暗く重い純愛ラブストーリー
冒頭の衝撃的なシーン
この物語は、いきなり札幌の町が空襲されるところから始まる。そして現れる体半分が武器になった少女。この少女の戦闘能力は他のものと次元が違い、故に「最終兵器」と呼ばれる。という荒唐無稽とも思われる設定の物語がここまで読ませる力を持っているのは、徹底したリアリティを感じることができるという理由に他ならない。主人公の少女ちせがなぜ選ばれ最終兵器と改造されたのか、どこの国と戦っているのかということは、最後まで明らかにはならない。それよりも、ちせと彼氏であるシュウジの思いや苦悩、とても些細な幸せを大切にしているような二人の恋愛がメインに描かれている。そして、高校生なら誰でも感じる恋や切なさ、相手のことを考えるときや一緒にいるときの幸せ。そういうことがどれほど大切なことなのかと言うことがこれでもかというくらい描かれるので、ついつい感情移入しすぎてしまったりもする。そしてこのような恋をしているちせとシュウジが当時うらやましかった。
また学園恋愛らしいラブコメ要素も散りばめながらも、要所要所では伏線が張ってあったりと、ストーリーがきちんと作りこまれているのも読み応えがある。
ストーリーの始めのあたりは戦争もさほどでなく状況も深刻でなかったため、このラブコメ的展開がよくさしはさまれていた。ここは微笑ましく読めるのだけれど、若干のやりすぎ感を感じなくもない。その後は戦争が激化して悲壮感が漂ってくるのと同時に、ストーリー展開も暗く重くなっていく。
ちせが持つ兵器の絵としての魅力
高橋しん氏の絵は優しいタッチが不思議なほんわか感をまとい、なんともいえない世界感を作り出す。「いいひと」はそのタッチが遺憾なく発揮された作品だと思う。が、テーマとタッチの方向が一緒なのでさほどの印象が残らなかった。だが、「最終兵器彼女」では、彼が書いた優しい雰囲気の女の子が、鋼鉄の翼を背中から生やし、重々しい武器や剣を携え、戦闘機を撃墜し、というミスマッチの魅力が最大に生かされていると思う。この作品は高橋しん氏のあの絵でなければ、あの良さはでないだろう。
マンガではちせが飛び立つところや着陸するところがリアルに描かれている。ちゃんと重量感を感じるそれに、ちせの持っている力を感じさせて好きなところだ。アニメのほうはそれよりも、ちせが飛ぶシーンに重きを置いているように感じた。あの飛翔感はあれはあれでいいけど、やっぱりマンガのほうがリアルだと思う。またアニメよりもマンガのほうが武器の“書き込まれ感”がやはり桁ちがいで、その魅力はやはりマンガを見たほうが伝わらないと思う。
逆にアニメをみて、マンガでのイメージが補完できたのは「ちせの火」。かなりの爆発範囲を想像はしていたけど、アニメのそれを見たら桁違いだった。あそこはよかったところ。もうひとつ、アニメのオープニング・エンディングテーマ両方、ちせとシュウジの切ない恋を感じさせてよく合っていた。
最終兵器としてのちせ
いきなり冒頭のシーンから多数の戦闘機を一瞬にして撃墜するなどしながらも、彼女はストーリー中にもどんどん「兵器として」成長していく。「兵器」としてのちせと「人間」としてのちせ。両者はせめぎあいながらも、次第に「兵器」としてのちせが強くなってしまう。そもそも、気が弱くやさしいちせは、それがどんなに恐怖だっただろう。自らの意思とは関係なく兵器として改造され、その強さを政府は国のために使おうとする。自分の置かれた立場は理解しながらも、どれほどつらかったか想像するのに難くない。余談だが、この意思とは関係なく体が変わってしまったことを悲しむシーンで思い浮かべるのは、「ガラスの仮面」で姫川亜弓が吸血鬼カーミラを演じたときだ。演劇もののマンガである為それは劇中劇ではあるのだが、このシーンは思いがけなく吸血鬼になってしまったという少女の哀しみが強烈に伝わり印象に残っている。「最終兵器」になってしまったちせにも、そのような同じ気持ちがあったに違いない。その上、「人間」であろうとする自らの気持ちとは裏腹に、彼女の力は増大していく。そしてその兵器としての力は、意思と関係なく攻撃されれば発動するまでになる。その恐怖。そして自分の手でたくさんの人を殺さなければならない恐怖。ちせの口ぐせである「ごめんなさい」は、何度も繰り返される。そして印象的な言葉「わたしばっかり、なんで。」。これらのセリフが彼女の弱さと哀しさをこれ以上ないほど感じさせて、胸を打つ。
本来なら早く「兵器」としてのみに生き、「人間」部分は捨てたほうがちせにとっても楽だったろう。なのに、彼女はあえて恋にしがみつき人間であろうとする。作中ちせが言う、「私を殺してください」。これほどつらかったのに。こういうジレンマやつらさが不自然なくリアリティあふれる重さをもって表現されているからこそ、この作品は名作と言える。
シュウジの葛藤と成長と罪
ちせが「人間」であることを確信できることは唯一のことは恋をしているとき。だからこそ彼女はこの恋にひたむきに縋りつくのだけど、シュウジはそこから一度逃げてしまいそうになるところが何ともリアル。誰でもそうなると思う。相手は兵器だし。怖いと思う、心の底から。ちせを連れて逃げるシーン。一度は自転車で、もう一度は港町へ。この時シュウジの顔がまったく違っている。自転車で逃げたときはまったくの高校生然だったけど、二人で港町へ行った時はもう大人のような落ち着きを持ち合わせた顔になっていた。それだけ彼も苦悩したに違いない。また、港町でシュウジがちせを守るために働こうとしたところ。シュウジもちせにだけでなく、自分ができることを必死でやろうとしたに違いない。その格好悪い必死さはかなり理解できて、切なくて、感情移入してしまった。そして死を願うちせを自分のエゴのために生かしたこと。当然その結果、また大量の死を呼ぶことになるのだけど、それとも引き換えに自分の愛する人の生を願うことを非難できるはずもない。ただちせ自身も死を願っていたことはシュウジも分かっていたはず。シュウジの葛藤はその点においてのみだったかもしれない。ここで自分ならどうしただろうとよく考えるが、答えがでるはずもない。
ちせとシュウジの友人たち
戦争さえ起きなければ皆そのまま友達だったのに、アツシは兵隊として前線にいき、アケミは死んでしまう。このアケミが死ぬところはなんとも切なかった。ちせがいたから自分は言えなかったシュウジへの想い。もう死ぬって分かってて、でも「こんな早く死ぬなんて思ってなかったから」っていう本当に魂からの叫び。そんな告白を涙ながら聞き、あけみの最期を胸で受け止めたシュウジ。シュウジにとってその死を受け止めた体験は彼にとっては身を削るもので、そこで初めてちせの本当の気持ちがわかったと思う。そして、ちせは毎日あれほどの思いをしていると心から理解したときに、絶望的に自分のふがいなさを嘆いただろう。
あの一連の流れがあったからこそ、ちせが毎日戦場で殺している兵士一人ひとりにもこのようなドラマがあったはずと思わされる。アケミは、少なくとも好きな人の胸の中で死ぬことが出来たのだから、まだ幸せなほうなのかもしれないと言うことを。
ちせの変化、シュウジの変化、そしてラスト
どうなっても戦いをやめようとしない人間に対し、ちせの意識は兵器としてのそれというよりも、神のような発言が見られるようになる。もう地球が壊れるまで戦いをやめようとしない人間を、自分の強大な力で終わらせることを誓ったときのちせは、まるで全人類の母親のような女神のような印象を受けた。でもそこでシュウジに一緒にいてと言ったのは、あの時自分を生かしたシュウジの義務、というよりは、本心はやはり恋だったと思う。そこだけは変わっていないちせだったのかとも思う。
それに比べて、シュウジも成長しているけれど、ちせのそれにはやはり及ばない。そういう小さなところも、弱いところも、少し卑怯なところも全部ちせは分かってて、尚シュウジを愛しているのが最後伝わる。
初めて読んだ時、この最後のシーンはちょっと納得いかなかった。イメージもわきにくかったし。しかし何度も読むにつれ、これでいいのだと思える。二人きりの世界で、ちせはやっとちせに戻れたのだから。
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