歌って戦うシリーズ第三作目
シリーズ三作目に至って、もっとも成長が見られるのは声優陣
『戦姫絶唄シンフォギア』シリーズも、三作目にあたる『シンフォギアGX(以下、GX)』が公開された。なんでも四期と五期の制作まで決定したというから、『シンフォギア』を人気アニメシリーズと呼んでも誇張ではないだろう。相変わらずの歌って戦うバトルシーンは、観るのが待ち遠しくなるほどだ。歌いながら叫ぶのがとにかく熱い。
この“歌いながら叫ぶ”に関しては、シリーズ一作目から悠木碧が抜きん出ていたが、三作目に至ってそこに水樹奈々と高垣彩陽も追い付いてきた、という印象がある。
いつかのイベントか何かで、悠木碧は歌唱力では水樹、高垣に負けると自覚しているらしく、「(三人で歌うことに対し)だってこの二人(※水樹と高垣)ですよ!?」と発言していた。そりゃ、紅白歌手と声楽専攻出身と並べというのが酷というものだ。
だが、筆者は“歌いながら叫ぶ”においてはこれが逆転すると思う。悠木演じる響の、拳を奮う瞬間に勢いづき、跳ね上がる歌声。特に第一話の『RADIANT FORCE』最後の「光あれ!」は、鳥肌モノの熱さだった。
この“歌いながら叫ぶ”に、シリーズ開始当初は控えめだった水樹も高垣、更に三期から味方になったマリア役の日笠陽子も乗ってきた、という感じを受けるのだ。
この声優側が進化していくところも、『シンフォギア』影の魅力であると筆者は思う。
聞いたところによると、アルカノイズの設定を考案したのは水樹奈々であるという。声優が制作側に関わるというのはあまり多くはないと思うが、それだけ『シンフォギア』が声優陣にも愛されている証拠だろう。
声優と共に成長していくアニメとして、『シンフォギア』シリーズは今後も期待が出来る作品である。
一話区切りの構成が多くなったことが難点
しかしながら、筆者は『GX』の内容については、前二作に比べて劣る、と思っている。というのも、ストーリー構成に難を覚えるからだ。
『GX』の中盤は、シンフォギアを強化するイグナイトモジュールをどう飼いならすかがポイントになってくるのだが、ここはかなり行きあたりばったりな構成となっている。
キャラクターたちは一話の間に、自己の問題にふと向き合ったり(クリスや翼など)、予期せぬトラブルに提起されたり(切歌や調など)と、それまでのシリーズ、または『GX』でも「そんなことで悩んでたの?」と思ってしまうほど唐突な悩み事、もめ事が起きる。そしてそれが、たった一話で解決していき、結果としてイグナイトモジュールを使い、暴走状態を抑え、オートスコアラーたちに打ち勝つという流れが頻発する。
この構成の流れは非常に陳腐といえるだろう。どこぞの三流アニメではよく使われる手法ではあるが、そこそこの良作だった『シンフォギア』にそんなことをされるとがっかりで非常に遺憾である。
また、イグナイトモジュールによる強化型シンフォギアも登場したが、これもたくさんある変身ヒロインものの焼き直しにすぎず、オリジナリティーを全く感じない。『セーラームーン』とかそこらの戦隊モノでよくあるヤツじゃん、これ……いっぱい観たことあるよ……。なんなら人生で50回は見てるよ……。
これはかなり由々しき事態だ。この『GX』以降、「シンフォギアらしさがなくなり、一般的なアニメと似たり寄ったりな内容になるのではないか」という危惧さえ覚えている。
『GX』の難点を踏まえ、四期、五期の内容はどうなるのか
さて、期待と不安のなか幕を閉じた『GX』であるが、次作は一体どんな作品になるだろうか。
まずは、転生したエルフナインが装者として戦うことになるのか注目したいところではある。エルフナインはキャロルが元になっているだけに、シンフォギア装者としての素養は十分にあるだろう(バックアップ担当になりそうだが、「大人も子供ももろとも戦士ッ!」精神の金子は無理やり引っ張ってきそうだ)。
しかし、『GX』の時点で味方側のシンフォギア装者が六人。これだけでかなり尺が足りず、翼やクリスの出番が減りに減っていることを踏まえると、あまり味方が増えすぎるのも得策ではないのかもしれない。
響や翼やクリスに関して言えば、『GX』で空気どころか薄っぺらいシールのような新設定(響の唐突な「戦いたくない」や、翼の“鬼子”、クリスの“猛烈なセンパイ意識”)が付け加えられ、しかもどれも大して生かされていなかったから、もう少し掘り下げて欲しいところ。
強さのインフラが起きている気もするし、譲れない信念vs信念もそろそろ限界が来ている気もするし、シンフォギアは一回壊されて強化版が出てしまったし、ファンに間ではもうこの面子でこれ以上のストーリーは起きないのでは、という意見もある。では現SONGの面々は引退してしまうのか。数年後とかになったら嫌だなぁー。
戦うヒロインモノでいうと、人気もストーリーも三作目が区切りという見方がある。『セーラームーン』も『おジャ魔女ドレミ』も『レイアース』も、続けば続くほどキャラが増えストーリーや設定が難解になり、ファンが息切れしていったのを筆者は時代の流れと日ごとすり減る若さと共に見てきた。
ならば、『シンフォギア』も『プリキュア』と同じ流れを取ってみてはどうだろうか。そう、一年ごとにヒロインが総とっかえするあのシステムである。長く『シンフォギア』シリーズを続けるため、金子イズムをアニメーションで見続けるため、それはきっと、いつか“思い出”になるアニメとなるためにッ!!
……本当に、響たちを中心とした物語も限界が来ていると感じるので、制作側にはご検討いただきたい次第である。
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