恋愛より野球に比重が置かれた珍しい作品
目次
恋愛は二の次。部活動がメインの作品
タッチの劇場版やテレビスペシャル版は、どうしても南と達也、新田などが絡んだ恋愛を主体として、対人関係にクローズアップされることが多い。野球の試合のシーンなどはあっても、新田との勝負という意味では人間同士の問題であるし、達也が亡き和也の思いを背負って奮闘する姿など、スポ根と言いよりはラブコメ(コメディよりは若干シリアスであるが)の要素が強い仕上がりになっていた。
この作品より後で製作される「タッチ Miss Lonely Yesterday あれから君は…」についても、野球の要素はほぼない。そういう意味では、この劇場版3作目は数ある劇場版やテレビスペシャル版でも、恋愛をほぼスルーして野球に焦点を当てた珍しい作品と言える。
また、取り上げているのがタッチの長い連載の中でもかなり異質な雰囲気を放っている監督代行、柏葉英二郎と達也、南、野球部員との確執の部分という点が興味深い。
考えてみたら、野球を扱った少年漫画としては、達也の野球のセンスを読者に改めて知らしめることも重要なことであるし、和也に勝るとも劣らない資質が達也にあることを再確認できる。達也同様兄弟同士の比較の中で生きてきた柏葉のエピソードは、達也が和也の代わりではなく、上杉達也としてのアイデンティティを確立する上では、必要だったと感じる。
恋愛を期待すると肩透かしを食うが、原作でも柏葉監督代行のエピソードはかなり丁寧に描かれており、タッチでは重要な部分なのでは?と感じる。
3作目を見ると感じる後発作品のエピソードの違和感
原作においても、達也は和也の代わりに夢をかなえる、ライバル新田と戦うということは描かれているのだが、鬼監督代行柏葉とやり合いながらも底辺で信頼関係を築いていくエピソードはかなり長きにわたり、丁寧に描かれている。
こう言っては語弊があるかもしれないが、部活動で起きた監督代行とのあれこれは、もはや亡き和也には入る余地がない問題で、達也が達也として向かい合っている問題なのだ。達也が柏葉の存在を知りもしない和也の代わりに向かい合っていたわけではない。
愛する弟との比較に生きてきた達也、憎い兄との比較に生きてきた柏葉は、考えの相違はあれ、無意識のシンパシーは感じていたようだ。達也は弟の思いを背負った先にある自分自身を勝ち取ること、柏葉は憎しみを超えた先にある自分の生き方を勝ち取ることという、比較からの呪縛を課題にしている点だけは共通している。
この作品では、柏葉は達也が嫌いだと言い放つが、その言葉にはどこか愛があるように思えるし、達也も和也を憎んでいたわけではないのに、兄を憎んでいる柏葉の気持ちを理解していたあたり、確執と言ってもそれは最初だけで、二人が気が合っている様子が原作より強調されているように思う。
柏葉は監督代行として好結果を出すことで兄への恨みを昇華させ、達也は自分の実力で新田を打ち取り須見工に勝つことで、恨みや単なる代わりではなく、野球で気持ちに決着をつけ、甲子園は自分自身の夢でもあったのだ・・・という境地に至ったように見えた。
達也に至っては、元々野球好きであったのに、和也と南に遠慮してボクシングを始めたくだりがあったので、本来和也に遠慮とか身代わりとか関係なしに、自分も野球が好きだったのだと、柏葉と夢をかなえたことで悟ったのだと思っていた。
少なくとも達也と柏葉のエピソードは、そのために描かれ、この劇場版第3作もそのために制作されたと感じた。しかし、その後の「Miss Lonely Yesterday あれから君は…」では、達也がこの作品であんなに熱心に取り組んでいた野球を、弟の代わりでやっていたことだし、自分が野球をやっていると和也があれこれ引き合いに出されてかわいそうだという理由であっさり辞めてしまっているのである。
達也がそんな気持ちで懸命に野球をし、柏葉の特訓に耐えていたとは思い難い。この作品だけを見た時点ではそこまで思わないのだが、後発作品のエピソードを知ると、この作品がわざわざ恋愛要素を無言のエンディングに流すのみにとどまり、柏葉を主役級に持って行った理由が、いまいちすっきりしなくなってくる。
南はこんなこと言いそうもない?意外に怖い南の一面
最近は○○なら絶対言わなそうなこと、というのをネタにしているお笑い芸人も多いが、理想の女性として名前が上がりやすい浅倉南も、絶対言わなそうなことというのはありそうである。
しかし、この作品の南は、序盤に校長に自分を野球部に戻す依頼(というより抗議)をしている時点からしてかなり過激だ。校長室のデスクをこぶしで叩くし、目上の人には達也の話をするにしても「上杉君」と言うべきであるが、「たっちゃん」と言ってしまっていて、17歳か18歳の女子にしてはやや落ち着きのなさを感じる。
挙句は一回戦、柏葉の嫌がらせ作戦(実はそれなりに考えてのこと?)によりコールド負け寸前に追い込まれた際も、「1回戦でコールド負けしてみろ。死刑だ」「死刑決定」などと、柏葉に対してなのか明青ナインに対してなのか、達也だけに対してなのか恐ろしい事を言っている。この作品では南は傍観者であるが、ちょっとした毒を吐く姿がユニークだ。
野球はチームでやるもの
タッチでは、達也をはじめ、和也、孝太郎、ライバルについては新田や西村がクローズアップされやすく、野球はチームプレイであるがどこか個人対決のように描かれてしまっている部分もあったが、この作品では達也がいかにチームの仲間に信頼されているかや、柏葉の名監督ぶりを表現するために明青のメンバーがかなり細かく描かれており、試合がどの作品よりしっかり表現されている。
また、達也のプレイスタイルや、あまり普段余計なことをペラペラ話すタイプではない達也が、柏葉の心に踏み込むような会話をしつつ、大人の対応で師弟関係を築いていくのも、キャラクターの魅力を引き立てている。
原田がいつもいい味を出している
この作品に限ったことではないが、達也にしろ南にしろ、原田の冷静さや言葉少なな彼がぼそっとたまに話す言葉や助言に何度助けられたことだろう。
若干大人びた風貌通り、彼は年齢にしては達観しすぎているし落ち着きすぎている。この作品でも最初に柏葉の情報を叔父に聞いてもたらしてくれたのは原田であり、柏葉を理解するきっかけを作ってくれたようなものだった。
決勝戦で南と一緒に横で観戦していたのも原田だが、南が原田を相当信頼していると感じるシーンが一瞬流れる。決勝戦の終盤、達也の投球に新田が何度も打ち付け、ファールが続くシーンで、達也の両親が手を握り合うのに合わせるように、南が原田の手を握ってしまうのだ。
試合中は、スコアブックを持つ南の手の描写で緊張を表現する手法が取られているが、その一環であり、原田に手を接触させてすがるようなしぐさをするのは、短いシーンながら印象深い。
原田は包容力がありそうだし、南もとっさのことだったろう。こんなことで動揺する原田ではないし、南もそれは承知だろうが、普段から南は天然小悪魔のような所があるので、ややヒヤヒヤするシーンとなった。
誰が通り過ぎたあとなのか
タイトルの[君が通り過ぎた後に」を改めて考えると、誰のことだろう?という疑問がわくが、やはり和也がバトンタッチして通り過ぎ、達也が目標を達成して成長したと考えるのが妥当だろう。
前述テレビスペシャル版の達也の吹っ切れなさを見ると、和也は通り過ぎてないようにも思えるが、この作品の発表時点では、達也もそして柏葉も、兄弟関係から得た経験を、一種「捕らわれ」から自己実現に昇華させたように感じ、非常に爽やかな作品である。
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