親の愛情と子供の人格形成 - 少年は残酷な弓を射るの感想

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少年は残酷な弓を射る

4.004.00
映像
4.00
脚本
3.75
キャスト
4.50
音楽
3.50
演出
3.50
感想数
2
観た人
2

親の愛情と子供の人格形成

4.54.5
映像
4.5
脚本
5.0
キャスト
5.0
音楽
4.0
演出
4.5

目次

子供を育てるということ

非常に残酷で重いテーマの映画ですが、その分興味深くもあります。母親の子供に対する愛情について、母親の愛情に対する子供の執着について、人が犯罪に走ってしまう経緯について、これほど考えさせられた映画はありません。しかし、いくら考えてもわからないことだらけです。母親は無条件に子供を愛せるものなのか、子供は母親を愛せるのか。自分ではわからないからこそ、映画を観て考える価値があります。

エヴァは、長男のケヴィンを妊娠している頃からうつ状態になります。それまで冒険家として世界中を旅していたエヴァは、子供を持って生活が一変することに順応できなかったのでしょう。子供を持てば生活は変わります。お金に関しても時間に関しても自由は減り、子供中心の生活になります。当然のことです。ほとんどの人が理解していることですが、充分に覚悟をして子供を持つ人がどれだけいるでしょうか。子供が欲しいからという安易な気持ちで、充分な覚悟もなく子供を持つ人が多いように見えます。子供を育てるということは、衣食住を与えることではありません。衣食住やお金に不自由させることなく、学校に行かせて、無事に子供を育てられたと思い込んでいる親は沢山います。もちろん、それで人並みの大人になれる人は沢山いるでしょう。しかし、それは子供を育てることの本質ではありません。お金も勉強も大切ですが、子供の心の方がはるかに重要です。ケヴィンは衣食住も与えられ、学校にも行っていました。外的な要素だけを見れば普通の環境で育ちましたが、心には暗い感情を抱えたままでした。

母親の愛情と子供の心

ケヴィンは幼少の頃から、母親であるエヴァに全く懐きませんでした。母親を敵視しているのか、母親の愛情を感じられず寂しさのあまり反発しているのか、もしかしたらその両方かもしれません。本能的にも理性的にも、母親を憎む部分があったように思います。生まれたばかりの、まだ充分に物事を考えられない頃も、母親がどんなにあやしても泣き止まないのに、父親があやすと泣き止んでいました。そのことから、単に母親に反発しているだけではないと考えられます。エヴァに何かしらの原因があったのか、ケヴィンの生まれつきか、エヴァにもケヴィンにもどうすることもできない要素があったはずです。ケヴィンが懐かないから、エヴァの愛情表現もぎこちなくなっていき、ケヴィンはさらに懐かなくなるという悪循環が生まれます。

ケヴィンは一度だけ、体調を崩してエヴァに本を読んでもらっているときに、母親に甘えます。やっぱり本能的には母親の愛情を求めているのでしょうか。母親の愛情を感じ取れないために、反発しているのでしょうか。父親には普通の子供以上に懐いているように見えますが、それも本心ではなく、父親に甘える自分をエヴァに見せつけることでエヴァを攻撃しているのかなと感じました。

私の主観では、エヴァは充分に努力していました。しかし、自分を責めたり、心を開いてくれないケヴィンに戸惑ったり、自分を追いつめていました。私の考えでは、良い母親とは余裕のある母親です。完璧を目指すと余裕がなくなり、感情的に子供を怒鳴ったり、八つ当たりしてしまいますし、子供の問題にも冷静に対処することが出来なくなります。母親がそのような状態では、子供が母親を頼ることが出来なくなってしまいます。賢い子供は、親に期待しなくなります。良好な親子関係を築くために大切なことは、完璧を目指さないこと、ただ愛して、愛していることを子供に伝えることだと思います。エヴァは、普通の母親と同じようにケヴィンを愛していました。ケヴィンの高校で事件が起こったという知らせを聞いて、学校に駆けつけて必死にケヴィンの姿を探しているエヴァは、子供を愛している母親そのものです。その愛が充分に伝わっていなかったことも、ケヴィンが反発した一因だと思います。

人が犯罪を犯す原因

ケヴィンは、16歳の時に父親と妹を弓で殺害し、高校で無差別殺傷事件を起こします。その動機もおそらくエヴァに対する反発です。

人が犯罪に走る原因はどこにあるのでしょうか。生まれ育った環境で犯罪に手を染めやすくなる人もいれば、生まれつきの人もいると思います。親の極端な教育のせいで歪んでしまうケースもあります。周りの人に言われたことが原因で自分をダメ人間と感じてしまい、自暴自棄になって犯罪に走ってしまう人もいます。いずれも、100%本人が悪いというわけではありません。また、犯罪を犯す時に脳内に快楽物質が分泌される人もいるようです。それは、本人のせいでもなければ、環境のせいでもありません。もちろん、親のせいでもありません。だからといって、犯罪を犯しても許されるというわけではありません。本人に責任がないと主張したいわけでもありません。何かを主張したいわけではなく、ただ安易に犯罪者を責めることに理不尽さを感じるのです。殺人のニュースを見て、犯人に反発心や嫌悪感を抱く自分自身に対しても理不尽を感じます。当たり前の感情だとも思うのですが、犯人だけを責めるのは何か違うような気がします。誰でも犯罪を犯してしまうことは有り得ると思います。人は追いつめられた時に、自分でもコントロールすることの出来ない力に操られて罪を犯してしまうのかもしれないと考えると恐ろしいです。

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他のレビュアーの感想・評価

一言で示すなら質の悪すぎるマザコン。

邦画の宣伝による印象詐欺にまた引っ掛かってしまった!以前、たまたま映画の予告を観た際に美少年役のエズラ・ミラーが気になったのと、ティルダ・スウィントンをお目当てに鑑賞。邦題は「少年は残酷な弓を射る」で、原題は「We need to talk about Kevin」意訳すれば、「私たちはケビンについて話さないといけない」お察しの通り、ケビンは作中に出てくるこの青年。日本語での宣伝、邦題だけ見れば母親への感情移入を促すような、難のある息子の子育てに奮闘する姿を描いた社会派ストーリーなのかと軽く構えていたがそんなものでもなかった。正直に言えば、あまり気分が良いものでもない…。どきどきハラハラ、というより何とも言い難い苛立ちが強く募る。その原因の一つは、母親に感情移入が出来ないことにあるのだが。それにしても、日本は映画の宣伝を小奇麗に見せすぎである。社会派とか愛とかそんな言葉がなくても充分表現する...この感想を読む

3.53.5
  • ゆづるゆづる
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