ひぐらしのなく頃にの中で一番大好きな皆殺し編
名前の通り、皆殺し。
ひぐらしのなく頃には、たくさんの人が死にます。しかし、どの編でも基本的には1人は生き残ります。その後の暮らしがどうのとかは知りませんが、昭和56年を生き残る人は少なからずいたのですが、この皆殺し編は、味方側の人間はほぼ全員死にます。しかし、その死は無駄な死ではなく、タイトルのダブルミーニングである、全ての謎や打破するためのルールを散りばめながら次に向かいます。
鷹野のヒール感が強すぎる。
鷹野三四はどの編を通しても異常です。目が普通じゃない。とまあ、冗談はこれぐらいにして、鷹野がいつも異常だということは大前提として存在するルールです。しかし、この皆殺し編に関して言えば、次の祭囃し編の最初に鷹野の過去が語られるために、どうにか彼女に同情してもらわないといけません。その前の編、皆殺し編で、異常さや残虐性をクローズアップさせないと、ただの異常快楽な殺人者になってしまいます。ひぐらしのなく頃には、最終的に生きている人間は形はどうであれ不幸にはなりません。みんなが幸せで大円団になるので、敵である鷹野もその例には漏れず、何度も殺されているにもかかわらず、そのせいで時報という不名誉なあだ名までつけられた富竹が支えてくれるラストになります。ただ、雛見沢大災害の時にタクトを振るう姿は変態にしか見えなかったですけどね。
多分、教訓だと思うこと。
鷹野と戦い、善戦の末に惜しくも皆殺しにされた部活メンバーは、いつもなら、羽入と古手梨花しかいないような、誰かの意識の中らしき空間にいますら。きっと、梨花の置かれている立場をきちんと理解し、戦う意識を共有したからでしょう。そこでは、奇跡が起こせなかったのは自分たちのせいだと、救いを求めていた梨花を助けられなかったことを嘆いています。梨花は首を振りながら、みんなで力を合わせても勝てなかったんだから仕方がないと言います。しかし、竜宮レナは、それは違いと言います。誰かが奇跡を信じなかったからだと言い切り、誰もいない空間を睨むようにして見ています。あなたは信じていたかと問いかけます。あなたとは羽入のことですね。確かにこの編での羽入は、奇跡を起こそうとしている梨花に対して水を差すような事しか言ってません。鷹野の異常さは書きましたが、この編では、いろんな人の行動が少しオーバーに描かれている気がします。大石が編に明るくやる気に満ちていて、隙を狙われて殺されたり、梨花も妙に自信満々で羽入の対極に対極に立ちながらやはり殺されてしまいます。慢心さや逆に自信がなさすぎるのもよくないよということなんでしょうね。
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