キリスト教の本質って、何? - 薔薇の名前の感想

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キリスト教の本質って、何?

5.05.0
映像
5.0
脚本
5.0
キャスト
5.0
音楽
5.0
演出
5.0

フランチェスコ派の修道士、ウィリアムと助手のアドソ。彼らはベネディクト派の修道院の会議に出席するために北イタリアへ向かっていた。その折、修道院では奇妙な殺人事件が起こっていた。亡くなった修道士は指先と舌が黒ずんでいたのだ。不審に思ったウィリアムは事件の真相を探ろうとするが、修道院の院長が良い顔をしない。ウィリアムがよそ者だからだということだけでなく、ある恐ろしい陰謀が隠されていたからだった・・・・・・。 レビュータイトルにあるとおり、この映画は私の永遠のテーマです。私は宗教関係者ではないのですが、カトリックの学校を卒業しているので、自分の体に良い物として染み付いたカトリックの教えが結局は権力の材料にされてしまっていたり、民衆だけでなく、修道院内でのヒエラルキーを絶対的にするものでした。 この映画の舞台となった北イタリアは敬虔なカトリック信者が多いですが、殺人事件はなかったとしても、もし本当にカトリックの教えを利用して人を意のままに操ることが起こっていたら、それこそ非常に忌々しいことだと思います。 この映画がフィクションであることは当然ですが、女の子が修道士に体を売るくだりはリアルすぎて見られなかったです。 それでも、キリスト教の本質を考える機会を持つためには非常にすばらしい作品と思いました。

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1986年公開でフランス・イタリア・西ドイツ合作でジャン=ジャック・アノー監督の作品。舞台は14世紀、中世のキリスト教修道院。宗教論争の会議に出席するために来たベテラン修道士が連続殺人を解決する、犯人探し物語。修道士が連れてる少年の見習いが可愛らしいのです、この少年がこのままずっとずた袋を着て人生を終えるのかと思うと、どーよなぁと心寂しくなりますが。当時コペルニクスも皆全て、教会は全ての学問の集大成でした。字を読める人は特権階級で、聖書はラテン語で書かれており、普通の人は読むことも見ることも無かったのです。平民は教会のミサには出ることが許されるが、宗教は言われた事を鵜呑みにするだけだった。修道院や教会に所属する神父が、生活の規律を決め、支配していていました。ショーン・コネリの諦めたような姿と理知を感じさせる感情を抑えた仕草がよく合ってます。最後のシーンで少年僧は自分で道を選ぶようにと年老い...この感想を読む

4.54.5
  • 121view
  • 618文字

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