全編ブラックユーモア的な喜劇調で山本薩夫監督が描いた政治風刺ドラマ「金環蝕」
この映画「金環蝕」は、東宝配給ですが、当時、再生した大映製作の「わが青春のとき」に続く2作目となる作品で、石川達三の同名小説が原作であり、題名の金環蝕というのは、"まわりは金色の栄光に輝いて見えるが、中の方は真っ黒に腐っている"という意味から来ています。
昭和42年2月の決算委員会で取り上げられた、九頭竜川(映画では福流川)ダム建設落札問題を素材に、それに先立つ自民党(映画では民政党)総裁選挙の資金問題を巡る舞台裏の人間模様を、山本薩夫監督は、全編ブラックユーモア的な喜劇調で描いています。
「白い巨塔」「戦争と人間」「華麗なる一族」と、一連の告発映画に執念を燃やしてきた山本薩夫監督は、長い間、この映画の企画を温め続けてきたといいます。 そして、当時の田中金脈が世間で騒がれていた関心の高まりが、興業的な面からも企画化に踏み切らせたと言えるのかも知れません。
政治映画としては、コスタ・ガブラス監督の「Z」「告白」「戒厳令」や、ダルトン・トランボが脚本を書いた「ダラスの熱い日」等がありますが、それをフィクションとして描くか、ノンフィクションとして描くかによって、その意味合がかなり異なってくると思います。
ノンフィクションで、例えばウォーターゲート事件をドキュンタリー風に追う限り、その視点と責任は明確であり、映画的にはその事実を的確に、うまく描くかどうかにかかってきます。また、フィクションによって、政治的な立場を、一般的に明らかにする事も当然、出来ると思います。
そして、映画である以上、フィクションによる味付けは避けられないにせよ、フィクションかノンフィクションかが判然としない扱いをする場合、シナリオが良いと、部分的な事実を点在させる事が、全体を事実そのものとして我々観る者に、強く印象づけるという効果を持つ事を忘れてはいけないと思います。
この事は、「ダラスの熱い日」についても言えましたし、また、それを喜劇調で仕上げたとしても、それは、企画に伴う責任回避のテクニックだと言える場合もあるのではないかと思います。 この映画の田坂啓のシナリオは政治ドラマとして、確かに観ていて面白く、優れたものだと思いますが、しかし、この映画の喜劇調は、チャールズ・チャップリンの名作「独裁者」に見られる、痛烈で率直な批判とは違って、何か陰湿で、モデルやプライバシー問題を回避するためのもののように感じられてなりません。
この映画に登場してくる人物を見れば、その風貌からも、我々は明らかにそのモデルを推察する事が出来るのです。 学歴もなく、たたき上げの金融王の石原参吉(宇野重吉)は、森脇将光がモデルで、その人間的なライバルとして出て来る東大卒で大蔵官僚出身の官房長官、星野康雄(仲代達矢)は、黒金泰美。そして、マッチ・ポンプと言われた決算委員会の爆弾発言男、神谷直吉(三國連太郎)は、田中彰司というように。
石原参吉と星野康雄の対決が、この映画の大きなテーマになっていますが、仲代演じる星野を、エリートの持つ紳士然とした、冷酷ないやらしさを強調して描いたとしても、却ってわざとらしくて、むしろ反対に、星野が心に秘めた、総理に対する人間的な献身の情に、仲代の演技のうまさ、巧みさによって、心に響くものを感じてしまいます。
この山本薩夫監督は、その思想的な立場の影響からか、どうも人間の一人一人を生のままに見つめる前に、人間関係を画一的に割り切る、一つの冷たい図式が隠されているように思えてなりません。 何と言っても、このような映画が作れるという事は、自由な社会である事の証拠だと言えますが、観た後の感想は、観た人それぞれで意見の分かれる映画だと思います。
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