しっくりこなさの正体、われわれはいつの間にかりりこの奴隷となっていた
なかなか書けないレビュー
この作品、麻田の哲学的な問いかけをかき集めてかっこよく考察することはできる。りりこの心理を予想し解説することもできる。しかし、本作を自分がどう思うか、を考えた時何度やってもまとめることができなかった。試しにこの作品をなるべく短い言葉で表らしてみよう。「荒唐無稽」・・・ちょっと違う。「自業自得」・・・いや、全然違う。シンプルに「面白かった」「衝撃を受けた」というものでもない。「考えさせられた」「興味深い」、レビューや感想によく使われる言葉が、どれも当てはまるようでしっくりこない。考えた末にある程度腹が決まってきたのは5回ほど読み直してからだ。この作品の味はこの「しっくりこなさ」なのではないだろうか、と思うようになった。その「しっくりこなさ」は何か、それは冒頭から登場する名もない複数の一般人が実は自分たちである、という認識ができずに読んでいた時の感想だ。
読みにくい前半
前半は正直なところ「読みにくい」が主たる感想だった。決してうまい絵ではないし、ラフな感じのタッチが味でもあるのだろうが、自分にとってはキャラの見分けがつきにくいことが先行した。破滅をにおわせる雰囲気は最初から漂っており、りりこの没落で終わるのだろう、と予想するが思うほどには「破滅」は始まらない。読みにくいままどうしたものか、と惰性で続けていたつもりがいつの間にか作者の術に落ちている自分に気づく。
中盤、羽田がりりこに性的サービスを要求されるあたりで、意地悪でクレイジーな女りりこのはずなのに「この程度か?」という感想も持つ。彼女はもっと悪辣でひどいことをするか、より激しい快楽を求める女ではないのか、というある種の期待外れ感がある。しかしそれこそが作者の意図であり罠だ。
羽田とのレズシーン、彼氏を含む乱交などではりりこは加害側ながら冷静と孤高を保っているのに対し、被害者(?)側の二人はボロボロになり蟻地獄に落ちていく。ここで作者はタイガーリリィと凡人の書き分けたのだ。「凡人」とは読んでいる我々そのものだ。羽田が局所を舐めさせられたとき、われわれは羽田となり、もっとひどい仕打ちを与えてください、と考えたのではないか。この時点でその程度で終わったがゆえに、次はもっと強い刺激が来ることを期待する。次には「期待通り」彼氏を巻き込んだ乱交、おもちゃを使用した拷問プレイなどが繰り広げられていく。こうして羽田と我々はりりこに刺激を懇願する奴隷になった。ショックを受けつつも、こんなものでは足りないんです、もっと強い刺激を、もっと激しい快楽を、与えてくださいりりこ様、と思っていたのだ。羽田はこの時点で逃げ出すことができたのにそうしない。我々も本を閉じることができたのに読み続ける。りりこは自分たちをより深い快楽の境地に連れて行ってくれるという期待があるのだ。それほどにりりこはサディスティックに、しかも美しく作り出されている。もはや女王であり神と言ってもいい存在となっていく。
しかしそれは凡人である羽田から見た姿であり、実際のりりこは副作用や薬に侵された壊れる寸前のからくり人形でしかない。羽田には見えないが読者である我々にはそのカウントダウンが始まっていることが告げられている。我々は豚同然の性奴隷であることを望みつつ、同時にりりこ没落のビッグショーを期待するハイエナに仕立て上げられていく。これらがすべて作者の意図であり、この仕組みに気づいたとき、「しっくりこなさ」が解消される。稚拙な田辺恵美利襲撃事件、町でりりこをあがめる一般人女子、没落するりりこを奇異の目で見る人々、これらは全てゲスな野次馬である自分たちだ、と理解した時、初めてりりこが自分たちとは違う存在であると気づく。
そして没落、しかしそれはさりげなくおとずれる
意外にも没落のシーンはさりげなく描かれる。りりこの素肌と作り上げられた幻影の両方を熟知しているキンちゃんによるコメントがカウントダウンの役割を果たす。この時が最高にきれいだった、と表現するときはもはや腐って崩れ落ちる果実同然であるりりこ。また序盤から登場しているものの徐々に出番が多くなる麻田は、りりこを追い詰める役をこなすのかと思いきや、むしろ同類ですらあるような気配を漂わせる。この麻田の存在が、展開を単なる退廃的なものにせず、りりこを危うい女神として強調していく(麻田はそうは思っていないが我々凡人は麻田のコメントでそう思うようになる)。
余談になるが、この退廃と哲学が同居する雰囲気は安達哲の「キラキラ!」や「お天気お姉さん」を思い出す。性表現、一見自分さえ良ければいいと思っているものの実は内面の自分と戦っている、などの要素も近いかもしれない。「キラキラ!」は少年誌掲載であったこともあり直接的性行は描かれないがりりこが敵視する金持ちの御曹司の結婚相手が「えみり」であることも不思議な符号だと私は思う。
最終シーンはイメージ?現実?
海外の場末の見世物としてステージに立つりりこ。それを見つけたこずえの驚き。物語はそこで終わり、明確なこずえの感想やりりこの状況は全く描かれない。そこまでの流れで専門医がいなければあの美しい姿を保てるはずがない事は我々は知っている。ではあれがこずえが見た幻だ、とかいうのも意味がない。無理やり説明しようとするなら、りりこオマージュの別人とか、妹ののちの姿とか、考えることは可能だが、私はあえて不整合でもそれがりりこ、と言いたい。おそらくだが作者はりりこの破滅へ向かう姿と、あのラストを整合しないとしても書きたかったのだ。むしろ「ありえない」と思わせることが狙いであり、りりこというキャラの完結なのかもしれない。
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