それぞれの思惑が働く、恋
純粋な恋心が疑念を抱くとき
出会った当初の京子の想いは純白で門野に対する深い愛情と恋心、これから続くであろう結婚生活に対する期待を感じ取ることができた。嫁入りを心待ちにしていたことや周囲の人間に門野の噂を聞いて回っては顔を赤らめたこと、その姿はお見合いで決められた重々しいものではなく一つの恋の始まりのようであった。いわば陶酔しきった京子が何故、門野の秘密に気づいたのか。それは京子自身、自らが女性としての魅力に欠けていると思っていた節があったのだろう。「おこぼ娘でお多福」の自分を恥じ、一生自分に縁がないと思ってた京子にとって家柄、外見、人柄と全てにおいて格上の門野は魅力的な存在であった。嫁にも行けなかった自分を受け入れてくれた負い目もあったのだろう。門野から送られる愛情を素直に受け取ることが出来ずにほんの少しの綻びに敏感に反応してしまった。奇しくもその綻びが全ての元凶であり破滅のきっかけとなってしまったのだ。綻びは京子を苦しめることになる。自分以外の誰かが門野を愛しているのではないか、という疑念を抱くと京子はもう純白の心を持ち門野の一挙一動に胸躍らせていた少女ではなく、女として自分の男を確保するため嫁として自分の家庭を守るため疑心暗鬼になり、見えない敵に対し憎悪と畏怖を感じる。
自身を狂わすほどの恋
周囲からは変人として扱われている門野もまた可哀想な男である。美しい立ち姿は見るものを惹きつけ触れれば壊れてしまいそうな繊細な心は芯のような強さも併せ持ち、何か踏み込んではいけない怪しさを醸し出している。その謎が門野を取り巻く怪しげな魅力となっているようであった。まるで人ではない何かに魅入られたような、長持の彼女との蜜月が反映されているような雰囲気を持っていた。恵まれた容姿と申し分ない家柄、結婚相手もより取り見取りだというのに自分の偏愛のために生身の人間を愛することが出来ないでいる門野が誰よりも純愛を信じていたにちがいない。しかし、ここである疑問が残る。門野が愛したのは本当に長持の彼女だったのだろうか。長持の彼女は本体は人形でこそあれ、中身はいくらでも捏造できる。好みも、表情も、声色も。長持の彼女を通して理想を全て併せ持った自分自身に魅了されていたのではないだろうか。門野は美しいものを愛していた。表面上取り繕っただけの結婚生活はやはり自分を苦しめるだけであったと気づいてしまったのだった。愛しているのは人形を通して見る、美しい自分自身だったのかもしれない。
自己偏愛とははたして何か
門野の恋は、嫁の陰謀によって予期せず成就することになる。それは長らく恋をしていた長持の彼女・人形との心中であった。門野が抱え込んでいた異常偏愛、それは人形を通して見る自己偏愛を感じることができる。全ての事柄に興味を示すことのできなかった門野が唯一のめり込めたのが人形との逢引だった。人形とは人の形を模した容器である。本来言葉を発さず、気持ちをもたない人形にのめり込むことができたのは、門野が命を吹き込んだのである。人形を通して新しい命を、自分の求める女性の偶像を刷り込ませたのである。そのため女性の声色を真似て人形が喋るようになったのも頷ける。人形の持つ魅力は確かにあった。それは初めて見た京子も一歩後ずさるほどの美しい人形であった。弱音を吐くと優しくなだめてくれる、優しく愛してくれる、変わらず側にいてくれる。移ろいゆく世の中において人形の存在は彼を支える唯一のものだったにちがいない。しかし門野自身、自分の異常性に気づいていたはずだ。普通に戻らなくては、という相反する気持ちから京子と結婚したにもかかわらずどうしても自分で作り上げた女性像を超えてくれることができなかったのだろう。それは暗に京子の女としての魅力を感じていないということである。それよりも自身の作り上げた女性像の方が高尚であるということなのだろう。門野の持つ自己偏愛は決して特別なことではない。それは誰しも持ち合わしているものであると思う。一人で鬱々と部屋に篭ってしまったばかりに門野は自分の容姿を標準値だと思ってしまい、自分より魅力的な生身の人間を見つけ出すことが出来なかった。出来なかったので想像上の美しい女性を作り上げた。奇しくも魂を宿した人形は、人形師も唸るほどの美しい容れ物であった、そんな全ての偶然が合わさり門野は魅入られてしまい帰ってくることが出来なくなったように思う。
江戸川乱歩のお気に入り作品
異様な雰囲気の漂うこの作品は、乱歩のお気に入りの一つでもある。端的に妖しさを引きずり出し、不可思議な世界へと引きずり込む手法は乱歩の得意とするところで徐々に明らか気なる日常の中に訪れる非日常、常識の中に紛れ込む非常識が見て取れる。読みやすさは言わずもがな、独白から始まるこの作品には「人間椅子」に似た奇妙な幕開けを感じることができるのではないだろうか。
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