ロバート・アルトマン監督の特徴が遺憾なく発揮されたクライム・サスペンスの傑作「カンザス・シティ」
後味のいい結末は、古くからのアメリカ映画の良き伝統だと思う。正義は勝ち、悪は滅ぶ。 全ては丸く収まり、めでたし、めでたしとなる。ご都合主義で勧善懲悪などと悪口を言われたりもするが、こういうエンディングは、アメリカ映画の法則というか、掟みたいなものであり、衰えをしらない人気の理由だと思う。
リアリズムを標榜し、どぎつさを強調する現代の作品でも、根本のところでの掟は守られていると思う。 そして、これを踏みにじるとどうなるかと言うと、正義は勝つとは限らず、悪は滅びず、物事は常に混乱を呈して終わる。 そういう映画ばかり撮り続ける監督がいたとしたら、私のような映画好きの者としては必然的に好きになってしまうのだ。 ご都合主義ではないし、現実的だし、何よりもアメリカ映画として特異性が際立つからだ。
私の大好きなロバート・アルトマン監督は、そのようにしてアメリカ映画界において確固とした地位を築いて来た監督だと思う。 彼がなぜ、次々に問題作を放つのか? それは、他の監督たちがやらない"掟破り"をやって見せるからなのだ。
そして、この映画「カンザス・シティ」は、そのロバート・アルトマン監督の特徴が遺憾なく発揮されたクライム・サスペンスの傑作だ。 よくもまあ、これだけ後味の悪い結末を考えつくものだと、感心してしまう。 とにかく、苦々しさとやり切れなさが澱のように残る映画なのだ。 しかし、それでも、このアルトマン映画は面白かった。久し振りに演出らしい演出を観たという気がする。
1934年のカンザス・シティ。雷鳴とどろく悪天候の日。 チンピラ女といった雰囲気のジェニファー・ジェイソン・リーが、美容師を装って大邸宅に乗り込み、いきなり女主人のミランダ・リチャードソンに拳銃を突きつける。 何事が始まるかと思うが、ジェニファーが、ウェスタン・ユニオン電信会社のOLで、黒人ギャングの縄張りを荒らして、リンチに遭おうとしている夫のダーモット・マルロニーを救出するための作戦であることが、徐々にわかってくる。
このあたりの呼吸も見事なものだが、並行して描かれるジャズ・クラブの一景が、実に素晴らしいのだ。カンザス・シティの歴史を描こうとしているので、実在の人物が次々と登場してくるのだ。 テナー・サックスの猛烈な競演を見せるのが、レスター・ヤングとコールマン・ホーキンス。 それを客席で見守るのが、14歳のチャーリー・パーカー。 そして、ジャズ・クラブの経営者の黒人ギャングに扮するのは、懐かしや、ハリー・ベラフォンテ。
この本物のジャズメンたち、レスター・ヤング役のジョシュア・レッドマンとコールマン・ホーキンス役のクレイグ・ハンディによる、テナー・サックスの競演の場面は、私のような大のジャズ・ファンを痺れさせてくれるほどの素晴らしさだ。 クリント・イーストウッド監督の「バード」という映画とは、格もスケールも遥かに違う、本物のジャズの魅力に満ち溢れた映画なのだ。
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