ミニシアター系の最高傑作
冒頭部分の素晴らしさ
夫婦喧嘩の挙句、妻と妻の持ち物であるポットをハイウェイに置き去りにしたことから始まるストーリー。妻ヤスミンは頑として車に戻らず、重い荷物を引きずりながらほうほうの体で砂漠の中にあるうらぶれたモーテル兼カフェにたどりつく。置き去りにされたポットは拾われることによりヤスミンよりも先にこのバグダッドカフェで着き、ここからカフェの内情が自然に描写される。夫婦喧嘩相手の当の夫もこのカフェに立ち寄り、偶然にもその拾われたポットの中のコーヒーを出され「うまいコーヒーだ」と絶賛するが、のちヤスミンの絵を描くことになるコックスにはかなりの不評という対照的かつ暗示的な表現が印象に残る。ドイツのコーヒーとアメリカのコーヒーの対比だけなのかもしれないけど、妙に心に残った。
客のこない日々、優しいけれど仕事のできない夫、子供は思春期まっさかりでここの女主人ブレンダの機嫌は悪くなるばかり。当り散らされる夫がついに出て行ってしまった最悪のタイミングで、ヤスミンがこのカフェにたどりつく。ヤスミンがたどりついたときには汗をぬぐい、ブレンダは涙をぬぐう。ここは2人の出会いの印象をうまく描写していると思う。汗と涙。しかも太った白人女であるヤスミンには裕福なイメージが感じられ、やせた黒人女であるブレンダからは、疲れと諦めしか感じられない。この対照的な描写が2人の出会いの第一印象をしっかりと描写してくれている。
この冒頭部分だけでもこの映画が素晴らしいことを予感させるし、また、ここを見るだけでも現実世界から離れることができる。
CCH・パウンダーの卓越した演技
この映画には彼女の演技が不可欠なものとなっている。冒頭部分のイライラさ加減やすべてのものに怒りを感じずにはいられない様、頼りにならない夫への怒り、わずかながらも残っている愛情、そういうものが渾然一体となった演技を見せてくれる。特に夫が出ていくまでの怒りが加速していくさまが限りなく哀しく、涙をみせながらも強くならなければというような決意さえも感じさせる。この時彼女の涙で汚れた顔のアップが続くのだけど、そこで初めて音楽が入る。「コーリング・ユー」。この曲の哀愁とその内容が、ブレンダの孤独感と喪失感をセリフなどの説明もなにもなく表現されている。ガミガミ怒鳴り散らしているのに悪感情が彼女にはまったく沸かない上に、感情移入さえしてしまうのはひとえに彼女の卓越した演技とその演出の素晴らしさだと思う。
彼女はこの「バグダッドカフェ」以降、「妹の恋人」や「フェイス/オフ」などに登場しているが、いずれもいささか癖がありながらも医者や研究者といった知性を感じさせる役柄で、「バグダッドカフェ」のブレンダのような感情を爆発させる激しい役柄はあまり見ていない。またこういう彼女も見てみたいと思う。
2人が心を通わせていく自然な流れの描写
通報されたりケンカしたりしながらも(ほぼ一方的にブレンダからだが)、2人は次第に心を通わせていく。そのきっかけはヤスミンがブレンダのオフィスを勝手に掃除したところからだと思う。大掃除にかかろうとするヤスミンのイメージ(看板をふいたり給水塔をみがいたり)でここで初めて挿入歌としてピアノの音楽がかかる。それがコミカルでリアリティがうまく取り除かれ、独特の世界感をつむぎだしている。給水塔をみがいいてるシーンはDVDのジャケットにもなっていて、私はそのジャケットだけを時々眺めたりもする。そしてそれだけで疲れがとれそうな気さえする。
きれいさっぱりとなったオフィスをみて当然ブレンダは怒り狂うが、その後少し放心状態の表情が見られる。ここで、思いがけなく掃除をされたことでブレンダの心の底に沈んでいた澱のようなものまで取り除かれたのではないか。捨てるに捨てられなかったガラクタを勝手に捨てられたことによって、ブレンダの心もなにかきれいさっぱりとなったのではないか。そんな気がする。だからこそ前半に比べ急速に二人が近づくことになったのだと思う。
このあたりから後半が始まるけど、前半にはなかった音楽などが挿入されるようになってくる。それは皆の心が軽くなって楽しささえも享受できるようになった心の余裕の描写なのかもしれない。そしてそれは不思議と鑑賞の邪魔になったりしないものだった。キーとなるマジックで活気付くバグダットカフェ、そしてヤスミン、ブレンダ自身の心自体にもそれこそマジックがかかったように心のわだかまりが溶きほぐれていくような様は、いささか急速な感じはしないでもないけれど、温かくうまく演出されている。こうなってもなお大げさな感動をあおるような音楽がないところもその良さを際立てている。
戻ってきたヤスミンとまたバグダットカフェを盛り上げていくところは若干ミュージカルのような多幸感がありすぎて少し苦手ではあるけども、ここでのブレンダの歌唱力は素晴らしい。見所のひとつだと思う。
映像効果によってもたらされるもの
余計な音楽がないのは前述したけれど、それ以外にもこの映画には特徴的な映像を使うことによって、まるで空気を少しずつ抜いていくように現実味を抜いていく。うまく現実味を取り除かれた映画は、観るものに現実から乖離した気持ちを抱かせ癒しを与える。印象的なのは黄色や青といったフィルターをかけたような映像がある。特に疲れた様子や気落ちした様子(夫が出て行ったときのブレンダの時のように)または砂漠の果てで生きるバグダッドカフェの人々のうらぶれた様子がうまく演出される。また、ふちを黒く残し中央をくりぬいたような映像は、第三者として自分が相手をみているような気持ちにさせてくれる。
前半部分の皆があまり幸せでないような時に、この色のかかったフィルムや中央をくりぬいた映像がよくでてきていたけど、後半笑顔が多くなってきたときにはでてこない。しかしそれは、ヤスミンが退去させられてからなにかが欠け落ちてしまった気持ちを表すようにまた多用される。このあたりは本当にうまくできていると思う。
脇役の個性の強さ
たくさんの個性豊かな脇役たちが登場するけど、もっとも存在力を示すのはジャック・パランス演じるルディ・コックスだと思う。ハリウッドから流れてきた彼がヤスミンに想いを寄せていく様や忘れていた絵を描く気持ちを取り戻すところなどうまく演じている。またけっこうなシニアだと思うけれども、今尚ギラギラしている様もよく感じられた。また脇役ではないけどマリアンネ・ゼーゲブレヒト演じるヤスミンが登場当初に比べるとどんどんきれいになってくるところも、ヤスミン自身なにかから開放されたことの表れなのだろう、それをうまく演じている。
あと少しだけでてきた保安官、彼の風貌もスパイスとして利いているように思う。
すべてのシーンが芸術的
この映画のシーンのどこを切り取っても芸術になりうるくらい、無駄なコマがない。そしてなにも超自然的なこともなければ派手なアクションも特殊効果もなにもないのに妙に現実感といったものだけが切り取られたような、心をひどく揺さぶる映画だと思う。感動とかそういうものでなく、見終わった後は自分の中の疲れた部分や汚れた部分をきれいにしてくれたような、そんな感じがする。残念なことにこれくらいの名作はあまり最近は観ることができない。だからこそ、この映画を繰り返し観てしまうのだと思う。特に、今の現実から離れたいようなときに。
あと、バグダッドカフェに泊まるバックパッカーが給水塔の前でブーメランを飛ばすシーンがある。気持ちよさそうなそれに憧れてブーメランを買ったけれどもあれほど思い切り飛ばせるところが見つからなく、いまだに棚の飾りになっている。
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