一人の個性豊かな女性の人生と、彼女を愛さなかった娘の物語 - シズコさんの感想

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シズコさん

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文章力
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ストーリー
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キャラクター
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設定
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演出
4.00
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一人の個性豊かな女性の人生と、彼女を愛さなかった娘の物語

4.54.5
文章力
4.0
ストーリー
4.0
キャラクター
5.0
設定
3.5
演出
4.0

目次

気になりつつもなかなか手が出せなかった本

佐野洋子が自身の母親について赤裸々に書いたこの「シズコさん」は、気になりつつもなかなか実際に手に取って読み始められなかった本だ。この本を最初に認識したのは、新聞か雑誌で紹介されていたものを見たときだったが、その紹介文は確か、4歳のときに著者が母親と手をつなごうとしたら振り払われ、それ以降著者と母親の間に確執が生まれ、その母親が亡くなる前にようやく親子がわかりあうことができた、といった内容だった。

その時、すでに子どもがいた私は怖い、と思った。似たようなことを自分もやったことがあるのではないかと思ったのだ。手を振り払ったことはないにせよ、晩ご飯の支度で忙しいときに子どもにだっこと言われ、だっこしてやらなかったことはあった。他にも自分が忘れていることで、子どもの心に傷を負わせたことがあったのではないか。

著者は私よりだいぶ年齢的には上であったが、私は母を嫌う娘が、その母についてどのようなことを書いているのか、自分はどちらかというと嫌われる母の立場ではないかと思い、気にはなっていたが読むには至らなかった。

「シズコさん」を読もうと思ったきっかけ

それでも、ついに読むに至ったのは、その前に佐野洋子のエッセイを何冊か読んだからだ。佐野洋子がもともとは絵本作家であり、かの名作「100万回生きたねこ」の作者であると知ったのは、彼女のエッセイを読んでからだ。彼女のエッセイは子どもに向けたお話を書いてる人とは思えない毒舌とユーモアに満ちていてとてもおもしろかったが、その中に母親について触れているものがあった。彼女はエッセイの中で、自分は立派なファザコンであるが、自分たちを飢えから守ってくれたのは、現実的な母であったと記していた。これを読んで、あれ?と思った。彼女は母親を嫌っていたのではなかったか?父親のほうが好きであったのは確かだろうが、ここだけ見ると、むしろ母親を尊敬してるようにも感じられる。そして、興味が湧いた。こんなたくさんの人の心に響く絵本を作り、かつ人に嫌われるのを恐れず、なんでもズバズバ言ってのける人の母親とは、一体どういう人なのだろう。そしてようやく「シズコさん」を読んだ。

娘に負けず劣らず個性的な「シズコさん」

読んだら嫌な気分になるのでは、自分の中にある、母は子を愛するもの、子は母を慕うものをいう思いが打ち砕かれて、がっくりするのではと、少々用心しながら読み進めていったが、読み始めてみるとこれがおもしろい。佐野洋子もかなり個性的な人物であるが、この母親も相当だ。

見栄っ張りで、自分をよく見せるための嘘をつくことに躊躇しない。7人の子を産むが3人を病気で失い、可愛がっていた長男が死んだ後は、娘である著者に虐待まがいの仕打ちをする。家事能力には長け、子沢山にも関わらず家の中は常に整理整頓が行き届いていた…と、まあ娘に負けず劣らず個性の強い人物なのだ。

戦時中の物資がないときでも化粧を欠かさず、化粧することがアイデンティティとなっていたかのようだ。老人ホームに入ってからも、日々入念に化粧をするが、呆け始めてからは化粧をしなくなってしまう。このシズコさんは、化粧をしていた頃としなくなってからでは、まるで別人のようなのだ。

あっぱれな憎まれ役の母親と、情に厚い叔母

作中に登場する佐野の叔母は、シズコさんとは対照的な人物だ。顔立ちはそっくりらしいがぽっちゃりとして丸顔の母親に対し、叔母はやせていて背が高く、面長だったらしい。この叔母は性格もシズコさんと反対で、結婚してからも知的障害のある弟と妹を家に置き、不平不満も言わずに世話をしていたというのだから、その情の厚さがよくわかる。著者はこの叔母を慕い、自身の母親よりも親しくつきあっていたようだ。

知的障害のある弟と妹がいることを、シズコさんは娘に言わなかった。彼女はこの弟妹を完全に他人として切り捨てていたのだ。シズコさんが妹、面長の著者の叔母の家に行ったとき、夕食の席に知的障害のある弟妹もやってくると、「この人たちどこかやって、ごはんがまずくなる」と言い放つ。あんまりである。よく縁を切らなかったものだ、とは私だけでなく著者自身も思ったようで、どうして縁を切らないのかと叔母に聞いたところ、叔母はたった一人の姉さんだから、と答えるのだ。

シズコさんを著者は人として嫌だと言う。確かに、彼女のこの弟妹を切り捨てるやり方は人としては間違っていると思う。だが、自らの幸福を追求するという観点から見ると正しいと言える。私も親戚筋に障害のある子がおり、その家族の苦悩を見てきたのでよくわかるが、日本は障害者に不寛容な社会だ。昔に比べ改善されてきた点もあるだろうが、基本は家族がその身を犠牲にして、障害を持つ子や兄弟の世話をしなければいけない。もし映画や小説だったら、シズコさんのキャラクターは完全に憎まれ役だ。だが、彼女がすごいと思うのは、障害のある弟妹を切り捨て、妹にその世話を任せきりにしてるのに、感謝やねぎらいの言葉をかけるでもなくさらに、「よっちゃんはばかだ」と言ってしまうところだ。堂々たる悪役っぷりである。「どうせ私は地獄へ落ちますよ」と言っていたこともあるらしく、贖罪の気持ちが心に全くなかったとは思わない、と著者は書いている。おそらくそうだろう。純粋な悪として生まれたのでもない限り、自分の行いを恥じる気持ち、障害のある弟妹を引き取り世話をしている妹に申し訳ないと思う気持ちも、ほんの少しはあっただろう。だが、それを露ほども見せず、悪役に徹するシズコさんには、軽蔑を通り越してむしろ尊敬の念さえ覚えてしまう。とにかく徹底しているのだ。

母親が佐野洋子に与えた影響

母を人として嫌いだ、と著者は言う。だが、大人になってから妹に「叔母さんと母さん、どっちに育てられたかった?」と聞かれたとき、佐野ははっきりと「母さんだわ」という。その理由として、優しい叔母さんの元で育ったとしたら、自分の意思を持たない、ただのいい子ちゃんになってしまう、ということを言うのだ。これが、私には不思議に思えた。よく、子どもは無条件に親を愛するから、虐待されている子どもでも親をかばう、といったことを聞くが、はっきりと母親を嫌いだと自覚している佐野には当てはまらないように思えた。それでは、なぜ育ててくれた母親でよかったと思えるのか、それはやはりこれを書いた当時の著者が、自身を肯定できていたからであろう。自分をよく見せるための嘘をべらべら吐く母親が嫌で嘘をつかなくなり、「ありがとう」も「ごめんなさい」も言わない母親を見て、自身は必要以上に感謝と謝罪の言葉を口にするようになったそうだ。反面教師ではあったが、母親の存在は強烈に佐野の性格形成に影響を与えており、母があってこそ今の自分があり、自分はこの自分でいいのだという自己を肯定する気持ちが、著者に自分を育てたのが母でよかった、と言わしめたのではないだろうか。

母親との和解、呆けは天の采配か

「シズコさん」の紹介記事を見たとき、私はシズコさんが娘に冷淡だったから、娘の佐野洋子も母親を嫌うようになったのだと思っていた。だが、最後まで読んでみて、どうもそうではないことに気づいた。この母親は、確かに著者に暴力をふるったこともあったようだが、それは一時的なものだったはずだ。4歳のときに母親に手を振り払われて、それ以後二度と手をつながないと決めたのは娘のほうだった。そしてその感情を50年近く持ち続けるのだ。

シズコさんが息子の嫁に家から追い出されたとき、著者は母親を自分の家に引き取った。最終的には老人ホームに入れたが、普通なら資産家が自分で蓄えたお金で入るような個室の老人ホームに身銭を切って入れたそうだ。嫌いだったという母親にそこまでしてやれたら十分でないかと思うが、著者はずっと母親を好きになれないということに自責の念を抱いていたらしい。

私は金で母を捨てた、と著者は書いている。だが、本当に捨てたわけではないと思う。彼女は母親が亡くなるまで老人ホームの費用を負担し、時々は見舞いにも行った。見舞いに来た娘を見て、シズコさんが喜ぶ様子はかわいくてせつない。表現の仕方がいろいろ間違っていたのかもしれないが、シズコさんは娘に、きちんと愛情を持っていたのだ。

物語の最終、呆けてしまって化粧もしなくなった母親と著者がお互いに謝罪をし合い、長年のしこりを解く場面は涙なしには読めない。母親が呆けて人間が温和になったからこそ、和解できたと著者は書いている。この親子は、だいぶ昔に感情が行き違い、もつれてここまで来てしまっていたのだなと感じた。そのもつれが解かれ、互いの愛情を確認することができたのは、それこそ著者が書くように天の采配なのか。50年以上の確執を超えてようやく分かり合えた母親と娘。今はもう、天国でケンカしつつも仲良く暮らしているのだろうか。

「シズコさん」は読者に親子のありかたを考えさせ、なおかつ一人の女性の波乱に満ちた生涯をたどる、読みものとしても優れた作品だった。読後に、読んでよかったという深い感動が残る。

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