演劇版ブラックジャックか
代役専門の俳優と、モグリの医者
この作品「七色いんこ」は、天才的な俳優でありながらも代役専門で、しかもその劇場でドロボウを働くというとんでもない役者が主人公である。その圧倒的な演技力で観客をひきつけながら一方でドロボウを働くというどこかハードボイルド的な設定は、手塚治虫の代表作「ブラックジャック」を彷彿とさせる。ブラック・ジャックもその人並みはずれた外科技術を駆使し、誰もが匙を投げた重度の患者を治してしまう。しかしその報酬は桁外れのものを要求し、それができるのも彼がモグリの医者だからだ。モグリの医者と代役専門の俳優。なんとなく共通点があるように感じられる。
また物語の展開もどことなく「ブラック・ジャック」と似ている。ブラック・ジャックは患者の病気を治すだけでなく、家族や会社がらみのいざこざさえも解決してしまったりすることもある。「七色いんこ」も主人公の七色いんこが代役の俳優として仕事はこなしつつ、その劇団が抱えている問題、家族が抱えている問題を解決してしまったりする。しかしその反面、“報酬”はきっちりもらってきているところも、「ブラック・ジャック」とよく似ている。
しかし「ブラック・ジャック」は話によっては時にコミカルなものもあるけれど、この「七色いんこ」は3巻あたりになってくるとほぼギャグ路線というか、コメディ一本槍になってきている。こうなってくるといささか物足りなくなってしまったのも事実だ。コメディタッチがきつくなってくるとだんだん読めなくなってしまう(これは映画でも同じように感じるものだが)。
今回も「ママー」が「ホンネ」として出てくる回は個人的には好みではない。
手塚治虫独特のキャラクター
キャラクターたちが他の作品でも名前を変えて出てくる、いわばキャラクターが俳優のような扱いでストーリーが展開する「スターシステム」を作り出したのは手塚治虫が初めてらしい。もちろんこの「七色いんこ」でも様々な共通キャラクターたちがでている。ランプを頭にはやしたアセチレンは相変わらず悪徳刑事だし、大きな不細工な鼻を持つ彼は役としてはぴったりなシラノ・ド・ベルジュラックの名優として出演している。このような共通キャラクターの働きは、手塚作品の楽しみのひとつだ。
ヒョウタンツギなども相変わらず登場するが、このあたりは若干コメディ色が強すぎるのであまり好きではない(「ブッダ」の最期は確かに食中毒だったけれども、このヒョウタンツギを食べて死ぬというあまりといえばあまりのような展開に、少しがっかりしてしまった。もちろん大筋に違いはないのだけれどあまりにもコメディチックすぎたからだ)。前述した「ホンネ」にもそれと同じような感覚を覚える。
まったく別のマンガ家だけど、大和和紀の「はいからさんが通る」という作品がある。だけどこれも時々挿しはさまれる極端なコメディぶりが正視できず、世間ほどの評価が個人的にはできない作品だ。同じマンガ家の作品で「あさきゆめみし」というのもあるが、これはそのような不必要なギャグ要素は一切ないため、元々の繊細な絵柄と相まって、大変情緒を感じられる名作だと思う。
私見ではあるが、必要以上のコメディ要素はそういうマンガでない限り必要ではないのではと再確認した作品だった。
1巻の素晴らしさ
そのようなコメディ要素がほぼない1巻の始まり方は、個人的にはとても気に入っている。ある劇場で行われる劇の主役がアメリカで麻薬密輸容疑でFBIに逮捕され、代役として白羽の矢がたったのが「七色いんこ」だ(もしかしたら監督に彼を紹介した男は七色いんこの変装だったのかもしれないと今になって思ったりした)。劇場に穴をあけられないという監督の悲痛な願いで迎え入れられた彼はその顔かたちはもちろん一切が謎だけれども、その抜きん出た演技で劇場の喝采を独り占めした。たとえ初日1日前でも、セリフはもちろん舞台での動きかたや他の俳優たちとの絡みなども全て覚えこむ記憶力は、緊急性の高い代役として完璧な能力だ。そしてその声の鷹揚や動き、演技力は初めて彼が出て来たコマで十二分に感じることができた。代役専門として劇場を渡り歩きながらドロボウ稼業をしている自身を素人俳優と卑下しながらも演劇への思いはしっかりあるつらさが、ブラック・ジャックの思いとまた重なる。
そしてドロボウもこなす彼を追いかける千里刑事の魅力たっぷりだ。素晴らしい美貌をもちながらも刑事の道一筋、そうでいながら鳥アレルギーでジンマシンがでると同時に体が2頭身になってしまうというめちゃくちゃ設定ながら、それが実にかわいらしい。気の強い彼女の唯一の欠点にもかかわらずそれも決して欠点になっていないというこのキャラクターの魅力は、手塚治虫の絵柄ならではかももしれない。
一つ印象的な話があった。ある劇を心から演じたいという役者が、その役柄をつかむためにスラムで生活をしていた。けれどなぜかそのまま身をくらましてしまったという。その役者を七色いんこが結果的に救い彼を劇団に戻したのだけれど、このあたりの貧乏のどん底の描写(劇のタイトルがまさに「どん底」だった)が実にリアルで見ごたえのある絵だった。また「どん底」というのはなにも貧乏というだけでない。精神的にも「どん底」というものがある。この劇団にもどろうかどうしようか悩む役者の煩悶ぶりもまさに「どん底」でこちらも同じような気持ちになってしまうものだった。
また最後の七色いんこの当たり屋の演技はさすがというほかない。とてもすっきりした終わり方で気に入っている話のひとつだ。
ピノコといんこと玉サブロー
「ブラック・ジャック」には常に彼に寄り添うキャラクターとしてピノコがいる。ブラック・ジャックによって命をふきこまれた小さな女の子で、ブラック・ジャックは娘として接しているが、彼女はあくまで「奥たん」としてふるまっている。彼に庇護され愛され、そして時々は彼に力や愛を与える彼女は、とてもうらやましく思える関係だった。
「七色いんこ」にも彼に寄り添うキャラクターはいる。初めによくでていたよく慣れた手乗りいんこと、ひょんないきさつで一緒に生活することになった玉サブローだ。玉サブローは犬でありながら芸に秀でており、並の犬ではない。七色いんこにまとわりつき、時に怒らせ、悩ませながらも、いつのまにか七色いんこにとって彼はいなくてはならない存在になっているのが分かる。
とはいえ、どうしても犬が歌ったり踊ったりする時点であまりにも現実離れしすぎて、読み手にはピノコほどの深みと魅力がないように感じられる。確かに手塚治虫の書く動物だからとても可愛らしい。だけどそこまでで、ペットの域を超えないもののように感じられてしまうのだ。
逆に、なにも芸もせずただ七色いんこを慕う手乗りインコの方が、私は好きだった。玉サブローが七色インコのもとに来てからさっぱり姿をみせなくなってしまったのが残念なところだ。
様々な劇を楽しめるストーリー
この「七色いんこ」では様々な劇が描かれる。主に古典が多いけれど、知っているものも数多くあり十分楽しめる。「ガラスの仮面」ほど舞台の描写が続くわけではないけれど、セリフやストーリーの説明などはきちんとしてくれていると思う。
ただ視点が舞台や劇ではなく、あくまで「七色いんこ」がかかわる周りの人間の人生や問題などに視点がおかれているため、「ガラスの仮面」のように1話まるまる舞台劇の描写ということはない。それが若干物足りなく思うこともなきにしもあらずだけれど、1話1話短編ながら人生の悩みを掘り下げつつ解決という展開の早さは、「ガラスの仮面」に勝るものでもある。
この作品はそれほど深みがあるというわけはないけれど、様々なストーリーと設定を楽しめるマンガらしいマンガといえるのかもしれない。
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