平安時代を幻想的、芸術的に描いた作品
岡崎玲子の幻想的な絵が堪能できる作品
岡野玲子はこの「陰陽師」で知った。そして今もそれ以外知らない。それくらいこの作品は彼女の代表作であり、絵柄とテーマがこれ以上ないくらいマッチした作品だと思う。名前の印象から山岸凉子と混同していたのだけど、岡野玲子の絵はおそらくこの「陰陽師」を描くにはこれ以上ないものだと思う。平安時代の闇と光、生きるものと死せるものをこれほどまで芸術的に昇華させることができたのも、岡野玲子の画力の賜物だと思う。平安時代の雅な着物や文化、歌をかわす婦人の面差しなどがまるで絵画のように描かれており、一つのコマについ見入ってしまったりするくらいだった。
同じく平安時代を色鮮やかに書き上げた作品では大和和紀の「あさきゆめみし」を真っ先に思い出すと思う。源氏物語の世界が生き生きと描かれたこの作品は、源氏の恋愛がメインのため、どちらかといえば文化よりも当時の男女の機微が多く描かれていたと感じた。とはいえ、六条御息所が嫉妬のあまり生霊となり葵や夕顔を死に至らしめた場面は、華やかな絵が多いところから急に暗く黒く登場する御息所の怨霊の恐ろしさがより際立ち、にもかかわらず哀しさを先に感じてしまうくらいの描かれ方だったと思う。
この「陰陽師」は安倍晴明という最強の陰陽師が主人公のため、ストーリーも主に霊や怨霊が帝や都にもたらした問題を解決していく形となっている。なのでメインは恋愛よりも、菅原道真や祐姫など歴史上の人物が怨霊となって跋扈する世界を描いている。なので全体的に暗くおどろおどろしい印象なのだけど、岡野玲子の絵柄がただのホラーでは終わらせない。岡野玲子の不思議にたおやかな、なまめかしい筆のタッチが、恐ろしい怨霊の顔さえも美しく見せているところがこのマンガの魅力のひとつではないだろうか。
もちろんストーリーメイキングの素晴らしさはあるのだけど(原作が夢枕獏なのだから、そこは当たり前かもしれないが)、この作品が成功したのは岡野玲子の画力があってこそだと感じた。また所々に差し挟まれる会話の中での当時にはなかったはずの英語が、どこかしら独特の世界を醸し出す要因のひとつにもなっていると思う。
安倍晴明の不可思議で底の深い魅力
この「陰陽師」の主人公である安倍晴明は、その幼いときから抜きん出た陰陽師としての才能やその端正な風貌だけでなく、どこかしら人としての魅力を立ち上らせている。霊に出会ったときの冷静な対応や幅広い知識などはその年以上のものを思わせるし、彼の母親がキツネだという噂があがるのも無理はないくらい、なにもかもが人とは違っている。にもかかわらず、友として源博雅を相手として話すときは年相応の無邪気さやふざけをみせるあたりいかにも若者らしい。その違いがあまりにも大きく、つかみようのない奥の深さに例えようもない魅力を感じる。
だからこそ、幼少期に彼の陰陽師の師匠であった陰陽寮の加茂忠行さえも気づかなかった百鬼夜行を未然に防いだ晴明の才能の素晴らしさは疑いようはないのだけれど、そこからの晴明の修行の様子も少し読みたかったところだ。
また晴明の言葉によって数々の都に隠された鬼を封じるための呪も説明される。その相手の博雅がなにごとにおいても理解の遅い(それは大変いい意味でなのだけど。そこに博雅の透き通った心を感じるからだ)ためか、晴明も噛み砕いて丁寧に話している。そこでは都に九字の秘呪が隠されているなどといわれており、その展開に気持ちがワクワクするのが抑えられなかった。それはなにも私でなくとも、きっと「里見八犬伝」を観た人ならそう思うはずだ。そしてそれは私の年代には絶対多いと思う。
物の怪がもたらす問題の数々
この「陰陽師」は全部で13巻まで発行されている。その中でも特殊な趣きの13巻は置いておいて、大体が1話完結の短い話で構成されている。1話完結だとどうしても巻が進むにつれワンパターン化を感じるのを止められないのだけど、不思議なことにこの作品にはそれがなかった。それは恐らく、1話完結という形を取りながらもそれぞれの話が晴明たちの生きる世界を生き生きと表現しており、話が進むにつれその世界の色合いが鮮やかになっていくように感じられるからかもしれない。それは、例えば大きな絵画であっても近寄っていけばドットで描かれているような点描画であったりとか、写真を集合させて作られたグラフィックスとか、そういうものを連想させる。
なかでも、写経中の僧の元に姿を現すようになった女性の物の怪や、獺が人間の姿で人間の女性に恋をした上子まで成した話などは印象的だ。まさに物の怪の名にふさわしい気味悪さがありながらも、どこかしら人間臭さを感じさせるようなこういった事件が実にテンポよく描かれており、あっという間にこの世界に引き込まれてしまう。
不老不死の比丘尼の物語
「陰陽師」の中でも特別な印象をもつ人魚の肉を食べてしまった比丘尼の話はとても興味深い。不老不死をもたらす人魚の肉を巡って奪い合いがあったり、そうと知らずに食べてしまったりという話は他の作品でもよく読む。代表的なのは高橋留美子の人魚シリーズだろうか。人魚シリーズはその人魚の肉を食べてしまったゆえに不老不死になってしまった2人が主人公だったけれど、中でも興味深いのは人魚の肉を食べても誰もが不老不死になれるわけでなく、体に合わなければ“なりそこない”という化け物に変わるところだ。ただ不老不死ゆえの辛さを描くだけでなく、そういう設定を付け足すことで物語に一気に深みが与えられたように思う。そして不老不死というものに吸い寄せられていく人々の愚かささえ描ききったようにさえ感じた。コメディ要素の多い高橋留美子の作品の中では異色とも思えるこの作品は個人的に最も好きな作品だ。
このように同じ伝説を色々な作家たちが描くのを読むのは(観るのもだけど)とても好きだ。
「陰陽師」で描かれる比丘尼は、永遠に行き続ける苦悩が全面に感じられて息がつまりそうになる。永遠に生きるということはどういうことかという辛さをこれでもかと描写する展開は、おそらく夢枕獏の原作によるものだろう。緻密な表現と岡野涼子の繊細の絵柄が相まって、マンガという枠を超えた感動を体験させられた。
映画「陰陽師」について
私見ではあるが、マンガを実写化して成功したものは数少ない。あまつさえ、原作を無視したような作品さえある。そういう時は“観なかった良かった”と落ち込むことさえあるけれど、この「陰陽師」は数少ない成功したものの一つだと思う(決して“大成功”だとは言えないけれど)。まず全体を引き締めているのは安部晴明役の野村萬斎だろう。あの舞を舞うことができるのは彼でないと無理だ。急仕込だとああは舞えないと思う。源博雅役は顔が濃いと散々言われているわりに、あっさりとした顔立ちの伊藤英明だったのは少し首をひねるところだったけれど、博雅らしい楽以外興味も才もない朴訥な男をうまく演じていたのではないだろうか。残念だったところは蜜虫を演じた女優の演技の拙さと、晴明が繰り出す術の表現がお粗末過ぎたところだとは思うが、まだ観ることのできる仕上がりになっていてほっとしたことを覚えている。
このマンガ「陰陽師」の世界をすべて表現しきったとはとても言えないけれど、平安の雅な世界を目に見ることができたのはうれしく思った。
夢枕獏の原作のすばらしさ
夢枕獏というと、「キマイラシリーズ」「魔獣狩りシリーズ」が代表するようにSFオカルト作家という印象が強いが、以前出会った作品に衝撃を受けたことがある。マンガ「神々の山嶺」だ。山の恐ろしさと美しさがこれでもかと谷口ジローの実直な絵で描かれ、その実直さは羽生丈二そのものの不器用さを表しているようにも感じた。谷口ジローの山々の描写も凄まじかったが、そこに夢枕獏のストーリーがあるからこそ、山でしか生きられない男が感じている冬山の厳しさ、無酸素の苦しさが手に取るようにわかった名作だと思った。
この「陰陽師」も確かに岡野玲子の絵柄がないと成り立たなかった作品だと思う。だけれどそこに夢枕獏ならではのストーリーがないと当然だめだっただろう。これはこの2つの抜きん出た才能が絡み合ってできた、名作の一つだと思う。
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