闘いの結末がとても苦い
かわいいイラストに似合わぬアクション
表紙のかわいさに騙され、タイトルのドォルズに騙され、手に取ったこの漫画。なんか大学生の男の子がかわいい女の子に勇気を振り絞って愛の告白でもするんだろうかと思ったら大間違い。エレベーターの中で首をはねられた人の死体を発見する…まさかのホラー?かと思いきや、実はその殺しは男の子の故郷が原因で起きた事件だった…
ほんと、はじめに手に取ったときはかわいい系の漫画だと思ったんですよ。なのにアクションアクション…疲れた。案山子を操ることのできる隻と呼ばれる人間があがめられる村で、人殺しや覇権争いが絶えなかったわけで。その小さな村で、いろんないざこざがありました。それは村にとっては生きていくうえで割と重要であったことは確かだけど、すごく小さいよね。匡平みたいに村を出ることもできなくはなかったわけだ。日々乃さんのお父さんだってそう。村と関わりを絶とうと思えばできないわけじゃなかったはずなんですよ。だけど、遠い空を見上げて広い世界へ飛び立ちたいと願いながら、小さな村の呪縛に囚われて空守村の人は生きているんです。特に隻とそれに関わる関係者は。窮屈な世界だよねー井の中の蛙状態でいるのなら、やっぱりいつかは淘汰される存在だよ。
お前の行く処などこの国のどこにもありはせんのに…
そんなことない。本来はその真逆で、どこへ行ってもいいはずなんだよ。
本来は案山子を闘うものとして使うわけじゃなかったはずなんです。人が生きていくうえで大変な部分を手伝ってもらうために存在していた。だけど、その強大な力を使おうと思えば人殺しに使える。持っているだけで村ではあがめられて地位を確かなものにできる。よくもまぁそんなんで神様だとか言えるよね。結局は人の業を案山子で表現しているにすぎない。
意思を持つ案山子
案山子は意思があるようで。心を共にする人間を選ぶみたいですね。ククリもはじめは匡平のもので、クラミツハも阿幾のものでした。
阿幾の場合は、はじめに確かにクラミツハに選ばれていた。だけど、途中アツシにとられて生きる意味が見えなくなってた。妾の子で立場的にも弱く、生きていることだけが罪のように言われ続けて…だから、匡平は光だったと思うんだよね。対等に扱ってくれる唯一の人間。
阿幾は別に瀬能先生が好きだったわけでもないし、瀬能先生だって阿幾が好きだったわけじゃないんだよ。だけど、結果的に肉体関係を持つことになり、アツシの野郎のせいで瀬能先生は死んじゃった。そしてクラミツハは阿幾に共鳴し、阿幾の操る案山子となりました。阿幾のどんな気持ちに共鳴したんだろう…?と考えてみると、描写的にやっぱり匡平のことを思い浮かべたからだよね。瀬能先生は関係ない。純粋に匡平と共にありたいと思った気持ちが、クラミツハと共にありたいと思う気持ちと重なったような気がしています。全部読むとそんな気がする。隻は案山子と心を共にする者だから、やっぱり純粋な気持ちに強く共鳴するんじゃないかな。
ククリはもともと匡平のものだったけど、阿幾と匡平の決裂によって詩緒のほうへ行き、人を助けるための案山子として詩緒の手足となって動いてきました。だけど最後は、詩緒を置いて匡平のもとへ自ら行き、阿幾と匡平の最終決戦の手足となった。物語の中では、詩緒を闘いのための主とはしたくなかったというククリの思いやり、みたいに表現していたけど、果たしてどうなんだろう?破滅の道を敢えて選ぶことにした、という気がするけどね。
瀬能先生
この人、本当に悲しい人だよね。別に不倫だったわけじゃない。父子家庭の父親と教師が関係を持ったって、別に男と女としてはいいじゃない?同じ学校で担任になっちゃったら、それだけでやっぱりだめなのかな…難しいね、人の気持ちって。そして、その営みを子どもに見られてしまうというところが、大人たちの失態。だって、別に相手が瀬能先生じゃなくたって、初めてみる男女のあられもない姿にびっくりしない子どもがいると思う?それで子どものその責めるような目に傷ついたとかなんとかいって、結局自分が恥ずかしくなって逃げただけじゃん。嫌な大人。そして、その同じ目をしているとかいうどうでもいい理由で、阿幾と関係を持って…訳がわからない女だなとつくづく思う。もうそういう性分なんじゃないかという気すらしてくる。村八分にされた阿幾と自分を重ねんなよ。阿幾とお前は全然違うんだって!!
しかも、阿幾が先生を助けに行ったわけじゃないよ。大切な、大切な犬を殺されたんだもん。復讐したいと思って当然。しかも、瀬能先生は阿幾が来てくれて心底嬉しそうに阿幾をかばって死んだけど、阿幾は瀬能先生を見てたわけじゃない。クラミツハと、その力を手にすることで自分が欲しいと思っていた匡平が手に入るような気がしていたんだよ。だから、瀬能先生は最後まで、悲しい生き方をした女だった。どこまでいってもこの人は報われない人だね。でも、同情もできないんだな~…すべては自分の責任なんだよ。でもさ、そんな瀬能先生を好きだった匡平がさ…もっとせつないんだよね。何も知らなくて、関わることすらできなくて、助けるすべを持っていなくて…匡平の闇の引き立て役なんです。彼女は。自分が欲しいものは手に入らないという悲しい女だったな…。
阿幾の欲しかったもの
ずっと匡平と闘うことを望んできた阿幾。自分という人間を誰より普通に扱ってくれたのも匡平だったし、アマテラスを封じたときの匡平の姿に恋にも似た感情を持ってた。「今のお前は本当の匡平じゃないだろう?」どう生きていったらいいのかもわからない世界で、匡平が唯一の光。お前と闘いたい。それは、一緒に生きたいということと同じだったんだろうなと思います。
二人でなら、ここでもやれたと思わないか?
うーん匡平はこれっぽっちもそんなことは思っていないんだよね。恋になぞらえていえば、阿幾は完全にストーカーで、自分の想いをぶつけ続ける幼馴染ってくくりに入れられてしまう。でもそれだけで阿幾を説明したくない。阿幾だって、普通の人間なのに。歪ませたのはこの空守村のしきたりすべて。妾の子だからってなんだよ。生まれた命に差なんてないのにね…もうね、アマテラスどうこう、詩緒と桐生どうこうの話じゃないよ。阿幾と匡平のせつない物語なんだよね、この神様ドォルズは。
もう最後は嫌で仕方ない
だからね、阿幾が死んじゃって、案山子の材料になる森も燃えて、村もダメになって過疎化が進んで…個人的には最悪でした。阿幾には生きてほしかった。不完全燃焼…?いや、燃焼じゃなくていきなりぶっつり切られた感じだよ。もっと違う道がなかったのか…って悲しいです。ただね、確かに阿幾が生き残ったって、闘った後に案山子がなくなっちゃったら、阿幾はどうやって生きていったらいいかもきっとわかんないだろうなー…とは考えることはできます。それでもさ、匡平を光に生きていく道だってちゃんとあったんじゃないのかなー…村は消えてもいいから、阿幾は生きてほしかったですよ。あんなに望んだ外の世界じゃん。やっとそこに、案山子とか全部抜きにして立てるようになれるのに。どちらかの死でしか解決しない物語は、後味最悪で。感動するより失意のほうが大きくなっちゃうのです。しかも全部なくなるじゃん。確かにそこにいたっていう証がさ。日々乃さんと匡平おめでとうとは祝福できません。これだけは確かです。
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