日本文学のアニメ化
アニメ化による日本文学復興
言わずと知れた日本文学の名作、太宰治『人間失格』や夏目漱石『こころ』などの文学作品を、大胆にアニメ化した作品。
文学ファンも納得のディティールとなっていて、実写化とはまた違う映像美、演出美を楽しめる。
人間失格の雪降るシーンや、こころのKの人物描写、小説といえば頭のなかで楽しむものだと思いがちだが、映像があることによって自分が想像していたのとは違う登場人物の姿、葛藤の形が見られて、新鮮な面白みが感じられる。
声優の演技も素晴らしく、まるで本当にそこに存在しているよう、小説原作ではなく、新しいオリジナルの作品にさえ思えるクオリティに仕上がっていて、小説のアニメ化に難色を示す人でも安心して見ることの出来る内容となっている。
いい意味で古典的。古き良き日本文学と、近年海外からの評価も高いアニメ芸術との融合体。
小説の描写を超える演出
原作を忠実に再現することがアニメ化の必須条件に思われるが、青い文学シリーズではそれをあえて大幅に裏切ることによって、芸術に昇華させている。
『こころ』の登場人物Kは、元の小説では暗くひ弱な青年として描かれるが、アニメでは違う。暗く、人付き合いがうまくできないという点は同じだけれども、筋肉隆々の屈強な青年に描かれているのだ。
これを改悪と見る人もいるだろうが、Kの持つ狂気、異常性を表現するのに、これほどハマった描き方はない。映像作品という制約がある以上、小説本文でなされた緻密な筆致による性格の書き出しは、アニメでは不可能だ。
もし原作をそのまま映像にしていたら、おそらくただの暗い作品になってしまったことだろう。『こころ』の文学性は、登場人物の暗さにあるのではなく、人の暗さが狂気へと変わり、どこに、何に向けられるのかというバイオレンスにある。
小説においてそれは叙述が当てはまる。アニメにおいては演出だ。一貫して青い文学シリーズの演出は過剰気味で、通常文学に持ちうる静かなイメージとは合致しないかもしれない。しかしそれこそが、日本文学の魅力である昼ドラ風ドロドロを描き出すのに、最も適したやり方だと思う。
鬼気迫る演技
アニメで重要な要素のひとつが声だ。キャラクターの命を吹き込む声優の仕事がおろそかでは、どんな作品もでたらめな出来になってしまう。
青い文学シリーズでは、『人間失格』『こころ』『桜の森の満開の下』『走れメロス』『蜘蛛の糸』のすべての主人公の声を俳優の堺雅人があてている。
堺雅人の演技は、どれをとっても穏やかかつ力強い。一見迫力不足に感じられるが、見ているうちにどんどん惹きこまれていく。それはなぜか。登場人物の内心、心理描写のテンションと、声のトーンがマッチしているからだ。
過剰ではないが、落ち着いてもいない。堺雅人のあの独特の表情が浮かんでくるようだが、それが意外と登場人物の表情と合っている。エピソードごとに作画、監督ともに違う青い文学シリーズで、ここまで多種多様の人物を演じきれるのは、堺雅人以外にはいないだろう。
現実離れしているようで、現実に存在している文学を元にして作られたエピソードを、アニメーションによってデフォルメし、全主人公を同じ俳優に演じさせるという常軌を逸したアイデア。
太宰治、夏目漱石、坂口安吾、芥川龍之介の四人も、このアニメの出来には満足せざるを得ないだろう。
- あなたも感想を書いてみませんか?
- レビューンは、作品についての理解を深めることをコンセプトとしたレビューサイトです。
コンテンツをもっと楽しむための考察レビューを書けるレビュアーを大歓迎しています。 - 会員登録して感想を書く(無料)