最後の爆発シーンで評価が二分する
目次
ベストセラー小説が原作であり、大ヒットドラマの続編
本作は、大ヒットドラマ「チーム・バチスタの栄光」の続編にあたります。
前作は、大ヒットしたミステリー小説が原作で、大ヒットした映画のテレビドラマ版というプレッシャーをはね返し、素晴らしい作品となりました。
では、本作はどうでしょう。
結論から先に述べると、今回も素晴らしい作品となりました。
シリーズ最高傑作という評価もあるくらいですし、実際そうだと思います。
本作はミステリー小説としての完成度がとても高く、それをテレビドラマで表現したから素晴らしい作品だと思います。
ただ、「ミステリー小説として完成度が高い」からこそ、興ざめしてしまった視聴者がいたことも事実です。
当レビューでは、本作が最高傑作であることを大前提として、「なぜ興ざめした人が出てしまったのか?」を考察したいと思います。
ミステリー小説はテレビドラマに不向き
完成度の高いミステリー小説とは、どのような小説でしょうか。
登場人物のキャラが立っていることは、良い作品であることや人気作の条件ではありますが、それはさておき、完成度の高さのみを評価するならそれは、「無駄がないこと」と「理詰めですべてが構築されている」ことです。
つまり、登場人物の行動や言動に一切の無駄がない、それどころか無駄な登場人物が1人もいない。しかもそれらにはすべて理由がある――乱暴にまとめれば、これが完成度の高いミステリー小説です。
たとえば通行人Aが歩いていれば、その人物が歩いていることに意味がある。その人物の動きや言動を考察することによって、事件が解決に向かうようにできているといった具合です。もちろん、意味のない出来事は起こりませんし、どうでもよく見える些細な出来事――たとえばコーヒーをこぼすなど――が、事件解決の決め手になっていたりします。
ただ、これはミステリー「小説」の話で、テレビドラマでここまでガチガチに作りこむことはまず無理です。無駄なものを画面に映さないことなどできません。
それに、そもそもテレビドラマは「無駄がないこと」や「理詰めですべてが構築されている」映像作りにこだわる必要がないのです。
なぜならリアリティが損なわれてしまうから。
「無駄がない」「すべての事象になんらかの理屈がついている」生活などありえません。そのような映像を作れたとしても、それを観た視聴者は自分の実体験と比較して「ウソくさいなあ」と感じてしまうでしょう。
ですが、本作は、それに近い映像を作れてしまった。
しかもそれが高いレベルだった。
つまり、ミステリー小説としての完成度が高く、テレビドラマとしてもリアリティがある――この相反する要素ともに高得点を叩きだした作品だったのです。
そしてそのことが、興ざめしてしまった人を生んだ根幹にあるのです。
つまずきポイントその1「キャストが美男美女すぎる」
本作を初めて観たときの素直な感想は「今回のチームは、イケメンや美女ばかりだなあ」でした。
前作も氷室先生(城田優)や大友さん(釈由美子)は、たしかに美男美女でしたが、城田優の内向的な感じはいかにも医学部にいそうなタイプの美形で、まあ一人くらいいてもおかしくないなとなんとか思えました。釈由美子もグラビアで活躍していた頃より年数が経って、良い具合に落ち着いてこれもまあ何とか一人くらいいるだろうなと思えました。そもそも釈由美子は、「その美貌で成り上がっている」というウワサを立てられている役どころなので、まったく違和感がありません。
ところが今回のチームは、美男美女というだけに留まらず、"若い"イケメンと美女でした。
まあ前作のヒットもあって、おそらくお金も潤沢になり、キャストも豪華になったんだろうなと、ゲスな勘ぐりもありつつ、しかしツッコミを入れはするけれどそれ以上野暮なことは言わない――と、そういうスタンスの方が多かったとは思います。自分はそうでした。
ところが、2話目で「ミスコンの決勝を控えるモデル」という患者があらわれたとき、「医者のほうが美人じゃないか」と、ちょっと冷めてしまった方もでてきたのではないでしょうか。
特に和泉遥(加藤あい)は、若くスリムな美女で、それこそミスコンモデルと同じ土俵で戦えるタイプです(前作の釈由美子も現役時代ならいけたでしょう)。花房美和(白石美帆)のような可愛い系ならそこまでおかしいとは思わなかったのですが、加藤あいはクールな美人系、思いっきりミスコンモデルと方向性がかぶっています。
そして、ミスコンモデルの女優より美人に見えてしまった。
和泉遥(加藤あい)には救命医にならなければならない理由があるので、たとえ彼女はスーパーモデルやハリウッドスターになれたとしても、絶対に救命医になるのですが、2話の時点では明らかにされてはいません。
間違いなく、興ざめするポイントだと思います。
ちなみに5話目にも「全国ツアーを控えた人気歌手」が登場しますが、この人も和泉遥(加藤あい)には勝てないと思うんですよね。整った顔という意味では。
この美しすぎるキャスト問題と、ミステリー小説特有の無駄のない作風との合わせ技で、つまずいてしまった人、興ざめしてしまった人はいたと思います。
つまずきポイントその2「仲村トオルが画面に馴染んでいる」
白鳥圭輔(仲村トオル)は、前作同様、医師ばかりの作品の中で異物です。
厚生労働省の役人というだけでなく、「厚生労働省大臣官房秘書課付技官、医療過誤死関連中立的第三者機関設置推進準備室室長、兼、保険局特別監査室室長代理」というウソくさい肩書きも、リアルな演技や役作りをしている他のキャストの中で浮いています。演技も一人だけ大げさで、まるで演劇のようです。ただ、その観客に語りかけるような演技が、このバチスタシリーズの良さではありました。
彼が画面に映るたびに「これはリアルな話だけど、エンターテインメント作品なんだよ」と作品を視聴するときの心構えを、視聴者の潜在意識に植え付けていました。
それがこのシリーズを心地よい世界にしているのです。
ところが、2作目ともなると、我々視聴者も彼のことをよく知っています。
見慣れてしまってリアルな人物だと錯覚し始めています。それに加えて、彼のもつ軽さやチャラさが実は演技であることを我々は知ってしまっているのです。
そうなんです。あのチャラさは、俳優・仲村トオルの演技ではなく、高級官僚・白鳥圭輔の演技だということを我々は知ってしまいました。
そのことがこの作品を、前作よりも、リアルな世界だと思わせてしまったのです。
熱心な視聴者ほど、「もしかしたらノンフィクションなのでは?」と、勘違いしてしまう作風になってしまったのです。これは結論から言うと、この作品にとっては大きなマイナスでした。ラストの爆発シーンで「ありえない」と思ってしまうからです。
ただこの作品は、ミステリー小説としての完成度が高く、テレビドラマとしてもリアリティがあるという、未だどのテレビドラマも実現できていないことに(制作者の思惑とは関係なく)挑戦した作品です。こればっかりは仕方がないのではと思ってしまいます。
つまずきポイントその3「無駄がない=ご都合主義」
最後に、これはすべてのエンターテインメント作品に言えることなのですが、一切の無駄がない極上のエンターテインメントを追及すると、それがリアルであればあるほど都合良く見えてしまうのです。
たとえばミステリー小説では、探偵役が旅に出た瞬間に殺人事件に出くわす、殺人事件に遭遇しすぎるなどです。
これは無駄なシーンをダラダラやられるより、むしろ良いのですが、テレビドラマでは鬼門です。
リアルな映像であればあるほど、警察密着24時のようなドキュメンタリーでヤラセをしたような、ウソくささを感じてしまうからです。興ざめですよね。
この「チーム・バチスタ2 ジェネラル・ルージュの凱旋」は、完成度が高い作品なだけに、この問題と戦うことになってしまいました。
象徴的なのは、タイミング良く爆発が起こるラストシーンです。
これはエンターテインメント作品としては素晴らしい演出、みごとなエンディングです。
ただ、リアルな作品だと思って視聴していると、どうにもタイミングが良すぎる。
その結果、前述のつまづきポイントで興ざめしてしまった方には、ご都合主義すぎるエンディングになってしまった。熱心に視聴していた人ほどそう感じてしまう作風に着地してしまった。
素晴らしい作品なだけに、この点だけは残念でありません。
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