ハードボイルドの金字塔
親友との出会い
主人公であるフィリップ・マーロウとテリー・レノックスがとあるパーティーで出会うところからこの物語が始まる。義理人情を大切にする男気に溢れる私立探偵マーロウは女からバカにされだらしなく酔っ払いながらも純粋で真面目なレノックスにどこか惹かれていく。友人でも恋人でも人と人が結びつくのに理由なんてないのだろう。何気ない立ち振る舞い、瞳、話し振り、声のトーン。そんなものから、なんとなく自分と同じ価値観、もしくは自分がありたい姿をそこに見出して惹かれていく。ほんの些細な場面での一瞬の出来事なんだろう。私も学生時代から30年も付き合っている友人がいるが、他にはそれほど長く付き合っている友人はなく、ふとなぜ彼とこれだけ続いているのだろうと思った時に、この小説の主人公であるマーロウとレノックスのように初めて会った時、なぜだかわからないが、一瞬で好感を持ったことを思い出した。本当に気の合う人間との出会いなんてそんなものなのだろう。そんな友人は一生のうちに何人持てるものだろうか。
自己犠牲の精神
レノックスは運の悪いことに妻殺しの容疑をかけられるのだが、マーロウに協力してもらい、国外に身を隠すことになる。その間、マーロウは拷問にかけられても、友を守り通す。その男気に山本周五郎の名作である『さぶ』を思い出した。アメリカのハードボイルドにも日本人の義理人情と同じ血が流れているのだと感じた。自分だったらどうだろう。弱気を助け、強きをくじく勇気があるだろうか。いや、おそらく自分や家族を優先してしまうのではないか。そんな気持ちにもなり、ふと怖くなってしまった。自分も含め今の時代はそんな情けない男が増えているのかもしれない。逆になぜ昔の男はそんなにも純粋で自己犠牲の精神を持ち、男らしくかっこいい男が多かったのだろうか。しばらく考えてみて思ったことは、やはり、現代が豊かになりすぎたからではないだろうか。物が少なかった時代は人と人が互いを思いやり、互いを助けながら日々の生活を営んでいた。豊かになればもっと欲しくなる。もっと豊かになるためには人から奪わなければならない。さすれば孤独になり、友人も恋人も持てなくなる。本当に求めるべきものは人なのにもかかわらず、豊かになればなるほど人は盲目になってしまうのかもしれない。
心と心でつながるということ
その後容疑者レノックスが自殺したというニュースが入り、事件は終結へと向かう。しかしそれは事実ではなく、昔愛した人を守るための演技であった。マーロウはこの手品の全てを見抜いており、最後にレノックス本人と出会い、それを解き明かしていく。身を犠牲にして愛する人を守るレノックスとその友人を生死をかけて守ろうとするマーロウ。そしてまた、旅に出るレノックスは最後の別れを告げる。何と言っても二人がマーロウの部屋で出会った最後の場面が美しい。それまでも彼らの間ではバーや、マーロウの部屋でダンディズムを感じさせる言葉のやり取りが交わされる。例えば私の好きなセリフをあげるとバーでのレノックスのセリフ。『アルコールは恋愛のようなもんだね。最初のキスには魔力がある。二度目はずっとしたくなる。三度目はもう感激がない。それからは女の服を脱がせるだけだ』そして何と言ってもマーロウの最後の別れの前のセリフ『君はぼくを買ったんだよ、テリー。なんともいえない微笑みやちょっと手を動かしたたりする時の何気ない動作や静かなバーで静かに飲んだ何杯かの酒で買ったんだ』数々の重要な場面で煙草や、コーヒー、バーでの会話のやり取りのシーンが出てくるのだが、これらのシーンがこの小説が醜い嫉妬や悲惨な殺人事件を主軸にしたものであるにもかかわらずとてもダンディで、しゃれたテイストに仕上げているのだ。私は10年前に購入したこの小説を何度も読み直しているが、不思議と何度読んでも飽きることがなく、飲むたびにふと親友と会いたくなり、また、ふらっとバーに行ってレノックスの好きなギムレットを飲みたくなる。ちなみにこのハードボイルドの金字塔とも言える『長いお別れ』は1953年にアメリカの作家レイモンド・チャンドラーによって書き上げられ、ベストセラーとなり、日本語版としても現在も多くの人に愛されてる名作だが、小説の中には、バー、カジノ、マフィアなどでの場面が多く、特に代表的なギムレットを始め、カクテルや、ウイスキーなどが多く登場する。レイモンド・チャンドラーの家出した父親が酒好きで作者自身も死ぬまで酒を愛しており、不倫などの女性問題もあったようだ。ダンディでお洒落なテイストである作品でありながらもどこか人間臭い感じがする小説『長いお別れ』。これは何と言っても人を愛し、国を愛し、そして酒をこよなく愛した作者自身の生い立ちや生き様にも関係しているのかもしれない。
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