天才は離れて見るくらいがちょうどいい
一読者としてパニックを起こした
実は本作のタイトルを見た瞬間、どうにも浮ついた「収まりのないタイトル」と感じ、期待をしていなかったことを覚えている。しかし、単行本の1巻を読み終えたとき、「一体全体、このマンガのどこが面白かったんだ!?」とパニックを起こしてしまった。「こんなマンガのどこが面白いんだ?」という否定的な意味ではなく、ものすごく面白いと感じたのに、なにが面白かったか端的に言い表せなかったからである。その後、2巻以降を読み再び1巻に戻り、また続きを読み見始めた。これは、物語の続きが気になるということも理由だが、もしかすると言い表せなかった「面白さ」を理解したいために読み返していたのではないかと思う。本作の読者においては、こういった体験をした人も多いのではないだろうか。
天才をウォッチするマンガ
ありきたりではあるが、本作は、天才文学少女をウォッチするマンガであると結論付ける。世間をあっと言わせ、尊敬され、嫉妬され、妬まれ、どんなに好き勝手やっても、天才の能力を持って世間が味方になる。そんなチート能力でちやほやされてみたい。と、誰もが人生に疲れた夜なんかに布団の中で妄想したりするだろう。クラスで一番の人気ものになりたいとか、全国模試で一位を維持するとか、好きなスポーツで圧倒的な力を発揮するとか、異能力という圧倒的武力をもったり、異世界に転生して現代科学や社会・医学などを駆使してヒーローになるとか。数えればキリがない。そういった意味では、本作も「チート能力をもって異世界に転生した」という作品とベクトルは近い。しかし、本作は多作とは趣が違う。凡人が考えるやりたい放題と、本作の主人公の行動が必ずしも一致しないからだ。
小説……それも純文学という、かなり尖ったジャンルに置いて本作の主人公は才能を発揮している。天才を描いたマンガは多くあるが、「設定が天才」というもので、殆どは脇役として描かれており、存在がギャグか、何もしないというモブの役割しか無い。本作の主人公は、常人が理解できない存在として、【天才らしい天才】を描いているのが特徴である。
そして、ここに同じような感想を持った作品として、園田善之氏の描く「昴」をあげたい。昴とはバレエ・ダンスの天才である少女の物語で、主人公は天才であるため常人には理解しがたい行動を起こすことが描かれていた。しかし「響」と「昴」には圧倒的な違いがある。それは見せるものが違うとういことである。昴は「バレエ」の作画表現で、読者を飲み込んだが、響には「小説」自体が、ほぼ表現されない。主人公の書いた小説の内容は、簡単には出ているがマンガにおいて「小説」の劇中作を表現するのは難しい。これが圧倒的な違いといえる。つまり、昴はバレエを見るマンガで、響は小説を見るマンガではなく、天才小説家を見るマンガなのだと思われる。
舞台の背景
日本においても世界においても、文学というジャンルは今や日陰の存在であり、本作でも冒頭からそのように描かれている。大御所ですら販売一週間で20万部という売れ行きと書かれており、編集部内は暗い。ここに若手の女性編集者がいるのだが、この文学・文芸の氷河期とも言える時代こそチャンスではないか?世間を合っと言わせるような天才小説家が生まれる予兆なのではないか?と言うと、「若いな」と上司に言われるような冷めきった業界となっている。
例えば売上部数で言えば、少年ジャンプ・マガジン・サンデーの三誌は、マンガに興味のない人でも名前くらいは聞いたことがあるだろうが、2016年の四半期ごとの印刷部数で言えば、ジャンプが200万部強、マガジンが100万部弱、サンデーが50万部を割っている。そもそも本が売れない時代になっているのだという。昨今話題になっている村上春樹氏の騎士団長殺しが、初週で26万部というから、それでもジャンプの部数の1/3以下となる。参考までに世界で一番売れてマンガは㈱ONEPIECEで、累計3億2000万部も売れているそうだ。出版業界においての文学小説の肩身の狭さは言うまでもない。
主人公の魅力
天才の奇行というと本作では暴力が目立つ。この暴力の良いか悪いかはさておき、主人公には自身の世界があり、理屈がある。決して常識が無いわけではなく、それを知った上で自身の判断で行動していると言った様子である。これは一本筋が通っているようにも感じられるが、15歳という人として未熟な少女の一面でもあるのだと思われる。またこの奇行は売るためのパフォーマンスではなく個人の生き方であり、その姿に、周りの大人は戸惑いながらも惹かれていくというのが本作の主人公の魅力である。また作中で自他共認める醜い女性というキャラも出てくるが、そこに比較されても主人公は若く、そして年相応に可愛いという設定である。
友人と普通の人々
サブキャラの設定は普通である。しかし主人公以外のキャラクターもそれなりに個性が強い。薄い内容の小説やマンガなら、主人公抜きの舞台で日常マンガでもかけるのではないかと思う。しかし、本作においては主人公が圧倒的な個性を見せるため、いい具合に普通のキャラが映えている。例えば、見た目ギャルだがそこそこ文才があり、父が偉大な作家である先輩。主人公には普通の女の子であって欲しいという思いを持つイケメンの幼馴染。ライトノベルのヴァンパイアものが大好きという大人しい性格の同級生。普通の不良である部員。それぞれが主人公と絡むエピソードが有り、それぞれの思いや悩み、不器用な青春時代を送っている。この友人たちや、編集者達、有名作家陣、ライバル、マスコミなど、どれも奇を衒ったような設定はないものの、主人公と関わることで味わいのあるキャラクターにみえてくるのが不思議である。今後は様々なキャラクターにスポットが当たっていくこととは思うが、やはり親友であり文芸部の部長である少女の存在は大きい。彼女は偉大な作家を父に持ち、幼少の頃から多くの本を読み、作家たちと触れ合ってきたという文芸界のサラブレッドである。書きたい気持ちも強く、表現力もあるが、主人公に出会って自身の卑小さに悩む。純文学というあまり若者に受けの良くないジャンルで創作を続け、主人公よりいち早くプロデビューするも「親の七光り」などと言われ、正当に作品が評価されないでいる。そんな中、芥川賞・直木賞の選考があり彼女と主人公は一時的なライバルになるが、これは彼女の独りよがりとなり、結果は主人公のダブル受賞。彼女はノミネートスラされないという結果に終わった。天才への嫉妬と自身の不甲斐なさから思わず主人公に当たり散らしてしまうが、一頻り泣いたあと彼女は富や名声よりも親友を傷つけてしまったことを後悔し、主人公を追いかけ謝罪する。この一連のストーリーは主人公以外のサブキャラに強いスポットが当たったもので、彼女は彼女なりに思い悩み、「面白かった」と言われると嬉しくて泣いてしまうような純粋な気持ちを持って創作にあたっていたということがわかるエピソードである。主人公は親友を思いやるが、その方法も「貴方の小説のどこが面白くなかったか」を語るという、死者にムチを打つような行為で描かれている。これは主人公の純粋な気持ちであり、そして彼女への敬意の現れだったのではないかと思う。
主人公の比較キャラ
親友も天才との引き合いに出されたキャラクターではあったが、その他にも苦悩する新人作家が何人も登場する。中でも目を引くのは、4巻に出てきた主人公と一緒に新人賞をとった男である。この男は、他人に指図されたり、自分がやりたくないことには断固として拒否をしたり、「相手が目上の人だろうが、自分は曲げられない」というポリシーを持っている。新人賞授賞式のような場でも、「会社の飼い犬みたいだからネクタイは嫌だ」などと、粋がってみせていたりする。が、大物作家陣からは、どこか見透かされたような様子で描かれ、まさに小物ととして見事に描かれたキャラクターであるとわかる。最終的には主人公からも、「貴方の作品は、ただ文学っぽいことがしたいだけにしか見えない」と看破されてしまい、「本物と偽物の比較」として、当て馬として描かれているすがたは痛快である。
また、これは作者による、ちょっと手痛い同業者への評価ではないかとは考えられないだろうか。現に、【作ることの難しさ、生み出すことの厳しさ、自分が描きたいものと、周りから求められることに苦悩する】といった作品は、特に【マンガ家が主人公の作品】に多いように感じる。主人公ではないが、100回は見たメタフィクションなのだ。作者はこれを同業者にぶつけたのではないかと思うのである。
読者層を鑑みた結果の演出か?
本誌はビッグコミックという青年誌に掲載されているが、作者はもう少し若い世代に向けて作っているのではないかと思う。あるいは、読者層の物語を読み解く力を信じていないのだろうか。不満なのはキャラクターの心情吹き出しが多すぎるところである。文学を扱い、天才を見せる作品であるなら、なおさら登場人物の心の声は表情や行動で見せるべきではないかと思う。本作はあくまでもマンガである。文字ではなく絵で見せてもいいシーンは多くあった。これに対する作者のスタンスはどうなのかと考えていたが、やはりあえて分かりやすく作ることにこだわりがあるだろうか。本作は純文学ではなく、エンターテイメントというジャンルのマンガである。故に、下手な小細工はいらないと判断されたのかもしれない。しかし物語を読み解き評価すると言った登場人物たちに共感する意味でも、少し暗い読者を遊ばせてあげても良いので灰だろうか。
他メディア化について
この記事を書くにあたって、斜め読みではあるが作者のブログも拝見させてもらった。「アニメ化しないかなー。響のフィギュアみたいなー」と書かれてあったが、心配には及ばないだろう。本作は間違いなく他のメディアにもなる力を持っていると思われる。原作は明らかにぱっと思いついた設定で描いているという他のマンガより一段上にいるし、読者を引きつける強い魅力もある。今後どんどん評価は高くなっていくだろう。あるいはドラマ化や映画化もできそうな内容だ。元業界人として言わせてもらうと、アニメ化に関して言えば本がある程度売れていれば、アニメ業界はそれをほっておく業界ではなない。単行本も6巻出ているのだから、おそらくはもう動き始めているのではないかと思う。巻数はまだ二桁に届かないが、1クールを作成するには十分なエピソードがあるとおもわれる。しかし只のアニメファンにとっては花のない話でもある。扱いとしては、聲の形のような静かな作りになるのではないかと予想される。もし、これが一大ブームになるとするなら、普段漫画を読まないドラマや映画のファン層ではないだろうか。日本文学界の話であるため海外受けはそれほど期待できない。また、本作は冒頭でも述べたが、「天才の描く小説」そのものを見せるのではなく、「天才という生き物を見る」という作品であるため、マンガという手法がもっとも優れた媒体だったのではないか?と評価されるのではないだろうか。おそらく原作ファンは原作だけで満足であろうし、仮に他のメディアでもてはやされた場合、原作信仰の読者と他メディアから入ったファンの間で、どうでも良い隔たりができそうな作品ではあるとおもう。
実際のアニメ制作現場ではどうか。基本的には日常の作画ばかりで、戦闘(アクション)シーンにおいても、逆に派手にしてはいけない作品である。物語は面白いが、作っている側がそうであるかは実に微妙なところである。正直アニメでなくても良いというのが結論である。
本作の今後の展開
正直、本書を読んでから良い意味で期待を裏切られ続けている。例えば主人公の精神面で、まだ成長が期待できそうな部分はかなり残されている。すでに友人との関係や、腐った大人との付き合い方。両親と娘という立場、それらは少なからず描かれ始めている。恋愛や結婚においても、「両立はできないのか?」という話を先輩作家としていることから、彼女が恋の病に冒され、熱烈なラブストーリーになることはないだろう。また主人公のカリスマ性と、それに相対する凡人との比較は、かなり多く描かれている。と、なると、気になるのは幼馴染の青年である。どうか最終話に向け、思い込みに狂った幼馴染が、猟奇的とも取れる行動に出て、主人公と一線やらかして……などという、微妙な終わり方だけはしないでほしいと切に願う。あまり先を考えるとつまらなくなるし、そのつまらない展開予想は、今のところ見事に覆されている。したがって、一ファンとして、今後の展開は無心で待つことにしようと思う。
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