オカルトには留まりきらない壮大なスケールの次世代教科書
繋がりと必然
「偶然はない。すべては必然だから」というのが一貫するキーワードとして、この漫画の世界観を作っている。身の回りに起こる偶然にも思えること、すべてに意味はあり、それは必然で起こるという、理解はできても実際起こってみるとそれを受け入れるにはあまりに壮大な世界を受け入れることに気付くと思う。四月一日が侑子と出会って、あまたの出来事、ありえない事象を目の当たりに、「そんな訳ないか」と言うのがまさに読み手心の代弁。そうして物事の本質に至らない人間の末路がどうなるかを、四月一日は、侑子に学びながら目の当たりにしていくことになる。それはまさに読み手が、自分の置ける世界の扉をひとつ開くことに繋がっている。それも必然と、言われているような作者のしかけにドキドキする。
次元を超えていく 夢渡り
次元を超えるという言葉で、文字通りXXXHOLICの世界と漫画『ツバサ』が漫画世界の中で枠を超えてシンクロする。なので、XXXHOLICだけでは完結されていない、明かされていない答えが『ツバサ』を読めばわかる、というのが醍醐味。四月一日目線での侑子とのやりとり、小狼目線での侑子のやりとり、双方で同じ時空間にありながら全然違う。侑子は小狼たちとやりとりをしている間、四月一日とは想念(テレパシー)で会話しているのが『ツバサ』側と『XXXHOLIC』側であるのだから、侑子さんの出来る女度が半端ない。四月一日が『夢渡り』ができるようになることで、次元を行き来するようになるが、この夢の中で侑子さんは遥さんに会い、消えて行く。侑子は故人であると四月一日に告げ、去っていく。『ツバサ』側でも、飛王が「どこにもいない」(どこの次元にも存在していない)と言っている。遥さんも故人なのに、夢の次元に存在している。侑子がどこの次元にも存在しない(魂の消滅)なんてありえるのだろうか?それは、店で待ち続けると選択した四月一日が、答えを待っているのと同じな気がする。
アセンションする現代への入門教科書
「すべては必然」これは仏教でいう因果応報にも近いものを感じる。すべては己の業に所以。しかし自分都合で生きる私達には、この道理が受け容れ難いことも往々にある。それを四月一日が代弁してくれている。しかし四月一日は、自分が傷ついてもそれを受け入れたとしても、だからといって四月一日の何かが変わる訳でもなく、変わらずひまわりに優しく接するところや、百目鬼君にはツンデレなところが可愛い。むしろ、否定し毛嫌いしていた自身の能力、未知の世界を受け容れ、人としての柔らかさも切なさも含めて成長していく姿は、現代にとっての作者によるメッセージが込められていると思う。
それは「もうさ、受け入れようよ。そんな頃合いよ。」と言われているようで、漫画を通してやんわり気付かせてくれる。そして気付いて受け入れたら、「え、どうしたらいいですか?」と侑子さんに会いに店に行きたくなってる自分に気付くかもしれない。次元が変わる、タイムシフトしていると言われる時代。アセンションする現代に向けて、未だそちらを受け入れられない人への入門編でありながら、通も唸るストーリー。単なるオカルトファンタジーと、ジャンルづけられるのは勿体なさすぎると思える作品。
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