに操ることが起こっていたら、それこそ非常に忌々しいことだと思います。 この映画がフィクションであることは当然ですが、女の子が修道士に体を売るくだりはリアルすぎて見られなかったです。 それでも、キリスト教の本質を考える機会を持つためには非常にすばらしい作品と思いました。
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