様々な「憧れ」が結実したミュージカルに迫る - ゴッド・ヘルプ・ザ・ガールの感想

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様々な「憧れ」が結実したミュージカルに迫る

4.54.5
映像
5.0
脚本
4.5
キャスト
5.0
音楽
5.0
演出
4.0

目次

私のミュージカルに対するイメージを打ち壊した

ミュージカル。

夢を持った主人公が、様々な困難に立ち向かう。喜びや怒り、苦悩・甘いロマンスを楽曲に乗せ、歌い上げるスターの姿に観る者は皆、魅了されます。

私は常々、ミュージカル作品の筋書き、メッセージ性があまりにも似すぎてはいないか。どれもシチェーションが違うだけで、人々の夢と挫折、恋模様を単純なプロットに当てはめているだけではないか。いつからかそんな、いじわるな目線を持つようになってしまいました。特に近頃のミュージカル映画を一望してみると、私の言わんとすることがお分かりいただけるかもしれません。

元々、商業映画の性格が強いミュージカルですから、観客を楽しませることが必須なのは重々承知しているつもりです。ただ、ミュージカルが提示するメッセージ性が、もっとバラけてもいいのではないか。困難に立ち向かう人間とは、必ずしもドラマチックとは限らないではないか。そんな風に思うのです。

そんな私のモヤモヤを見事に打ち消してくれたのが、「God Help the Girl」でした。今作が、他のミュージカル作品とどう違うのか。また、その背景、魅力とは何なのか。私なりに迫っていきたいと思います。

いちミュージシャンが作り上げたミュージカル

本作を語る上で、まずはじめに監督・脚本をいちミュージシャンが務めていることに触れる必要があるでしょう。

スコットランドを中心に、高い人気を誇る「ベル・アンド・セバスチャン」のフロントマンである、スチューアート・マードックが初めてメガホンを取りました。

日本でも、彼らの描き出す繊細なポップソングは一定の評価を得ており、「ベルセバ」の愛称で音楽ファンに親しまれています。透き通るような綺麗なメロディと、丁寧な情景描写や心理描写。作品から漂う雰囲気は「ナイーヴな少年感」、これが言い表すにふさわしいでしょう。

音楽だけでなく、なぜ映画なのか

ミュージシャンである彼の創作はなぜ、映画にまで及んだのでしょう。

きっかけは、彼の夢に現れた「少女」でした。ある日、ライブ中に歌詞が止まり、演奏が止まってしまうというミュージシャンにとって1番の悪夢にうなされたことがあったそうです。そんなとき、会場からステージに上がって曲を歌い上げた少女がいました。その少女こそ、本作の主人公・イヴのモデルとなりました。勇敢に歌い上げる彼女の姿は、彼の創作の源泉となり、1枚のコンセプトアルバム「God Help the Girl」を作り上げたのです。そう、同名の作品をすでに彼は作り上げていたのです。そのアルバムに入っている曲のほとんどが映画でも歌われることとなります。

そのアルバム制作の段階で、映画化を想定していたという彼の発言からも、夢の少女に対する思い入れの強さが伝わってきます。

つまり、マードックは夢の少女像を、繋ぎとめる手段に音楽、そして映画を用いたのです。まるで、ゴダールが魅力的なミューズを映画を用いて表現したように。

ヌーヴェルバーグ的手法のミュージカル

私が今作に惹かれたのは、この作品が他のミュージカルと違い、商業娯楽作品の匂いが薄いところでした。かといって、小難しい哲学をこねくり回し、観客をおいてけぼりにするわけではありません。

楽曲だけに留まらず、映像から、台詞から、染み出るポップ感を1度でも観たことがある方であれば、お分かりいただけることと思います。

商業的な娯楽作を目指さないミュージカルである点、そしてマードックがミューズを具現化しようとしている作品という点から、私は初期ヌーヴェルバーグ作品への憧れを感じずにはいられません。

私は、先ほど述べたゴダールとの共通点を探ることが、重要な鍵となるのではないかと思います。この点については、後ほど。

ミュージカル映画とは本来どうあるべきか

冒頭で触れたとおり、ミュージカルと商業的性格は切っても切り離せないものです。観客の理解や共感を生み出す点で、ミュージカルは商業映画との親和性が高いと言えます。わかりやすい筋書き、劇的な展開との相性が良いのです。今流行りのボリウッド映画にもミュージカル要素は欠かせませんよね。

でもどうでしょう。どこか誇張されているように感じたことはありませんか?喜び方、悲しみ方、怒り方、どれも抽象化されているような印象を受けます。そもそも、日常生活で急に歌いだすことなんてないですからね。そのため、ミュージカルは皆に分かりやすく、感情を揺さぶるような展開が求められていると言えますし、ある種の喜劇である事実から逃れられません。

では、本作はというと、100人が観て、「これはミュージカルだ!」と100人が言い切ることはないかもしれません。皆がイメージするミュージカル像とは、少し異なります。しかし、そこが本作の最大の魅力であり、特記すべき内容であることは間違いありません。

本作において、登場人物が感情を露わにし、自分の胸の内を高らかに歌い上げるシーンはありません。登場人物がセリフに節を付け、突然歌い、踊りだす。それが言わば、ミュージカルのセオリーと言っても過言ではありません。名作「シェルブールの雨傘」に至っては、全編音楽のみ構成されているほどです。

ここで、歌われる楽曲はどれもミュージカル音楽というよりは、ポップソングであり、物語を劇的に転がすために用いているわけではないでしょう。歌はもちろん、上手です。ただ、ダンスはゆるいものです。正直、プロのレベルではないです。

そんなミュージカルシーンを観て「長回しのミュージックビデオのようだ」という感想を持つ人が多いです。言い得て妙でしょう。ただ、もう少し掘り下げるのであれば、今作はまるで商業映画と対をなす、初期ヌーヴェルバーグが描きだしたミュージカルのようです。

ゴダール作品のオマージュが至るところに

これは、マードック本人も述べていることではあります。

今作のあちらこちらで、往年のゴダール作品のオマージュが散見できます。まず何より、イヴを演ずるエミリーブラウニングがゴダール作品の重要ミューズの1人、アンナカリーナの発すオーラと同じものを感じます。そこも面白い共通点と言えるでしょう。実際、エミリー・ブラウニング自身もアンナカリーナを憧れの女優のひとりとして挙げています。

イヴ、ジェームズ、キャシーが部屋で歌い、踊るシーン。3人が初めて一緒に音楽を楽しむ大切なこのシーンは明らかにゴダール初期作の中でも人気の高い、「はなればなれに」を意識していることは明白です。

その他のミュージカルシーンにおいても、どこかチープ感が残るというか、良い意味で隙があります。

それはさながら、ミュージカルという仕組みを俯瞰視し、その構造ごと喜劇にしてしまった『女は女である』かのようなのです。

ミュージカルの枠を飛び越えたライブシーン

ヌーヴェルバーグとの類似点だけでなく、本作に出てくる楽曲はほぼすべて、主人公イブが劇中で作曲した曲であるという点に、大きな特徴があります。本人たちがバンドを組み、そして歌うのです。

特に作品の大きな見せ場となる『I'll Have To Dance With Cassie』の歌唱シーン。この場面のダイナミズムは、映画というよりライブ映像を観ているかのような高揚感を覚えます。何かが大きく動いたり、しているわけではありません。なのにとてもダイナミックに映ります。これは、キャラクター達の音楽を浴び、一体になる様を見事にパッケージしているからでしょう。

だからこそライブのような体感をすると言えます。ここに、登場人物自身が生み出した曲を歌い、踊るという構造が集約されており、他のミュージカルとの違いを明確に表しています。

音楽への敬意と手に届かないが故の憧れ。その両方がスクリーンに満ちているのです。

なぜ魅力的なフィルムとなり得たか

ここまでの考察を通して、この作品は憧れが生んだ新しいミュージカルと言えそうです。

夢に出てきた「少女」への憧れ。商業映画を離れたヌーヴェルバーグへの憧れ。そして音楽への原初的な憧れ。これら全ての憧れを結実させた映画なのです。

真っ直ぐな気持ちをフィルムに定着させることに成功した名画だと、私は信じてやみません。

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