ダークな世界にも生きる人はいる
正義への問
お金持ちが済む「街」。貧乏でも商売しながらまともに生きている「畑」。そして闇の商売なんでもあり・殺しもある「森」。ここを舞台に描かれるある殺し屋と飯屋の娘の物語。この物語のすごいところは、どこまでも人を堕としていくこと。堕として、堕として、堕としきった先に、残るもの。それはいったい何だろう?どうしようもない人間社会にも、人は生きている。それをヒシヒシと伝えてくれます。
この物語を読んでいると、何が正しくて、何が正しくないのかはわからなくなる。小辰(よるくも)は捨てられた子ども(虫)。人身売買・臓器売買・使うだけ使われたら捨てられる子ども。それを中田に救われた。よるくもには感情はなく、言葉の読み書き・計算もできないし、痛覚もない。あるのは温冷覚だけ…それでも、彼がたった一人の家族だった。中田は勉強もさせてくれたし、いろんなことを教えてくれた。彼の言うことを聞いて仕事をすること以外に生きている目的がない。それがたとえ人を殺すことでも。この人殺しを頼んでくるのは「街」に住む金持ちたち。森のやつらに汚い仕事はすべて押し付け、すべてお金で解決する。森のやつらはやりたくなくたって、それをやらなければ生きていけないんです。それをやる意味も、わからないんです。感情の欠如したよるくもを生かしてくれたのは、同じく虫出身でありながら痛覚・感情を体半分だけ持ち合わせた中田。捨てられた子どもを育てて、仕事ができるように育てる。どうしようもないことかもしれないけど、それが生きていける唯一の方法だから…
お金がある者の欲望を満たすための汚れ仕事が世界にはある。立派な人間なんているんだろうか。正義なんてあるんだろうか。そんな問いが生まれてきます。
母親の差別
父親が死んだけれど、残してくれたお店を守ろうと飯屋を続けるキヨコと母親。ご飯を食べたいお客を迎え入れ、お店を守り、自分たちの生活を守り、家族で生きていく。そんなあったかい家族でした。キヨコはいかにもまっすぐで、穢れを知らない少女。少しでも安く素材を仕入れ、いい料理を提供する。ご飯を食べれば、元気になる。みんなが元気になる。それがキヨコの生きる意味。でも母親は…「街」出身の夫を持ち、森の者への偏見に満ちていた…そりゃーね、自分の娘を脅かすかもしれない者が近づいてきたら、遠ざけたいかもしれない。でも、それで助かっている人も確かにいるんだよ?生きていれば、同じ人間なんだよ…?中田がね、怒るのもしょうがない気がするんです。虫だからこそわかっていること、目の前にいつも横たわる得体の知らない闇、それをいつも目の当たりにして生きてきて、それでも生きるための道を歩いてきた中田。そんな彼の存在をすべて否定された気持ちになっても、しょうがないと思うんです。
そこからまさか自分の命がわずかと知っていて、よるくもの家族にキヨコを…と考えていたとかは何とも意外でしたね。中田にだって信頼できる人はいなかったと思う。番先生でもだめなんだろうな。キヨコのように、よるくも大切にしてくれて、よるくもが興味を示してくれる家族じゃなければ。キヨコは中田のせいで闇に巻き込まれて堕ちていく…全部中田のせいなのに、なんか憎めない。純粋すぎて、恨みの矛先がどこへ向いたらいいのかわからないこの気持ち。どうしようもなくて、涙を出すしかない。よるくもにも、キヨコにも、罪なんてない。
キヨコと王子
母親も失った。中田も失った。キヨコには何もない。小辰にも何もない…キヨコには、小辰しかない。よくも普通の女の子を、ここまで堕としてくれるよなー…ってその残酷さにびっくりします。なんか吐きそう…胸が苦しすぎて、気持ちに収拾つけれない。どうすればよかったんだろうって迷うしかない。これはそういうダークな世界のお話だから、しょうがないって言い聞かせながらも、ここまでくると読むのやめたくなりましたね。ここからキヨコがどんな光になってくれるのかって見守るしかない。そう思ってがんばりました。でも物語はどこまでも闇へいき、屈折した愛情すらも美しいと感じるところまで堕ちていきます。
王子も王子で、すげーかわいそうな奴なのか、すげー幸せな奴なのか、わからなくなるんですよね。命は妹である百に救われた。だから百を愛することが自分の生きる意味。百に毒を飲ませてみたり、苦しませてみたり、精一杯の彼なりの愛を注ぐ。そして百もそれに応えて、精一杯生きようとしている王子を見て愛しいと思う…百が愛しているのは、「生きることへ執着している王子」なんですよね。見もだえ苦しむほどに、生きようと頑張る命。それを大切にすることが百の愛。それがなんで足切断に行くんだよってびっくりしたけど、百は命の大切さを嫌というほどにわかっている人間なんですよね。だって、キヨコと王子の件が片付いてからは、人殺しをすることをやめると宣言し、自然や動物を守ることへ尽力することを始めたんですから。
なんか、百のおかげで、ようやく光が見えたと思いました。中田が王子に戦いを挑んで死んだ意味が、母親が死んでもキヨコが生きている意味が、ようやく見えそうだと感じられました。
生きる目的が変わっていく
中田を失った小辰は、本当にかわいそうだった。お父さん失ったんだもん。それはしょうがないですよね。でも、それくらい感情があったと思っていいだろうか。何もないなんてことはないと、思ってもいいだろうか。空っぽなんかじゃない。もしかしたら、キヨコがいろいろ言わなければ、こんなに苦しむことなかったのかな…?いつもいてくれるものの価値や、ご飯がおいしいことや、助けたいと思う気持ちを教えなかったら、もっと楽にいられただろうか…?どちらにしても、生きる意味を失う時、それは死ぬこととほとんど変わらない気がします。キヨコがいてくれたことによって、小辰は家族を失わずに済みました。キヨコも、一人にならずに済んだ。そして、今日もご飯を食べて、仕事をして、家族で生きていく。ステージが変わったけれど、確かに生きている。これでよかったかなんてわからないけれど、それだけでもう嬉しくなりました。この物語って、自分が最低条件と考える底辺の部分をどこまでも崩していきますよね。価値観・固定観念をぶっ壊して、喪失させて。そしてなぜか思うんです。どんなに堕ちていったとしても、生きていさえすれば、どうとでもなる。そんな気がしてきます。結局、小辰はよるくもとして殺しを仕事にしていることに変わりがない。だけど、それでも家族だ。
この世界で生きていくということ
終わり方がこれでよかったのかなって思ったりはするんですよ。小辰がもっと心を持ってくれてもいいじゃんとか、キヨコが前みたいに笑ってくれないかとか、考えるんです。だけど、なんか納得もしてしまう不思議な魅力があります。確かに、最終的にもうどうしようもないところまできちゃったけど、そこに大切な人がいるなら、生きる意味もあるっていう、ポジティブなことを言ってくれている気もするんですよ。もっと明るく楽しく語られていたとしたら、全然感動できなかったと思うんです。可能な限り最悪の形で、本当に大切なものって何だろう?っていう問いをなげかけてくれているというか。
毎日生きていると、なんかどうしようもなく死にたくなったりとか、道が見えなくなったりとか、訳が分からなくなるときがありますよね。そういうときに「よるくも」読んだらシャキっとすると思います。
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