ロードレースを題材にした珍しい作品
宮崎アニメらしさの考察
不思議と作画におけるタッチが宮崎アニメそのものだと感じられました。
しかし、アニメ制作しているのは「マッドハウス」という会社で、スタジオジブリが制作している作品ではありません。ただ、作画のタッチは宮崎アニメだったので違和感が拭えなかったのですが、色々と調べていて謎が解けました。
当作品の作画を担当している高坂希太郎さんというアニメーターが、宮崎アニメに深く関わっているそうで、「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」等の数多くの作品の原画を担当されていたようです。だから、ここまで画のタッチが宮崎アニメを感じさせるものなのだと納得できました。
上記のことは、OVA作品を紹介している公式ホームページに少し記載されています。
そして、「高坂希太郎」というキーワードをgoogle検索してみると、これまで制作に携わってきた作品を簡単に知ることができます。特に、登場人物のキャラクターデザインが宮崎アニメそのものだったので驚かされました。
また、決定的な違いとして、劇場アニメを前提として制作される宮崎アニメに対し、当作品はOVA作品です。そして、ファンタジー路線の宮崎アニメと違い、現実社会のロードレースを題材にしているのが当作品であり、方向性が異なると考えられます。
そのことからアニメ本編の時間も60分弱の作品なので、宮崎アニメやスタジオジブリの市場とは、全く別のところをターゲット層にした作品だと考えることができます。
どす黒いオーラの考察
宮崎アニメを彷彿とさせたのは、キャラクターデザインだけではありません。
映像における表現方法も、宮崎アニメらしさを感じさせた部分です。具体的には、選手から放たれるオーラの存在です。オーラを放っていたのも、強敵選手であったザンコーニの一人だけであり、他人を寄せ付けない雰囲気、全力を出している雰囲気として、オーラが描かれていたのが特徴的だといえます。
リアリティーを追求したアニメ映像において、感情表現として、オーラが描かれているのです。
ファンタジー作品ではなく、現実社会を描いたアニメ作品としては珍しい描写であり、面白い表現手法だったと考えられます。
また、ザンコーニは、朴念仁と呼ばれるほどに感情表現がないキャラクターであり、アニメ作品としては描きづらい選手だったのは間違いないです。どす黒いオーラは、ザンコーニという選手を表現するのに、分かりやすい描写だったと思われます。
また、ライバル選手として、ザンコーニという登場人物を強調したかった意図があったのだと考えられます。
オーラの存在は、特別感を演出するものであり、色は雰囲気を示唆するものです。どす黒いオーラは、視聴者に不気味な存在として映り、さらに唯一のオーラを放つ選手としての特別感は強いものだと考えられます。
よほど、異質の存在として、ザンコーニという選手を強調したかったのだと考えられます。
そして、とても分かりやすい描写であり、その手法は成功だったのだと考えられます。
レースを扱った作品
レースアニメという括りなら、多くの他作品を挙げることができます。
しかし、「よろしく!メカドッグ」「F」「頭文字D」「新世紀GPXサイバーフォーミュラー」など、自動車レースを扱った内容のものが多いです。自転車レースを扱ったものというと「弱虫ペダル」が挙げられるくらいなのではないでしょうか。そして、「弱虫ペダル」は後発の漫画作品・アニメ作品なので、ロードレースを題材としたアニメとしては先駆け的な存在だと考えられます。
自動車レースと自転車レースの決定的な違いは、当然のことながら、原動機の有無です。
自力で扱ぐ自転車においては、自動車レースより、スポーツアニメという意味合いが強くなってくるものだと考えられます。ただ、スポーツアニメと括っても、スポ魂をテーマに根性を扱った内容ではありません。プロのロードレースを題材にしたアニメですので、根性というより、別の感情が描かれていただと考えられます。
ペース配分もそうですが、なにより脚力勝負の図式が強い内容となりますので、観ていて身体に力が入ってきます。
特に、本編の終盤では自覚のないうちに歯を食いしばっており、ロードレースを題材にした内容らしいものだったと考えられます。自動車レースを題材にしたアニメでも、ゴール直前には、視聴者の体に力は入るものでしょう。しかし、画面に注力して、肩に力が入るのではないでしょうか。
当作品は、全身に力が入るような印象があり、自動車レースとの力の入り方の違いがあるのだと考えられるのです。
これは当作品がロードレースを扱っている特徴から、さらに、その副産物として視聴者に与えられる効果だと考えて良いのではないでしょうか。
オーラの存在と、題材がロードレースであること、2つの要素が本編の面白みの背景となっています。そして、その2つが相乗効果となって、制作スタッフの思惑通りにうまく機能しているだと考えられるのです。
人間VS人間
自転車を扱ぐことで競うレースを扱っていることで、人間と人間のぶつかり合いという要素を強く感じます。
特に、本編においてトレーニングをしている場面は少なく、レース展開の場面が多いです。
トレーニングにおいては、身体作り、筋力アップや持久力といったハード・スペック面といった要素が強調されるのだと考えられます。しかし、トレーニング場面が少ない当作品において、そこは重視されていないのだと考えられるのです。
そして、レース展開の場面が多いことは、ハード面ではなく、ソフト面を競い合っている意味合いが強くなるのではないでしょうか。
ソフト面とは、すなわちメンタル面での戦う要素です。レースが始まってしまえば、身体作りをした上で臨んでいるのだから、展開としては、メンタルの勝負という図式が強くなってくると考えられるのです。そして、強敵選手であるザンコーニのオーラは、その意味合いを強調するものだと考えられます。
そのことから、原作者は人間同士の競い合いが描きたかったのだと考えます。
レース展開の場面が多い、長いという事実は、原作者が人間同士の競い合いを描きたかった表れだと考えることができるのではないでしょうか。
別のスポーツアニメで比較するなら、「はじめの一歩」を挙げます。
「はじめの一歩」においては、愚直に、真面目にトレーニングする場面から描きます。それは、時間尺の問題ではないでしょう。現に、「はじめの一歩」での木村VS間柴を描いたものは、本編1時間ほどの内容で構成され、当作品と時間尺の違いはありません。しかし、木村VS間柴戦においても、挑戦者である木村のトレーニング場面が強調されていました。
これは、同じスポーツアニメでありながら、「はじめの一歩」と決定的に違うことなのです。
そして、それから見えることは、レース展開の時間を長く設けることで、人間同士の競い合いを描きたかったという原作者の意図が汲み取れると考えられるのです。
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