山岳マンガの最高峰 - 神々の山嶺の感想

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神々の山嶺

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山岳マンガの最高峰

5.05.0
画力
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ストーリー
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キャラクター
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5.0
演出
5.0

目次

山に憑かれた男

今まで色々な山岳系のマンガを読んできたけど、この作品ほど鬼気迫るものを感じた経験はなかった。主人公である羽生丈二は山のみに生きる人間であり生活の全てを山に懸けている。当初彼は「青風山岳会」なるものに所属しそのノウハウを覚えていくのだけど、そのストイックさと言い、他者とは一線を画していた。当然他の人たちとは軋轢が生じ、ザイルパートナーにも事欠くようになってしまうのだけど、そのあたりでそもそも一人で登った方がいいのではないかと違和感を感じるようになった。もともと私にはそういう知識はないのでわからないけど、実際に一人で登っている人もいるので(このマンガに登場する長谷もそのタイプだった)無理なことではないように思う。羽生が「おまえがいなければ登れないんだ」と激昂するシーンがあるけど、そういうのが少し羽生のイメージとは違っているように思う。そしてその違和感は羽生がクライマーとして成長していくほどに大きくなってくる(山岳会のメンバーと皆で飲みにいったりとかも、行くんだ!と思ってしまう)。そもそもあれほど不器用な態度でしか生きられないのに団体行動は本人もつらいだろう。山岳会に入ってもちろん得るものはたくさんあったとは思う。けれども本来山に登るということは限りなく孤独なことのように思われるので、このあたりは早めに見切りをつけて一人でする方向にいければ、もっと楽だったろうにと思う。
しかしこの日本での違和感は後に彼がネパールに渡ることできれいに払拭される。ネパールに行ってからの彼は、まさに水を得た魚というか、日本にいたころのどこか脆いところは微塵も見られず、どことなく僧侶のような趣さえ感じられる。もしかしたらあれは、日本では生きにくかった羽生のもがいている様が描かれているのかもしれない。

羽生の不器用さの奥の優しさ

彼はザイルパートナーが宙吊りになったらロープを切るとか、死んだらゴミだとか、あえて言わなくてもいいことを口にだす傾向があるけど、あの気持ちは少し分かるような気がする。自分では多分出来ないだろうことや思っていないことを口にすることによって、恐怖の濃度を減らしたいというかそういうことではないかなと思ったりする。実際羽生は岸が宙吊りになってしまったときも最後まで寄り添っていたし、アーロンの遺体を見つけたときにはそばでビヴァークしたりしている。実際言葉とは真逆のことをしているのに、不器用な行動に不器用な言葉が裏打ちされてしまって、本心から言ったわけでない言葉のほうを人に信じられてしまうという悪循環に陥ってしまっている。
岸に対して厳しすぎないところも(生い立ちが似ているからかもしれないけど)、宙吊りになってしまった深町を助けにいくところも彼は人が決して人が嫌いというのではなく、自分の山に対する純粋な気持ちが大きすぎて、それ以外のものに対してはどう接したらいいのかがわからないだけなのかもしれない。

マロリーのカメラの謎

羽生や深町のエベレストへの挑戦と同時進行で、初めてエベレストに登ったマロリーのカメラの謎がついてまわる。これに入っているフィルムを現像できれば、初登攀は誰だったかが明確になり挑戦者の歴史が変わるかもしれないということだったけども、私はあまりそこには感情移入できなかった(もちろん最後の、マロリーが頂上に立ったと思われる写真が現像すると浮かび上がってきたところは良かったけど)。ただ私が読みたかったのは、羽生の限界ぎりぎりの挑戦、雪山のテントでどう過ごすのか、なにを食べ暖をどうとるのか、そういうところをもっとずっと読みたかったと思う。
とはいえあのカメラの存在があったからこそ羽生と深町が出会えたのだから、大切な設定なのだとは思う。

手にとって見れそうなほどの孤独感の描写

山と向かいあう羽生の態度は趣味とかそういうものではなく、生き方として動かせないものとなっている。それほど熱いものがわずか16でわかって山岳会に入りそこでクライマーという生き方を見つけられたということは、少し羨ましいと思う(羨ましいと思うにはハードでストイックすぎるけれども)。命を懸けるものを見つけるというのはそれがなにであれ、かなり幸せなことの部類に入ると思るはずだと思うが、あまりにもハードなその登攀の描写に、安易にそのようなことはなかなか言えるものではない。
グランドジョラスで羽生が落ちて、左手左足骨折のまま冬の岸壁でビヴァークを余儀なくされ、死にいく描写がある。あの描写はかなり読むのに疲れた。寒さと凍りつく感覚と孤独感がひしひしと伝わり、こちらも震えを感じたくらいだった。同じ冬山の描写ではあの有名な「八甲田山」も、寒さがダイレクトに伝わる映画だった。寒さが限界を超えると、幻覚や幻聴、そういったものが人を襲うのだということはあの映画で初めて知った。この死にかけた羽生も何度も幻覚や幻聴を聞く。そのほとんどがすでにこの世にはいない人たちのものだったが、不思議と恐怖感というのは感じなかった。感じるのはただ圧倒的な氷と寒さと痛さで、あのシーンは読み終わったあと本当にぐったりとなった。
寒さの描写と連動して、羽生の孤独感も増していく。高い高い氷壁の真ん中でポケットのようなテントをぴったりとはりつけ、そこで寝るところや、独り言さえあまりでないところ、思考がどんどん内のほうにいき内面の自分と対話するようなあの感じ、すべてが羽生の孤独感を浮き彫りにしている。あれほどの孤独感の描写はあまり見たことがない。

冬のエベレスト無酸素登攀

このマンガでよく出てくる「攀」という感じ。よじ登るの、よじ、ということでぴったりと崖に身をつけながら登っていくイメージはまさにクライマーのためにある漢字だと思う。羽生の悲願である冬のエベレスト無酸素の登攀は最後深町の不用意な一言でルート変更したかのように思えたけど、本当にそうだろうか。実際はそのような場面にあたったら、羽生もそのルートに行ってしまうのではないか。しかしあれほど綿密に計画を練っていた彼だから直前にルート変更などしないのかもしれないし、そのあたりは読者の想像に委ねられている。結局は危険なルートを選んだ羽生だけども、そのことを彼は決して後悔はしないだろう。
最後アーロンの遺体に寄り添うように目を開けたまま死んでいる羽生を深町は発見する。あのシーンは死というものを目の当たりにさせられるのだけど、なにか力強ささえただよっているような気にさせられる。彼は最後まで生を諦めたわけではない。だから最期の最期まで目を見開いていたのだろう。

夢枕獏の緻密な文章と谷口ジローの圧倒的な画力

夢枕獏といえば「キマイラシリーズ」「魔獣狩り」「陰陽師」といったオカルトな作品のイメージがあったけど、このような山岳をテーマにしたものを描いているのは知らなかった。「キマイラシリーズ」「魔獣狩り」のあたりは中学のときに夢中になり、大人になってからは「陰陽師」が大好きだった(こういった暗くて不思議なものが好きだったのは昔から変わらないように思う)。なので夢枕獏が山岳の本!という珍しさと、谷口ジローはなにより「孤独のグルメ」でその絵柄が好みだったので簡単に手に取っただけだったけれども、この作品は本当に近年まれにみる出来だと思う。谷口ジローの絵の描きこみ感というか、トーンをどう貼るかといった技術的なことはわからないのだけど、素人目に見てもこの山の圧倒的な高さとか、人を拒否する霊峰というか、山の怖さまでが描写されているように思えて、読み終わったあとのページをしばらく眺めていたりもした。雪山が描かれたページにはどこもその想像を絶する寒さや高さを感じ取ることができるけど、特に印象に残っているのは長谷が雪崩に飲み込まれるシーン。「遠くから見たらきれいな煙みたいな感じだったけど近くに行ったらとんでもない」という言葉通りに巨大なアイスフォールで、その絶望的な大きさやその強さに鳥肌がたった。そして、タイトルの「神々の山嶺」はなんとぴったりな表現なのかと思った。
このマンガを名作たらしめているのは、というよりこの作品をマンガ化できるのは谷口ジローでしかできないことだったと思う。最近亡くなられたということはニュースで知った。もっと彼の作品を読みたかったと思う。

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