集大成的「黒沢清」映画
黒沢清は同じ映画を作り続ける
決してネガティブな意味としてではなく、黒沢清は同じような映画を撮り続けている。本人が意識しているわけでもなく、映画監督としての仕事を黒沢清がまっとうすればするほど、彼の映画は同じような映画になってしまう、まるで何か見えない力に作用されているように。しかしながらそれが観客にとって「退屈」に感じるかというと決してそうではなく、むしろその「毎回同じである」ことは見る側に異様なスリリングさをもたらすことがある。なぜならば、同じような映画を撮っていたとしても黒沢清の映画は毎度ジャンルが違うのだ。一般的にはホラーの映画監督としてよく知られているしホラー映画も大好きな黒沢監督だが、本作『トウキョウソナタ』はホームドラマであり、これの前に撮った『アカルイミライ』はいわゆる「渋谷系」・・・と言われるような若者たちを主人公にしたヒューマンドラマであるし、最近では『リアル』や未公開の最新作『散歩する侵略者』などSFも撮っている。しかしながらそのどれもに「あ、黒沢清だ!」という刻印がなされている。「ダンボールでサッカー」、「揺れ動く白いカーテン」、「ブルーバックで撮影された車からの風景」などなど。そしてそのどれもがホラー映画のように、いやホラー映画を超える恐ろしさ、禍々しさが含まれている。むしろそれが根幹をなしていると言っていいかもしれない。『トウキョウソナタ』はホームドラマだが、日本映画にありがちな家族の愛を描いた感動作などでは決してない。家族間の不協和音が淡々とそして着実に進行してゆくとてつもなく恐ろしい映画なのである。
観念的な不安と即物的なショック
なぜ黒沢清の映画はそこまで恐ろしいのだろうか。それは人物たちが日常的に抱いている観念的な不安が即物的なショックとしてカメラの前に具現化するところにある。不安が具現化してしまう、というのは古来より「ホラー」というジャンルが無意識的に描いてきたものである。デヴィッド・スカル著『モンスター・メーカー怪奇映画の文化史』という本によれば、アメリカのモンスターホラー映画というのはその当時の社会的不安が無意識的に表層化したものとして語られている。例えばかつての宇宙人やロボットによる侵略SFものというのは資本主義社会における共産主義の侵略の恐怖を無意識的に反映させたものである、といったように。しかしながら黒沢清は不安の具現化をより現実的なホームドラマの中でやってのける。「普通の家庭」というステレオタイプによりギリギリの均衡を保っている家庭が香川照之が演じる父親のリストラにより一気に崩れ去っていく。それは生への不安、または「父親」「家族」としての役割が崩壊することの不安である。そしてその不安は即物的なショックとして画面に現れる。観客誰もが息を飲んだであろう怒った父親が子供を自宅の階段から突き落とすシーンである。この場面では実際に子供が階段から落ちる場面を映すために周到な用意がなされて撮影されている。スタントマンではなく、実際に演じている子役が階段から滑り落ち、地面に頭を打つ。撮影のために階段は実は透明な滑り台になっており、おそらくCGで消されているが命綱もつけるような撮影だったことがDVDの監督のオーディオコメンタリーにより語られている。それくらい『トウキョウソナタ』はこの即物的なショックシーンに力を入れた作品なのだ。
『トウキョウソナタ』の救い
さて、この映画はこれほど酷いことが起こったあとでもハッピーエンドとして幕を閉じる。ふつうの「日本映画」ならば、人物たちは言葉で互いを理解し、言葉で和解し、涙を流しながら抱擁し、叫び声で謝り合ったりすることだろう。しかしながら黒沢清が撮っているのは”純”映画なので、決して「言葉」による説明などはしない。常に黒沢清はスクリーンに映し出される情景(音も含め)によって映画のストーリーを進行させる。また「涙を流しながら抱擁する」などといったクリシェも使わない(黒沢清映画独特の「クリシェ」なら度々登場するのだが)。この映画のラストは互いに「理解と和解」を交わすエンドロールとなっているが、言葉ではなく、次男が奏でるピアノの演奏により、「説明」ではなく観客に「理解」させる(ちなみにこのシーンのピアノの演奏をしている手はプロが演奏している手を演じている子役にCGで合成させたものである。非常に手間がかかったことがオーディオコメンタリーにより語られている)。これもある種、「救い」の具現化と言える。観念的な不安だけではなく、映画のハッピーエンドまで「具現化」により語られる。これこそが映画なのである。映画とは抽象的な概念であるところのストーリーがカメラに映るものとして具現化するものなのだ。「言葉」や「記号」で語られるのはそれは映画ではなく、ただの「ストーリー」であって、映画である必要がない。そのような「映画」と自称しているものに黒沢清は真っ向から立ち向かう。日本映画にまた”純映画”を取り戻すために。
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