ベルサイユの処刑人たるには……
歴史で埋もれていた仕事
中世ヨーロッパ・フランスの華やかな歴史を知っていても、この作品で取り上げられている「処刑人」という仕事について知っていた人は少ないのではないだろうか。処刑人という職業と一括りにいってしまうとその過酷な運命は、現代では想像しにくいかもしれない。当時、中世ヨーロッパのがちがちの階級社会では、農民が貴族になることが出来ないのと同じように産まれた血筋で階級がきまり、仕事も決まってしまうということを考えれば処刑人を職業とする一族に産まれてしまった者の過酷な運命に想像をはせることができるのではないだろうか。
『イノサン』の主人公はその運命を一身に背負った立場にある。彼の名はシャルル・アンリ・サンソンであり、処刑人一家であるサンソン家の4代目当主と設定されている。
奇しくもシャルルの産まれた時代は、ベルサイユ宮殿が一番栄華を誇った18世紀ヨーロッパ、ルイ15世から16世とマリーアントワネットの時代をモチーフにしている。
この頃の時代背景についてはマンガを読む人なら名作『ベルサイユのばら』でぼんやりとした流れとイメージはお持ちなのではないだろうか。絢爛豪華な宮殿の暮らしと貴族の過剰な贅沢がきわまった時代であり、その貴族の生活が崩壊していくさまを、貴族側の立場からみて悲劇として描く作品はいくつかある。その、まだ華やかな時代から貴族のそばでつねに、貴族にちかい特権を与えられながら華やかであるための後始末をつけてきた処刑人の一族にスポットライトをあてているのが『イノサン』である。処刑人のサンソン家は貴族と同等な生活を与えられていたために宮廷の栄華な世界にも触れており、かつ処刑という仕事では貴族が下した裁定による血潮にその手を汚したというその一族。ベルサイユの光と影を最もくっきりと浮かび上がらせるその人物を主人公においていることで、18世紀ヨーロッパの暗黒の影をストーリーとしても、画力としても取りこぼすことなく描いている。
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華やかな貴族はその現場を目にしたのか
このマンガで語るべきところは精密なまでに描かれた画面で描写するサンソン家の貴族暮らしと、処刑の仕事の凄惨な描写の落差であろう。
貴族と同等の領地、国からの俸給、特権などでえられる中世ヨーロッパらしい屋敷の中でレースをあしらったドレスを着て暮らしている主人公シャルルのシーンは、読んでいる私たちにもこれは中世ヨーロッパをモチーフにしたストーリーなのだと明確にうったえてくる。しかしそのシーンと同じぐらい、いや、それ以上の書き込みとページ数をさいて描かれる処刑の仕事の描写は、この作品がただのフランス特権階級の生活を描こうとしているのではないのだと、また明確にうったえてくるのだ。
主人公シャルルはストーリーのなかで、これから処刑の運命が待ち受けている登場人物と親交を持つシーンが多々ある。そのためにシャルルは処刑を行うたびにその処刑がもたらす意味を自問し、悩み、サンソン家の当主としての責任と、処刑の仕事を任されているフランス王室への責任、ひいてはフランスが内包する下級身分の国民がどうなってしまうのかということに悩み続ける。
・シャルルの決意
『イノサン』ではシャルルが4代目当主に任命される前から当主としての最盛期までをストーリーとしており。シャルルも一族当主となったばかりのときは、フランス国王から権利を与えられたサンソン家の誇りを失わないことを目標としていた。しかし、ストーリーがすすむ中でシャルルの中で何かが変わりはじめる。
八つ裂きの刑などという時代錯誤の蛮行ももう終わりにしなくてはならない
だからこそ僕たちフランス人は、あのおぞましい光景を決して忘れてはいけないんだ!!!
シャルルは4巻において、ひとつの刑を終えたあとにこう訴える。シャルルは処刑人一家サンソン家の当主としてのつとめを果たし処刑を遂行することで、処刑という蛮行を終わらせることを誓ったのだと読み取れる。
シャルルは貴族と同等の生活を与えられ、かつ処刑という名誉ある権利を国王から与えられているという自覚から同じような生活階級の貴族側とは全く違うフランスの行く末の展望を見いだしているシーンが7巻のベルサイユ宮での大昼餐会で描かれている。
こここそが階級社会の中でありながら、同じ経済階級のものたちとは違う見方をすることが起きるという主人公シャルルの到達した観点を表しているシーンだと思う。
経済的に似通ってても見方が全く違うことがあるというのは現実でもよくあることであるし、ベルサイユ宮を舞台にしたストーリーで、それを描き出したのはおもしろいと思う。この『イノサン』の処刑の描写を過剰に残酷だと感じる影に、現実の世界での残酷な場面に関わらない立場の傲慢もあるのではないかと自戒も考えさせられる部分もある。
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マリーの存在
作中にはマリーが二人出てくる。一人はサンソン家のマリー、もう一人はフランス王室に嫁いできたマリーアントワネットだ。
同名であるがゆえに、この二人は比較されやすいがマリーの立場はとても複雑だ。サンソン家のマリーは作中でマリーアントワネットの理想であったり希望や願望を示す存在として描かれている。しかしサンソン家のマリーはそれだけの存在ではない。サンソン家の中で女と産まれながらベルサイユの処刑人プレヴォテ・ド・ロテルたろうとしている。
しかしマリーが兄のシャルルと競って得ようとしているプレヴォテ・ド・ロテルという地位で為そうとしていることが、兄とは違ってしまっていることをマリーは悟らないまま『イノサン Rouge』へとストーリーは継承される。
シャルルはベルサイユの処刑人プレヴォテ・ド・ロテルを遂行することで、たびたびリンゴを落とすシーンで教示されるような恐怖を伴わないフランスの秩序のための処刑を目指していると思われる。それに対してマリーは処刑の恐怖というものに魅入られたまま、その恐怖を誇示することにとりつかれているようである。9巻のアランとのエピソードでサンソン・マリーは、ともに世界を変えようとしたアランを失ったことで、世界を変えるためにその恐怖を与えるべき対象が貴族だと定まる。
・サンソン兄妹の存在
サンソン兄妹の「世界を変える」という一致した目標のために兄シャルルはリンゴで示唆されるギロチンの発明、妹は憎むべき階級が設定され、このふたりの決意から王室貴族社会の崩壊が始まるのだなと感じさせる流れで『イノサン』は終わりを迎える。
終盤で貴族階級への憎しみを抱いたサンソン・マリーが王室のマリーアントワネットの内面の鏡のような存在であることで、王室貴族社会の崩壊による「世界を変える」願望が王室のマリーにも芽生えているように読み取れておもしろい。王室のマリーもストーリーのなかで夫との不和、愛妾へのあいさつ、フェルゼンの存在と、王室でいることに倦んでいるのではないかという要素がたくさんあるからだ。知られているフランス王室の最期のとおりにストーリーがすすむとすると、『イノサン』でもマリーアントワネットはギロチンの露となる結末を迎えるのではないかと思われる。
サンソン兄妹の目的の一致によってその結末がみえてきているが、ただ、シャルルの存在がある。サンソン・マリーと同じく「世界を変える」ことをのぞむシャルルではあるが、シャルルは王室のマリーに彼女と王室の安寧のためになるべく助言をしている。主人公シャルルは愛妾へのあいさつのエピソードにおいて王室のマリーに、彼女が大人への成長をするための助言をしている。それは「己を偽り 殺すことだ」とシャルルは9巻で言っているが、『イノサン』以降のストーリーでどのように生かされていくのかとても気になるところである。
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