出会いは必然
そして彼らは出会った
まだこの話は第1部だ。
7人のシェイクスピアは雑誌を変え続編が出ているが、続編の方がタイトルに相応しい内容となっている。
第1部では7人のシェイクスピアとなるキャラクターのうち、ウィル、ワース、ミル、リーの4人の出会いが書かれている。
後に作品内で『詩の女神』と呼ばれるリーは、当時実際にあったかは分からないが、リバプールに移民した中国人の中の一人。幼い頃から不思議な能力ーーー主に予知能力を持ち、そのせいで実の親にも傷つけられ、あまり目立たないように躾けられている。
だが限られた環境の中でも、人と協調して生きていく術を得ている。
しかし彼女の運命はこれまであまりに過酷な方向ばかりを向き、本来なら役に立つ筈の予言の能力が災いして、村の水害の際に生贄として流されてしまう。
流れ着いた先でも倒れたリーを、ウィルが見つけることが出来たのは、ある種の予感のような物からだった。
この2人の出会いはこの作品の中では、紛れもなく作品の進行に必要な運命として描かれている。
一方で幼馴染として出会ったウィルとワースは、姿だけではなく当時の厳しい階級の中で、ジェントルないしはヨーマンと呼ばれる中流階級で育ち、似たような環境、同じ学校、友人、そしてこの第1部最大の特徴と言って良い『カトリック』と言う当時のイギリスでは禁じられた宗派を共にする間柄だった。
2人が想いを同じくしていくのは、当たり前の事として話は進んでいく。
ウィル、ワースのどちらにも見方の違う不幸があり、それを互いが側で見守り、支え合って来た。
続編も含めて、2人の友情がストーリーの底辺に流れている。
そして自分達の故郷から逃げなければならなかった2人を、救ったのが、やはり2人と宗派を共にするカトリックの司祭のミルだ。
極限状態の2人を救ったミルだが、世間から隠されて、彼らの共同生活の精神的な中心として生きていく事になる。
そして4人の共同生活のハウスキーパーとして、傷付いたリーを現世に馴染ませる役として、ミルは無くてはならない役となる。
必然も偶然も絡み合いながら、4人は4人とも世間から身を隠さなければならない理由があり、互いに互いを守り合いながら、生活していく。
ひとつの目的
だが彼らはただひっそりと隠れていた訳ではない。
バラバラに集まった彼らをひとつの目的にまとめて行くのが、主人公のウィルだ。
彼はある意味この4人のプロデューサーに過ぎず、彼自身は劇作家として、一番言いたい部分はリーに譲っている節がある。
初めからリーの詩に対する能力を認めたウィルは、リーの詩を最大に活かす芝居を書けるよう、考えていく事になる。
普通作家と言うものは、自分自身の伝えたい事を強く持ちそれが作品の魅力にもなって行くのだが、ウィルの不思議なところは、他人の意見や主張、言葉を柔軟に取り入れ、大きな物語にまとめていき、それこそが彼の最大の能力として物語として生かされていく。
ウィルは元々が優しい性格で、社会から外れたり虐げられた者を、自分の不利益を犯してでも見捨てない大きさがあるが、それは彼の作品作りにも現れている。
反対に親友のワースは商才を持ち、どちらかと言えばスポンサーなのだが、彼らの共同生活の経理を担当している人物として、ウィルの優しさや大きさに時に辛辣な態度を取っている。
しかしウィルの夢や大きさを一番に理解しているポジションでもある。
初めその正体の曖昧さから、一番受け入れなかったワースが、徐々にリーに心を開いていく様子は続編でも描かれている。
ウィルの優しさや大きさが、不思議と本来なら不幸な彼らをクリエイティブな仲間としてまとめていくのである。
ウィル自身がこの共同生活の仲間たちの、目的と言って良いだろう。
そしてロンドンへ
そして目的たるウィルはひとつの夢を持つ事で、彼らには転機が訪れる。
住み慣れた港町から芝居の中心地ロンドンへ。
その為の準備をしたのはワースだ。
彼は後に自分は作品を作り上げる作業に加わらない自分に、冷ややかな批評をするが、まずはウィル達が戯曲を書く為の準備を怠りなくするのが彼だ。
ワースの迷いの無さは、却って作品に爽やかな印象と熱い感情が流れている事を伝えている。
色々経済的な事には細かな文句は言うワースだが、自分の築いた財産を惜しみなく投資する姿は、潔い。
ウィルは感謝を態度にも言葉にもしないが、目的を諦めない強さこそが、ワースの気持ちに応えることと、言葉にせずとも分かっているのだろう。
ロンドンへ行きたいと言うウィルの夢は、ある意味危険を伴うもので、当時禁じられていたカトリックの司祭ミルと、まだイギリスでは認められていない人種だったリーは命がけでの転居となるが、何の文句もなく着いていくのは何故だろうか?
ウィルの芝居を書きたいと言う、既に社会に出て一度商人として成功した者が持つ夢としては、どうかと思われる夢が、他のワース、ミル、リーを迷いなく導いていく。
当然経済的な事からワースは意見はするのだが、ウィルの意気込みを感じると、黙々とロンドン行きを現実にする為に動いていく。
リーはもしかしたらその予知能力から、ウィルを水先案内人として人生を送っているのかもしれない。
宗教家たるミルはある意味達観しているのかとも思うが、案外ウィルの夢を一番楽しんで支えて来たのだろう。続編でも度々芝居を作り上げるのに必要な知識を披露するアドバイザーとして、7人のシェイクスピアの内の1人になる。
神を信じて、と言うより人間としての核がしっかりとして迷いのないミルは、この共同生活のキーパーとしてどっしりと存在している。
生活の細々とした知識が、家事にも現れており、それがとかく苦しい事に遭遇しがちな他の3人をしっかりと支えている。
1人の夢は他の3人の夢として、確実に進み始める。
そして第1部は4人がロンドンへ向かうところで一旦終了する。
続編を踏まえた魅力
雑誌の都合でロンドン行きが決まったところで第1部は終わるが、続編も踏まえて読んでみると、この長いやや暗めのエピソードが続く第1部より、続編を先に読者に見せておいた方が、この第1部をより良く理解出来るように感じる。
なかなか作者が何を伝えたいのか、伝わりにくいながらも、ドラマティックな展開に惹かれ第1部を読み終えてから、続編を読むとこの話はこんなにアクティブで面白かったのかと驚く事になる。
先を知っている身としては、第1部の一巻だけを読んだ読者が、続きの面白さを知らないまま、この作品を誤解してしまうのではないかと、少し心配になってしまうほどだ。
プロテスタントとカトリックに分かれたヨーロッパと言う、日本人にはなかなか馴染めない歴史と世界観を、第1部はかなりじっくりと見せているが、この世界観が続編をアクティブにドラマティックに魅せていく最大のエッセンスになるだけに、第1部のストーリーが先にあるのが、頑張って続編まで読んでこの作品に取り憑かれた読者としては少し悔しいのだ。
続編を読んでから第1部を読むと、主人公であるウィルの優しさ、大きさを理解するのに必要なエピソードが並んでいる事に気付かされる。
どうか第1部から読み始めた読者が、この重厚感のある話の流れに着いて来れるよう、ファンとしては祈らざるを得ない。
まるでチューダー朝にいるかのような
まるでエリザベス女王の君臨したイギリスにいるかのような、錯覚を覚える絵はこの作品の見所だろう。
ウィル達が来ている衣装から始まり、ミルの作る食事、ワースの探して来た家、街、彼らの会話の中にも、しっかりした時代感覚で味付けされており、読み始めてしまえば、トリップしてしまう事は間違いない。
ワースの取り引きする砂糖も、小麦粉を混ぜた詐欺事件など実際にあったものではないだろうか?
歴史的な、イギリスでのプロテスタントによるカトリックの迫害も、ただ主人公たちの不幸を浮き彫りにする為ではなく、その時代を生き抜く困難さを絵でも表せる絶好のエピソードとして、描かれているのだ。
同じような印象を受ける作品として、アレクサンドル・デュマの『ダルタニアン物語』があるが、その魅力はしっかりした時代考証の絵柄にも現れていると、強く感じる。
ただ友情を描いたものではない、作品に全体的に流れているミステリアスな空気が、歴史、外国の風俗にぴったり合い、読者が満足できる事は間違いないだろう。
途中展開が主人公たちに苦しい部分が続くが、どうかトンネルを抜ける気持ちで続けて読んで欲しい。
その先には心踊るような展開が続くドラマが待っている事はお約束出来る。
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