思いがけなくも切ないホラー小説 - 異人たちとの夏の感想

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異人たちとの夏

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思いがけなくも切ないホラー小説

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目次

奥田英朗を通して知った山田太一

山田太一といえば、たくさんのドラマの脚本を手がけている脚本家だ。彼が手がけた「ふぞろいの林檎たち」なら私でも知っている。しかし私が山田太一の本を読もうと思ったのは、脚本家として有名だったからではなく、奥田英朗のエッセイでたびたびその名前が出てくるからだ。作家なのに読書量の少なさを誇る奥田英朗だったけれど(なにかのエッセイでそう語っていたのを覚えている)、それでも山田太一だけは好きな作家だと語っていた。私自身、奥田英朗のあることだけを書いてなにも含みを持たせない正直な文章と小説が好きなので、そんな彼が好きな山田太一の小説とはどんなものなのだろうと思ったのだ。
新しい作家にはこういう出会い方もある。村上春樹を読んでトルーマン・カポーティを読んだり、「グレートギャツビィ」を読んだりもした。そしてそういう出会いが良ければ良いほど、村上春樹なり奥田英朗なりへの小説を読んだときの理解が深まるようにも思う。そうして知った山田太一は「飛ぶ夢をしばらく見ない」が初めて読んだ作品だ。面白くなければそれで最後だけど、その内容は興味深くかなり好みでもあった。なのでまた違う作品も読みたいと思い、そうして選んだのがこの「異人たちとの夏」だったのだ。
山田太一は脚本家ならではなのか、「飛ぶ夢をしばらく見ない」にしても「異人たちとの夏」にしても、タイトルセンスがいいと思う。

思いがけない登場人物たちとの交流

タイトル「異人たちとの夏」の通り、この作品は主人公が夏に出会った不思議な人々との関わりを描いたものだ。「異人」と言う言葉から、なんとなく外国の人かなくらいに思っていたのだけど、この物語は意外な方向に進んでいく。
主人公も脚本家で、どこか山田太一自身を思わせなくもない。離婚直後で爽快な開放感を味わっているかと思いきや、自分でも想像していなかった寂しさを持て余している48才の男性だ。
主人公は12才で両親を失くし、叔父に育てられてきた。寂しい思いはしたかもしれないが、それで性格が歪むというほどのものでもなく真っ当に生きてきたつもりだった。けれど、ある日浅草演芸激情で、父親そっくりの若者と出会う。若者というよりも、亡くなったときのままの年齢の父親だ。誘われるまま若い父親の住むアパートについていくと、今度は若い母親がいた。そして主人公を自然にまるで自分の子供のように扱うのだ。
当然そんなはずがないと考える主人公だったけれど、若い両親のあの笑顔、子供のように接されることで感じることのできた安心感などが蘇り、誘われるように何度もそのアパートに通うことになった。
そのあたりから主人公には付き合い始めた女性がいた。同じマンションに住み、自分よりも15才も若く、胸にヤケドの跡を持つ女性ケイだ。彼女と会うことだけがが主人公の中では現実だった。でも実はその女性ケイも死んだ女性だったという大どんでん返しの展開に、最後までページを繰る手を止めることができなかった。

両親への癒されることのない焦がれと愛情

主人公は12才までは両親に育てられ、きちんと愛情を注がれて大きくなった。それから育ててくれた叔父の自分への愛情も疑っていない。なのに両親の霊を見るほどに実は親の愛に飢えていたのだろうか。そのあたりは主人公自身も不思議に思っている。それほど愛に飢えていると思っていなかったのに、実際霊とはいえ親と会って自分を小さな子供のように扱われることで感じる快感や安心感は、何度も何度も反芻してしまうほどの心地よさだった。このあたりの描写は実に的確で、主人公の感情が細やかに描写されている。だからその気持ちが痛いほど伝わってきた。
しかし人でないものと関わっていると、生気を吸われていくのだろうか、主人公はどんどん痩せてやつれていく。一目見て普通ではないと思うほどに。あれほど自分に愛情と幸せを与えてくれる存在がそんなことをするだろうかと思う主人公だったけれど、きっと彼らも自分の生気を吸ってしまっていることに気づかないのだと自分を納得させるのだ。
そもそも霊と一緒に食事をしたりキャッチボールをしたりと、霊のイメージを根底から覆すような展開だけれど、不思議と読みいってしまう力がある。それはストーリー全てにリアリティがあるからだと思う。幽霊がでてきても宇宙人がでてきてもUMAが出てきても、そのストーリーにリアリティがあるなら面白く読めてしまうという代表のような作品だと思った。

痩せ衰えていく主人公にすがるケイ

一方ケイは痩せ衰えていく主人公を心配し、寄り添い、両親の元には行くなと懇願する。それほど尋常でない痩せ方の主人公自身は、鏡で見ても自分の本当の姿は見ることはできない。健康的で幸せそうな自分が映るばかりだ。しかし自分とすれ違う人の視線、知り合いから心配される言葉を思うと、ケイの言うとおりなのだろうと思う。そう思いながらも両親のところに通うことをやめられないその切なさはまるで親とはぐれた小さな子供のようで、胸が締め付けられた。
しかし身を切る思いでケイとの約束を果たし両親に別れを告げた後も、彼の衰えは止まらない。どうしてかとわからない主人公の元に元妻の恋人間宮が現れた。彼のいささか強引な友情のおかげで、ケイもまた黄泉の国の住人だったことがわかった。主人公の生気を吸い、死に至らせようとしていたのはケイ自身だったのだ。
しかし今まで主人公に対して見せていたケイの行動はいつも愛にあふれており、主人公を道連れにしようと目論む邪悪さは全く感じなかった。だからこそその目的のためだけの見せかけの愛情だったという壮絶さが、ケイを見た目よりも恐ろしい幽霊にさせていた。
最後主人公と話すときの男でも女でもないような口調は、鳥肌が立つくらいの怖さだった。
まさかこうなると思っていなかったので、思いがけない終わり方でもあった。

少し“いかにも”過ぎるゆえに感じた安さ

全体的に、密な描写がもたらすリアリティのおかげで、幽霊と出会うといった非日常な展開であるにもかかわらず、最後まで読ませる力はある。だけど、ところどころいささか安すすぎるかなと思った場面はあった。
まず、両親と別れを告げるところ。すき焼きなど食べたことないだろうと主人公が誘ったのだけど、そこで両親は透き通りながら消えていくのだ。この“消えていく”というのが少しベタすぎないのではないのかなと思ったのだ。気づいたらそこには姿がなかったとか、何だったら最初から主人公にしか見えていなかったとかの方が良かったのではないかと思った(彼らが住んでいたアパートも結局は存在していなかったのだから、そういうやり方もできたと思う)。
あと本性を現したケイの姿。消える寸前に彼女の胸からは大量の鮮血がしたたり落ちる。ケイは胸をナイフで突いて自殺したのだ。その時の血が、主人公の目の前で流され続ける。そうしながらケイは消えるのだけど、この“血”が出た瞬間少し冷めたのは事実だ。ホラー映画でもそうだけど、リアルなストーリーで恐怖を煽ってくるのはいいけれど、恐怖材料としても“血”はどこか安すぎる気がするのだ。そういう意味で、ケイの最後の姿は少し安いかなという印象を持った。それとケイが着ているロングの白いネグリジェもどうかと思う。ちょっと“いかにも”すぎるのではないかと思ったところだ。
タイトル「異人たちとの夏」の“異人”とは、もう生きていない人のことだった。ところどころ安いかなと思うところはあったけれど、夜寝るとき豆電球はつけようかなと思ったくらいの、意外にもホラーな小説だった。前回読んだ「飛ぶ夢をしばらく見ない」も恋愛の相手の女性がどんどん若返っていくというストーリーでホラーではなかったけれど不思議な話だったが、山田太一はこういうストーリーが得意なのかもしれない。もうひとつ別の山田太一の作品を読んでみようと思えた作品だった。

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