わかりやすく頭に染み込む歴史に残る物語 - ブッダの感想

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ブッダ

4.004.00
画力
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ストーリー
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わかりやすく頭に染み込む歴史に残る物語

4.04.0
画力
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ストーリー
4.0
キャラクター
4.0
設定
4.0
演出
4.0

目次

誰でも知っている話ではないということ

仏教という宗教を知っていても、その由来やどういった背景があったのかということは知らない人は多いと思う。日本に最も近いと思われる宗教でもこういう風なのに、他の宗教ならそれこそまったく馴染みのない話だと思う。もともと日本人は無宗教の人々が多いものの、その根底に根ざす精神には宗教の目指す静かさや穏やかさが好まれると感じるが、誰もあまりそれにまつわる話などはわかっていないことだろう。それは私も同じだった。だからこのマンガを手に取ったというわけではないけれど、なんとなく興味が持てるテーマだったことと、1巻のページをめくった時からのめりこんで読んでしまっただけということに他ならない。ちなみにインドにいた時に立ち寄った本屋にもこのマンガの英訳が置いてあった。インドで仏教が生まれたにもかかわらず、かの国は仏教なんてかなりの少数派だったことも(無宗教ほどではないが)意外だったということと、このマンガは読み込んでいる分日本語でなくとも何を言っているのかは頭に入っていたので、英語の勉強のためにと購入したことを覚えている。
もちろんこの物語をそれなりの文書で読むと難解極まりないものだろう。それを独自の解釈も加え、架空のキャラクターも登場させながら噛み砕いて物語にしてあるので、理解に悩むこともなく読み進めることができる。また手塚治虫の描くポップなキャラクターも堅苦しさをほどく演出に一役買っていることは言うまでもない。

苦行の描写とそれの解釈の違い

このマンガを読み進めていくと、ポップでキッチュな絵柄が多いにもかかわらず、いささかグロテスクでショッキングな描写も少なくない。「ブラック・ジャック」の病気の症例を描いたときのように緻密に描きこんでいるわけでもなく、逆にさらっと描いている印象なのにその絵がもたらす衝撃はかなりのものだと思う。シッダルタに恋したミゲーラが目をつぶされるところ、デーパやその他の者の苦行の様、またミゲーラが発症した謎の奇病やら、枚挙にいとまがない。にもかかわらず読み進めることをやめられないのは、その巧みなストーリー展開の力だと思う。
魂を清らかにするために人は苦行を行うとデーパが言っていた。でも自分を救う行為にふけり周りを疎かにするのは、快楽にふけるのと同じではないかとシッダルタは疑問に思うのだけど、その解釈にかなり衝撃を受けた。誰しも快楽と苦行を同一に考えるのは乱暴だと思うだろうけども、本質をまっすぐに捉えることによって(それを見極める力は恐らく生まれついてのものかもしれない)疑問に思いながらもそう言いきり、自らは苦行を放棄することはなかなかできることではないことだと思う。

アッサジとの出会い

シッダルタに衝撃な印象を残した彼も、手塚治虫の手にかかれば小さな男の子だった。旅に同行するようになり、その途中で怪我を負ってアオカビを求めるシーンがある。アオカビが天然の抗生物質であるということはこんな昔から知られていたことなのかと少しびっくりした。適切な処置のため命を救われたアッサジは新しい力が備わっていることに気付く。相手の寿命がわかること、そしてもちろん自分のものもわかるということ。「ブッダ」でしかアッサジという人物像を知らないので実際どのような人物だったのかは想像するしかないのだけど(もちろんあれほどデフォルメされたなりではないだろうけど)、自らの死期がわかった上で狼に自分を食べさせるなんてどうしてそんなことができるのか。食べつくされたアッサジの絵がまた衝撃的で、ちょっとトラウマになりそうなレベルだった。でも自らの死期がわかると言いながらも自ら狼の巣に身を横たえる様は自然死ではなく自殺ではないかと考えたのだけど、きっとそこにたどりつくまでに様々な苦悩がありそういうことになったのだと思う。仏典とは違うところももちろんたくさんあるのだろうけど、私のアッサジのイメージはいつもこの手塚治虫の書く額にバッテンを張った小さな男の子である。

シッダルタの妻と子に対する姿勢

「ブッダ」で少し疑問に思うところは少しある。その一つが彼の妻子に対する態度である。結婚するときもした後も終始冷たい態度をとり続け、挙句彼女ヤショダラが妊娠したときには障碍という意味のラーフラと名づけたことは最早ひどすぎるのではないかと思う。父王の言うことを聞くわけにはいかないのであれば結婚することないし、最悪それをごり押しされても子供を作ったことはそれは確実に自分の意思だろうと思ってしまう。誰に対しても、散々人を殺してきたアヒンサーやヤタラにさえ救いの手を差し伸べたというのに、妻子にこれではちょっと納得がいかない。
そんなラーフラも父親を慕い出家するのだけど、シッダルタはブッダになってからさえも彼に優しい言葉をかけなかったように思う。その父親をみて彼はどう思うのだろうか。マンガでは彼のことはあまり詳しく描かれてはいない。だけど、たとえどんなに対外的には立派な人物であろうと、自分の父親として誇りをもてるような、よすがのようなものを狂おしく欲したのではないのだろうか。初めてこのマンガを読んだ時はただちょっとひどいなと感じたくらいだったけども、今子供がしかも息子がいると、あまりにもかわいそうに感じてしまう。名前が障碍というのはいくら考えてもひどいの一言だろう。
ただ長い年月をかけて何度も読み返すうち、同じシーンでも感じ方が自分のライフステージに応じて変わっていくのは、マンガや小説、映画を観るときの楽しみのひとつではあることは間違いないのだけれど、ここはどうにも気に入らないところだ。

手塚治虫が作り出す架空のキャラクターの魅力

手塚治虫は様々な仏典を噛み砕いて細かくストーリー展開する一方、少なくない数のキャラクターを生み出している。前述したヤタラもそうだが、このマンガではなくてはならないキャラクターのタッタもその一人だ。いろいろな動物に乗り移れると言う特殊能力を持ちながらも成長するにつれ動物の気持ちがわからなくなりその力を失うのだけど、その力はナラダッタが畜生道に落とされた理由とリンクする。そのナラダッタも架空のキャラクターではあるけど、それぞれのつながりを感じさせることでその出所に信憑性を持たせているような気がする。またタッタ自身も家族を虐殺された恨みを持ち(この描写もきついもののひとつだった)、その怨念をブッダに浄化されるのだけどそれくらい長く登場させ続ける安定した魅力が彼にはある。前述したミゲーラを彼が後に妻にするのだけど、山賊として生き、その怨念ゆえに荒々しい残酷さを見せる彼が妻のミゲーラには献身的な優しさを見せる。そのあたりが彼を完全に悪者にしない作者の配慮なのかもしれない。
もう一人忘れてはいけないのがバンダカだろう。粗暴な性格で権力を望み、最後は強引にコーサラ国王にまでなるが即位してすぐ戦死する。彼は後にブッダの弟子としてキーパーソンになるダイバダッタの父親であるから、ダイバダッタを登場させるには不可欠な人物でもある。シッダルタの妻ヤショダラに手を出そうとして容赦なく断られ項垂れる様は悪役としても一味足りないような気がするが、そのように誰にも愛されない様が同情を禁じえない。個人的にはそれほど嫌いではないキャラクターである。

全てのものがつながっているということ

よくストーリーの間に挟まってくるのが、生きとし生けるもの全てが同じものからできているということ。シッダルタがスジャータを助けたときに実感として感じたそのイメージが主になっているかもしれないが、その命の元は同じという描写が多々出てくる。一回でなく何度も繰り返すことで読み手側にも頭に実感として染み込んでくるような気がする。
世界に平和を、とか世界は美しい、とかあまり実感はできないけど、そういうことはなんとなく心の奥底で理解できたように思う。
もうひとつ、ブッダが食あたりで死んだというのは仏典からなのかどうかあまりわからないけど、手塚治虫ならではのヒョータンツギで死んでしまうのはありといえばありなのかもしれない。

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