小さな森の、大きな収穫
スローフード、スローライフ
つくし、ふきのとう、アケビにわらび、クワの実…バブル期華やかなりし頃には、それらは質素で珍しい田舎料理の食材でした。時代はヘルシー志向へ移行し、和食が持て囃されるようになった現在、これらは高級食材となり、とても日常的に手が出ない値がついて都会の野菜売り場に鎮座しています。
そういった食材を自分の手で採集し、三度の食事とする生活。これをどうして貧しいといえましょうか。
「リトル・フォレスト」は、著者・五十嵐大介氏自身の自給自足の生活体験を、主人公・いち子に反映させて描かれた作品です。架空の集落・小森。ああ、だからリトル・フォレストなのか、と読み始めてしばらくして気づきました。
スケッチ画のようなラフなタッチながら、卓越したデッサン力と瑞々しい描写力。デジタル機器のみで漫画を描く作家さんが増えた昨今ですが、これ、ワク線以外は定規をほとんど使ってないんじゃないかしら?
発表されて早や十数年、そういえば作中に携帯電話やPCは登場しません。薪で風呂を沸かし釜で飯を炊くという、昭和を彷彿させる生活形態なのですが、テレビ視聴してるシーンさえもないのですよね、餅つき機は登場しましたが(^_^;)
母親との関係と置かれた環境から、勝手な思い込みなのですがいち子の背景と気性は、著名なハーブ研究家で京都に暮らすベニシア女史を思わせるのですよ。あちらの番組にも全くと言っていいほど、IT機器など登場しませんし。
自分の手で生活するということ
母親が失踪し1人で暮らすいち子の食卓には、インスタントの物が一切乗りません。自分の畑の収穫物、村人からのおすそ分け、はては周囲に自生する山菜・木の実などなど。しかし家の修繕や畑仕事はともかく、里の女性も敬遠気味の鴨を食肉にする仕事もこなす辺りは、なぜ主人公を女性に据えられのか?とも思いましたが。
農村で暮らす女性は、家族の面倒を見ながら畑仕事も、日々の家事もこなし、さらには花を育てたりと、とても「生きるスキル」が高い。五十嵐氏はそのスキルを身に着けたいと、単身岩手県の衣川村にて、本の知識や村の人々の助けを借りながら農業を営まれていたそうです。そう、男性ではなく女性達に感化されて。
友人のキッコ、年下のユウ太と、いち子の生活に直接に関わる人物は少ないので、ストーリー漫画としての体裁でありながら、淡々と進行するドキュメンタリー寄りの作風は、五十嵐氏自身のエッセイのようでもあります。
設定上のいち子の年齢はおそらく20代。東北の小森という集落で、ひとりで生活をする女性です。どこか他所の土地から小森に移住し、当初は母親の福子と二人で生活していました。なにしろ詳細な状況説明はとことん省かれた作品なので、福子さんの経歴など謎に満ちています。
娘をひとり残して失踪した福子さんは、母親としてはとんでもない人なのですが、魅力的でなかなか興味をそそる人物でもあります。
作中から拾った断片的な情報を繋ぎ合わせて、少しばかり彼女の人となりを手前勝手に推測したいと思います。我ながら詮索が過ぎるとは思うのですが(;^_^)
母のレシピと娘のレシピ
物語はいち子が小学校低学年くらいの年齢から始まりますが、最初から最後まで全く父親の描写はありません。離婚したのか死別したのかはてさて。
いち子が中学生くらいの頃に母の福子が失踪し、アルバイトで現金収入を得つつ全くの自給自足生活を始めたことから、親類縁者もこの土地にはいないようです。もしかしたら、しばらくどこかで世話になっていたかもしれませんが。
母娘の生活は農作業の描写が主体なので、他に収入を得られる仕事を持っていたのかも不明です。
そもそも娘が幼いなら、それこそ働き手としては不十分。その娘も友人達と遊びたい盛りで、家庭の雑事を母親に押しつけたりもしていたようです。福子さん、そんな生活に嫌気がさしたんでしょうかね?
経済的な理由からかほとんど売ってしまったようですが、読書家だったらしく沢山の蔵書があったようです。地方都市での生活経験があり、大学くらいまで出ていたかも知れません。
そして特に料理の能力が高く、パンやケーキを焼いたり、イタリアのヌテラを知っていたり、おおよそ小森のような土地では作る人がいないような、ハイカラなレシピのレパートリーが広いんですよね。海外旅行の経験でもあるのでしょうか?
ちょっと驚くようなレシピなども披露されているのですが、料理研究家レベルのスキルがあったようですね。
それにしても手に入るもので、既製品に近い味を作り出す福子さんのオリジナルレシピは実にユニーク。チョコレートとヘーゼルナッツが原料のヌテラはイタリア人の好物だそうですが、実は私、あの風味が苦手なのです(-_-;)
むしろ福子さん特製「なんちゃってぬてら」のほうが絶対美味しそう。いち子の好物でもあるので、彼女自身が母のレシピでぬてらを作り、そのためだけにパンも焼きます。でも一番気になるのは、結局娘に作り方を伝授しなかったジャガイモのパン。五十嵐氏のレシピ=いち子流のレシピとして掲載されているのですが、元になるジャガイモパンは存在するのかが気になるところ。うう…食べてみたい(>_<)
家事仕事や農作業をしながら、幼いいち子をからかったり嘘を吐いたり、ちょっと意地悪な印象もありますね。でもそういうのは私も経験があるのですよ。嘘じゃなくて母自身の思い違いだったと知ったのは、成人して以降のことですが。
娘目線では大ざっぱに見えていても、必要なところではちゃんと手間をかけていた。これはいち子が独りになってから気づいたこと。こういう描写に、いちいち読み手としての心情もズキズキと刺激されてしまいます。
福子さん特製の不思議なクリスマスケーキの謎も、独りの生活の中でいち子は解明してしまいます。親から教えられた通りではなくそれを発展させていく、そんな風に受け継がれて行くんですね。
そして小森へ
当初は母娘の再会を予想し期待もしていたのですが、結局そういうエピソードはありませんでした。でも母娘の問題は、いち子の中で折り合いがついて解決してしまっているのですよね。
いち子自身も小森を2度離れ、街で生活し、男性と暮らしました。最初は破局して小森に戻り、もう一度街に出た時は小森の家はキッコとユウ太が守り、今度は夫となった男性を伴って戻って来たのです。
そして今度は二度と、彼女が小森を離れることはないのでしょう。もしも福子さんが訪れることがあるならば、苦情をいいながらも受け入れることでしょうね。
リトル・フォレストのモデルとなった岩手県衣川村も、市町村合併で名称が変わりました。数年前に実写映画も制作されましたが、原作を尊重して季節別に4編に分けて、実に丁寧に描かれた佳作でした。
雑草なんてものは存在しない、その辺にあるものが食卓に並ぶのが普通の生活も、かつては身近にあったのでした。
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