ヨーロッパの没落と異国情緒をエキゾチックな風景の中に、観念的な主題を見事に映像化した 「シェルタリング・スカイ」
このベルナルド・ベルトルッチ監督の「シェルタリング・スカイ」は、W・バロウズ、C・ブコウスキーとともに"現代アメリカ文学の3B"と呼ばれるポール・ボウルズのベストセラー小説を原作に、サハラ砂漠の雄大な空間を舞台にして映画化した壮大な愛の物語だ。
「ラスト・エンペラー」や「リトル・ブッダ」でもベルトルッチ監督と名コンビを組んだ坂本龍一のテーマ曲は、人間の運命を翻弄する砂漠の映像とともに実に圧倒的で、映画史に残る名曲だと思う。
第二次世界大戦が終わって間もなく、アメリカから一組の夫婦と若い男の3人の旅行客がアフリカへやって来る。ボートとキットは、互いの間の愛に確証が持てず、かつ文明国での暮らしにも満足できないでいる。新しい関係性と新しい世界を求めて2人は旅に出たのだった。
一方、異国の異文化の中でもアメリカ人気質丸出しのタナー。この3人の旅の行く先々につきまとい、キットが「モンスター親子」と呼んで恐気をふるう、容貌魁偉なライル母子。とにかく、キットを演じるデブラ・ウィンガーがとても素晴らしい。未知の風土に憧れつつも、文明人であることの挙措を捨てきれずに煩悶する姿を実に繊細で、深みのある演技をしていると思う。
ボートは現地人の女を買いに行き、キットはタナーと一夜限りの関係を持ってしまうが、この夫婦のしっくりしない関係は、原作者のポール・ボウルズとその妻であり作家だったジェインとのそれを色濃く反映しているということだ。また、撮影当時、89歳になるポール・ボウルズが映画の随所に登場し、次第に悲劇へと向かうキットとポートにまなざしを向けながら、ちょっと思わせぶりで素敵なナレーションを語るのが印象的だ。
ポール・ボウルズの原作だけあって、この映画には文学的なセリフがふんだんに散りばめられていますが、そもそも「シェルタリング・スカイ」という題名は何を意味するのかというと、"Sheltering"とは、保護と防御のための被いといった意味の単語ですが、ポートとキットが、何ひとつない荒野を見下ろす断崖の上、見渡す限りの広大な空の下でメイク・ラブをするシーンのやりとりで、この題名の由来が明らかにされます。
「見てごらん、不思議な空だ。物体のように浮んで僕たちを外にあるものから守ってくれる」「外に何があるの?」「何もない虚空だ。夜がある」-------。
おそらく、このシーンは近年の映画の中での屈指の名場面だと言えると思う。大自然のただ中でのセックスは、2人のちっぽけな身体が、むき出しの酷寒の宇宙にさらされているような孤独を、私の心に突きつけてくるのだ。
このシーン以後、映画はエキゾチックな舞台を背景にした白人の男女の愛のドラマといった趣から一変します。タナーと別れた夫婦は、言葉すら通じないサハラ砂漠の奥地へ奥地へと向かっていきます。そして、ボートは風土病で死に、キットが、互いの孤独から逃れられないと知りつつも「私はここにいるわ!」と叫ぶ場面は、観ている私の胸を激しく揺り動かし、締め付けます。
ボートの死後、アラビア人の隊商にやみくもに身を委ね、やがて追放され、魂の抜け殻のようになって帰還するキット-------。
「ラスト・エンペラー」や「リトル・ブッダ」など、東洋を題材としているベルトルッチ監督ですが、もともとは「ラスト・タンゴ・イン・パリ」や「1900年」など、"ヨーロッパの没落と再生"を自身のテーマとして撮ってきた人です。
その意味では、この映画のポートとキットの運命は、どこまでいっても結局はヨーロッパ人でしかないベルトルッチ監督自身の"魂の告白"のようでもあり、いささか苦い結末になっていると思う。
この映画のラストは、冒頭で登場したカフェが出てきて、ポール・ボウルズがキットに「迷ったのかね?」と語りかける。そして、最後に彼が呟くセリフもまた、苦い。「生きている間に人は何度月を見上げるか、せいぜい20回、だが人は無限の可能性があると思う」-------。
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