我々の一部であるフジコ
美への執着心
まずこの作品で出てくるキーワードの一つとして、女の「美への執着心」が挙げられます。フジコの実の母である慶子、友達の杏奈、そしてなりより主人公であるフジコなど、登場する女性たちは皆、少なからず外見の良さを追求していました。慶子は一家が貧しい時でさえ膨大なお金をかけ外見を磨いています。杏奈は常に美しく、隙のない女性でした。そしてフジコも裕也との交際から、「美しさ」への執着と強い憧れを抱き始めます。読者である我々は、特に主人公であるフジコから、外見の強い劣等感を感じさせられます。外見の美しさこそが女性にとって全てだとフジコは考えていました。それはやはり、杏奈との出会いが大きかったのでしょう。その外見の美しさ、経済的余裕、そして何より、裕也すらも彼女に奪われたフジコ。自分が美しくないから裕也は杏奈を愛したのか、美しくないから自分はこんなに卑屈で惨めな性格で、貧しい生活をしているのかとフジコは次第に考え始めます。そして結局、ああはなってたまるものかと思っていた母親である慶子のような人生を歩むことになるのです。美への執着は女性であるなら誰もが持っていると言えるでしょう。そしてフジコのこの強い劣等感に少なからず共感してしまうのです。外見の美しさによって、世の中の男性を虜にできる、それこそがフジコにとって全てであり、正義でした。そしてこの作品では実際にそのテーマについて深く取り上げられていると言えるでしょう。冒頭や所々に出てくる「おがくず人形」とはまさにフジコのような、外見だけ取り繕った偽物のような存在。でもこの世間にどれだけの人間が、自分に心からの自信を持ち、幸せに生きていると言えるでしょうか。フジコの気持ちに全く共感出来ないなんて人間は存在するのでしょうか。誰もが皆、「おがくず人形」の一面を持っているはずです。この作品では、「人は外見だけではない」という言葉に対して、実際に外見に劣等感を抱いている人間への共感と、そんな人間への皮肉を表現していると言えるでしょう。
お金への執着心
そしてもう一つ言えるのが、「お金への執着心」です。幼い頃フジコは学校の給食費を親からもらうことが出来ず、いつも辛い思いをさせられていました。体操着も一着だけを妹と共用しており、洗い替えもないので帰って急いで洗濯し干しては、生乾きで臭いまま着ていました。成長期の女子にとっては耐えがたい苦痛です。このような貧しい子供時代を送ったがゆえに、大人になってもフジコはお金に対する執着心が根強く残っていました。そもそも前述した美への執着についても、結局は保険のセールスで多く顧客を得るためであったり、お金持ちの男性と結婚するために整形し、外見を磨いていました。美しければ、結果的により多くのお金が手に入るとフジコは信じています。しかし結果、フジコはまたお金に苦労する事になるのですが…。とにかくフジコは貧乏であることにも強い劣等感を抱いていました。何不自由なく暮らしてきた人にとっては理解できないかもしれませんが、お金がないと人間はここまで余裕がなくなるのです。特に女性にはその傾向が多く見られます。この作品はそんな世の中の女性の姿を、フジコという例に置き換えてリアルに描写されています。フジコは決して、特別な人間ではありません。そこらにいるありふれた女性なのです。
殺人について
この作品の特徴の一つとして、主人公のフジコは殺人鬼ではありますが、決して快楽殺人者ではないことが伺えます。よく聞く殺人鬼と言えば、幼少期に家庭に問題があり、小動物などを殺害することで鬱憤を晴らすなどの傾向が見られます。しかしフジコにはそのような傾向はなく、むしろ妹思いで周りにも気を使える、普通の少女でした。(死んだカナリアを切り刻む事はしましたが、むしろカナリアを殺した小坂恵美の方が快楽殺人鬼の傾向があるように思います。)それが、小坂恵美を殺してから何かのタガが外れて、殺人に対する重みが分からなくなっていきます。まぁそれ以前に、実際には自分の家族を殺害していたのですが。彼女の殺人行動は、タイトルにもある通りすべて「衝動」によるものです。全ては自分の人生を、自分が信じる幸せなものにするために邪魔なものを排除していったのです。それは殺人自体が目的ではありませんでした。バラバラにするのも、単に証拠を残さないために1番効率のよい方法を選んだに過ぎません。このことがつまり、先ほども述べたようにフジコが決して特別な人間ではないことを示しています。確かに多くの人は、自分に都合が悪くなったとしても殺人を犯すまではしないかもしれません。しかしフジコの気持ちが全く理解できないはずはありません。誰もがきっと、誰かを殺してしまいたいと思ったことがあるはずです。それを衝動的に行動してしまったのがフジコであっただけで、もしかしたら読者である我々もいつかそうしてしまう日が来るかもしれないのです。この作品でのフジコの殺人は、いつ私たちにも訪れるか分からないという恐怖を感じさせます。そう、殺人とは決して我々に縁のないものではないという、当たり前ではありますが普段あまり考えない事実を述べているのです。改めてその恐怖を考えさせるために。
フジコという人間
ここまで述べてきた中で何度か触れた、このフジコという女性は決して特別ではない、という事についてですが、これこそがこの作品のテーマなのではないかと思います。美や金など、人間なら誰もがもつ欲望、そして邪魔者を排除したいという衝動。それらを彼女は本能のままに行動に移してきました。読者の多くにとって、彼女はどこか憎めない存在になるはずです。彼女の行動につい共感してしまうから。しかし、その欲望を貪り続けた結果、彼女はとても幸福であったようには思えない人生を送っています。だから我々はそうならないように、自分の欲望を抑えるのです。この作品を読まなかったとしても、フジコの様な人間が不幸になることは誰もが分かっているからです。それでも、フジコがその結果どうなるのか確かめたい、できれば幸せになって欲しいと考えた人もいたのではないでしょうか。それは普段がんじからめになっている我々読者にとってのフジコが、とても純粋で、幸せになりたくて必死にもがく1人の女性だからです。フジコはそんな魅力的な女性であり、多くの人間の一部なのです。
まとめ
これまで、主にフジコと一般の人間について述べてきましたが、いかがだったでしょうか。この作品は決して読んだ後心地よい気分にさせてくれるものではありません。むしろ鬱蒼として嫌な気分になるような内容です。でも、フジコが不憫で、どこか愛しく思えてしまう、フジコがとても魅力的に描かれている作品なのです。フジコがもし幼少期に恵まれた家庭で愛情をたっぷり注がれて育っていたなら、こんな結末にはならなかったでしょうし、私たちを惹きつける人生を送ることもなかったでしょう。彼女が悪かったのか、世間が悪かったのか。この作品はフジコの娘である早季子が書いたものとなっていますが、母を恨んで書いてはおらず、ありのまま表現しているように見えます。それは早季子もまた、母に同情し、共感していたからなのでしょう。最終的にフジコの夫を殺害した犯人であったり、そもそもの始まりである高津区一家惨殺事件の真相などの多くの謎はこの巻では結局明るみにはなりませんし、むしろ多くの謎を残して幕を閉じます。この作品には続編も出ているので、あえてここではその謎について触れませんでした。フジコと読書である自分や周りの人間を照らし合わせて、改めて人間の尊さ、脆さや危うさ、そして愛しさを考えたいものです。
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